どうでもいい奇跡
どうでもいい話だが、昔から、その存在理由というか、発生の経緯というか、とにかく疑問に思っていたものがある。それは、
「野球拳」
や〜あきゅ〜ぅう〜…なんて悠長に唄いながら、盆踊りよろしく、チョチョンのパ的な動きをしてみたり、クルリと回ってみたり。野球をさ、スポーツをさ、なぜあんな形で表現することになったのか。
…という疑問を妻にぶつけてみたところ、パソコンに向かっていた妻は、ちゃちゃっと調べてみてくれた。
野球拳の作詞作曲者は前田伍健(まえだごけん)なる愛媛県の人。作られた時期は大正13年の10月。すでに84年が経過している。資料によってディテールはやや異なるが、年月まで明らかになっているその訳は、ざっと以下の通り。
前田氏は、川柳、俳句といった文芸をたしなむ人で、愛媛川柳の第一人者という、その世界では名の知れた人であったようだ。もっとも、愛媛川柳がいかなるものか知らないが。それはともかく、その一方で、伊予鉄道電気会社(現在も松山の街を走る路面電車・伊予鉄道の前身)の野球チームのコーチを勤める文武両道の御仁であった。
さて、その伊予鉄野球チーム、大正13年に高松で行われた実業団野球大会に出場した。ところが結果は惨敗。そしてその晩、相手チームとの懇親会の席のこと、伊予鉄の選手たちが意気消沈していてちっとも宴席が盛り上がらない。
そこで一つ、選手たちに元気になってもらおうじゃないかと、席上、歌の心得もあるコーチ自ら三味線を弾き、即興で歌を作って、選手たちを踊らせた。そうしたところ大いに盛り上がった。と、これが野球拳の始まりらしい。
そんなわけで、野球拳はひょんなことから、というか、大げさに言うなら、生命の発生にも似たいくつもの偶然が重なった結果、生まれたものらしい。たまたま、野球チームの監督が歌の心得のある人で、なおかつそのチームが惨敗し、選手たちが真面目だったもんだから負けたことで意気消沈してしまった。そういう要素が絶妙に重なったことで成立をみた、奇跡のお座敷歌謡とも言えまいか。それらの偶然が重ならなければ、コント55だって、裏番組をぶっとばすことはできなかった。
その野球拳の歌詞は6番まであるらしく(全文はこちらのサイト参照)、最初はおなじみの「野球するなら」で始まるが、途中、お座敷芸らしく「お酒飲むなら」「お酒に酔ったなら」云々と続き、5番では、「ハンサムにラブしたら」となり、最後の6番では、花占いが始まってしまう始末。
その5番に、「裏から小松菜えっさっさ」という、もうはや何がなんだかわからない歌詞がある。意味不明なのはおいといて、私は、この部分に「はあ、なるほどねえ」と思った。
小松菜は、その名が江戸川区の小松という地名から採られているように、現在でも東京近郊で生産されている野菜であって、埼玉県が全国一の生産高を誇る唯一の農作物でもある。その小松菜が80年以上も前の四国においても「小松菜」と呼ばれて、普通に食されていたのだなあ、と。
ちょっと、そんなどうでもいいところで、ちょっとばかし感銘を受けてみたのです。
「野球拳」
や〜あきゅ〜ぅう〜…なんて悠長に唄いながら、盆踊りよろしく、チョチョンのパ的な動きをしてみたり、クルリと回ってみたり。野球をさ、スポーツをさ、なぜあんな形で表現することになったのか。
…という疑問を妻にぶつけてみたところ、パソコンに向かっていた妻は、ちゃちゃっと調べてみてくれた。
野球拳の作詞作曲者は前田伍健(まえだごけん)なる愛媛県の人。作られた時期は大正13年の10月。すでに84年が経過している。資料によってディテールはやや異なるが、年月まで明らかになっているその訳は、ざっと以下の通り。
前田氏は、川柳、俳句といった文芸をたしなむ人で、愛媛川柳の第一人者という、その世界では名の知れた人であったようだ。もっとも、愛媛川柳がいかなるものか知らないが。それはともかく、その一方で、伊予鉄道電気会社(現在も松山の街を走る路面電車・伊予鉄道の前身)の野球チームのコーチを勤める文武両道の御仁であった。
さて、その伊予鉄野球チーム、大正13年に高松で行われた実業団野球大会に出場した。ところが結果は惨敗。そしてその晩、相手チームとの懇親会の席のこと、伊予鉄の選手たちが意気消沈していてちっとも宴席が盛り上がらない。
そこで一つ、選手たちに元気になってもらおうじゃないかと、席上、歌の心得もあるコーチ自ら三味線を弾き、即興で歌を作って、選手たちを踊らせた。そうしたところ大いに盛り上がった。と、これが野球拳の始まりらしい。
そんなわけで、野球拳はひょんなことから、というか、大げさに言うなら、生命の発生にも似たいくつもの偶然が重なった結果、生まれたものらしい。たまたま、野球チームの監督が歌の心得のある人で、なおかつそのチームが惨敗し、選手たちが真面目だったもんだから負けたことで意気消沈してしまった。そういう要素が絶妙に重なったことで成立をみた、奇跡のお座敷歌謡とも言えまいか。それらの偶然が重ならなければ、コント55だって、裏番組をぶっとばすことはできなかった。
その野球拳の歌詞は6番まであるらしく(全文はこちらのサイト参照)、最初はおなじみの「野球するなら」で始まるが、途中、お座敷芸らしく「お酒飲むなら」「お酒に酔ったなら」云々と続き、5番では、「ハンサムにラブしたら」となり、最後の6番では、花占いが始まってしまう始末。
その5番に、「裏から小松菜えっさっさ」という、もうはや何がなんだかわからない歌詞がある。意味不明なのはおいといて、私は、この部分に「はあ、なるほどねえ」と思った。
小松菜は、その名が江戸川区の小松という地名から採られているように、現在でも東京近郊で生産されている野菜であって、埼玉県が全国一の生産高を誇る唯一の農作物でもある。その小松菜が80年以上も前の四国においても「小松菜」と呼ばれて、普通に食されていたのだなあ、と。
ちょっと、そんなどうでもいいところで、ちょっとばかし感銘を受けてみたのです。
いまだ現役
王子に住んでる友人がわざわざうちの方まで来てくれて、一緒に焼肉を食べた。うちの近所は、なぜか焼肉屋がたくさんある。そのうちの1軒、まだ入ったことのない店に入ってみた。
間は省略し、おなかいっぱい飲み食いして、支払の時のこと。
「カードでお願いします」と言うと、おばさんが、ごそごそと探し物を始めた。きっとこの店では、カード払いはめったになくて、CAT端末(通信回線を介して認証を取る、よくある機械)を探しているのだな…と、理解した。
手持ちの現金はあったので、「じゃあ、現金でもいいいですよ」と言おうとした瞬間のこと。出てきたのはCAT端末ではなく、なんとインプリンターであった。インプリンタ−とは、カード表面の凸文字をガシャンってやって、複写紙に写すやつ。昔のアメリカ映画とかではよく出てくるが、日本でお目にかかることは今ではほとんどない。
それを目にしたとたん、現金で払う気持ちは完全に消えた。インプリンターでガシャンした明細票がほしい…。
ということで、やってもらった結果がこれ。モザイク処理せざるを得ないのが悲しいが、紫色に浮き出た数字が美しい。

8年前にベトナムを旅した時に、カメラが壊れてホーチミンの街で直したことがある。その時の代金をカードで払って、インプリンターでガシャンされた経験があるが、日本では初めて。そして、今後お目にかかることがあるのだろうか。
まだ機械化されていない店があって、クレジット会社には、こうして処理された売上票を細々と手入力している部署があるんだなあと、しみじみ思った。
クレジットカードの明細は、毎月の明細表に載ってきたらシュレッドして捨ててしまうが、これはちょっと、大事に取っておきたい逸品である。でも、CATで処理した明細票と違って、カード番号と有効期限丸出しだから、絶対になくさないようにしないとね。
間は省略し、おなかいっぱい飲み食いして、支払の時のこと。
「カードでお願いします」と言うと、おばさんが、ごそごそと探し物を始めた。きっとこの店では、カード払いはめったになくて、CAT端末(通信回線を介して認証を取る、よくある機械)を探しているのだな…と、理解した。
手持ちの現金はあったので、「じゃあ、現金でもいいいですよ」と言おうとした瞬間のこと。出てきたのはCAT端末ではなく、なんとインプリンターであった。インプリンタ−とは、カード表面の凸文字をガシャンってやって、複写紙に写すやつ。昔のアメリカ映画とかではよく出てくるが、日本でお目にかかることは今ではほとんどない。
それを目にしたとたん、現金で払う気持ちは完全に消えた。インプリンターでガシャンした明細票がほしい…。
ということで、やってもらった結果がこれ。モザイク処理せざるを得ないのが悲しいが、紫色に浮き出た数字が美しい。

8年前にベトナムを旅した時に、カメラが壊れてホーチミンの街で直したことがある。その時の代金をカードで払って、インプリンターでガシャンされた経験があるが、日本では初めて。そして、今後お目にかかることがあるのだろうか。
まだ機械化されていない店があって、クレジット会社には、こうして処理された売上票を細々と手入力している部署があるんだなあと、しみじみ思った。
クレジットカードの明細は、毎月の明細表に載ってきたらシュレッドして捨ててしまうが、これはちょっと、大事に取っておきたい逸品である。でも、CATで処理した明細票と違って、カード番号と有効期限丸出しだから、絶対になくさないようにしないとね。
音楽
先日、車で会社に行った帰りにラジオを聞いていたら、TOKIOの曲が流れた。
それが、20年ぐらい前に中村雅俊が歌った「恋人も濡れる街角」。どちらかと言えばムード歌謡に近い、昭和の香りの歌謡曲である。
最近のTOKIOはすげえなあ、中島みゆきに長渕剛に、こんどはそう来たか!と。最後のはちょっとどうかしてるだろう、と驚いた。
でも、TOKIO版「恋人も濡れる街角」を聞きながら思い出したことがある。
今から10年近く前、後にも先にもその1回だけ、友人とバンドを組んでライブハウスの舞台に上がったことがある。余談だが、そのライブハウスのチケットはぴあでも扱っていたので、ぴあ誌面にバンド名が載ってて驚いた。
本番ではオリジナル曲と、佐野元春と、あと忘れてしまったが誰かもう1人の曲をやったが、曲を決める時や、練習中飽きてきた時など、ABBAをやろうとか清水健太郎とか五木ひろしとか、めちゃくちゃなことをみんなで言っていた。「こんな感じ?」とかってギターの奴がちょろっと弾くと、みんなが合わせてみたりして、なんだかそんな時間がとても楽しかった。
TOKIOのメンバーは私と同世代で、「恋人も濡れる街角」を子供のころにベストテンとかで聞いた人々である。練習中にふと誰かが「この曲なんだっけ?」とかって思い出し、「こんな感じ?」「そうそう、それそれ」なんて感じで始まって、やってみたら「なかなかいいじゃん」なんてことになり、ちょっと本気で作りこんでみた、といったところか。
やってる方が楽しければ、みんなも楽しい。それが音楽だというもんだよな。そんなことを思った。でも、中高生のファンたちが「横浜じゃ今、乱れた恋が揺れる」「触るだけで感じちゃう」はないだろう。とそんなことも思った。
ところで、中島みゆき作詞作曲の「宙船(ソラフネ)」。本家中島みゆきが歌ってる方をラジオで聞いた時、「あ!この歌はやっぱりこっちの方がいい」と思った。ふつう、先に聞いた方に耳が慣れて、後から聞いたバージョンに違和感を感じるものだが、この場合そうではなかった。やっぱり中島みゆきはすごいらしい。
それが、20年ぐらい前に中村雅俊が歌った「恋人も濡れる街角」。どちらかと言えばムード歌謡に近い、昭和の香りの歌謡曲である。
最近のTOKIOはすげえなあ、中島みゆきに長渕剛に、こんどはそう来たか!と。最後のはちょっとどうかしてるだろう、と驚いた。
でも、TOKIO版「恋人も濡れる街角」を聞きながら思い出したことがある。
今から10年近く前、後にも先にもその1回だけ、友人とバンドを組んでライブハウスの舞台に上がったことがある。余談だが、そのライブハウスのチケットはぴあでも扱っていたので、ぴあ誌面にバンド名が載ってて驚いた。
本番ではオリジナル曲と、佐野元春と、あと忘れてしまったが誰かもう1人の曲をやったが、曲を決める時や、練習中飽きてきた時など、ABBAをやろうとか清水健太郎とか五木ひろしとか、めちゃくちゃなことをみんなで言っていた。「こんな感じ?」とかってギターの奴がちょろっと弾くと、みんなが合わせてみたりして、なんだかそんな時間がとても楽しかった。
TOKIOのメンバーは私と同世代で、「恋人も濡れる街角」を子供のころにベストテンとかで聞いた人々である。練習中にふと誰かが「この曲なんだっけ?」とかって思い出し、「こんな感じ?」「そうそう、それそれ」なんて感じで始まって、やってみたら「なかなかいいじゃん」なんてことになり、ちょっと本気で作りこんでみた、といったところか。
やってる方が楽しければ、みんなも楽しい。それが音楽だというもんだよな。そんなことを思った。でも、中高生のファンたちが「横浜じゃ今、乱れた恋が揺れる」「触るだけで感じちゃう」はないだろう。とそんなことも思った。
ところで、中島みゆき作詞作曲の「宙船(ソラフネ)」。本家中島みゆきが歌ってる方をラジオで聞いた時、「あ!この歌はやっぱりこっちの方がいい」と思った。ふつう、先に聞いた方に耳が慣れて、後から聞いたバージョンに違和感を感じるものだが、この場合そうではなかった。やっぱり中島みゆきはすごいらしい。
天空の里(1)
この連休、3日から5日にかけて旅をしてきた。行ってきたのは、長野県飯田市上村の下栗(しもぐり)というところ。
ずいぶん前に、本だかテレビだかでそこの風景を見て、ずっと行きたいと思っていたのだが、標高900から1200メートルの、斜度なんと35度を超える斜面に200人ぐらいの人が住んでいる。地図で見るとこんなところ(→地図)。あまり地図に明るくない人でも、「ああ、これはずいぶんな山ですよねえ」と感じ取れるんじゃないかと思う。明らかに、人が住むべき場所ではない等高線の密度である。
飯田の街でレンタカーを借り、峠を一つ越えて隣りの川筋におり、その川沿いにしばらく下る。そして飯田から都合1時間ぐらい走ると上村の中心部で、役場や商店や学校がある。
ここまでは飯田駅からバスがある。といっても、平日3便、休日2便という、旅行者が足として使えるものではない。さらに、上村までバスで来ても、下栗へ上がる交通機関はない。そこで、今回はレンタカーである。
宿に着いたのは夕方5時ごろ。ちょうど山かげに日が沈もうとしているが、まだだいぶ明るい。そんな時間に着かずに、もうちょっと下界でゆっくりしてきたらいいのに…と思うなかれ。宿のおばさんから「初めてでしょ?暗くなると来られないから、明るいうちに上って来なさい」と言われていたとおり、下栗までの道は険しいものだった。例えば、アンデスの峠越えとか、崖沿いにぎりぎりすれ違える程度の道が開いてあって、崖側には柵がないという、「あーこういう道、テレビで見たことあるぅー!」ていうような箇所が随所にあった。暗くなったらこんな道、あー無理無理。
長野県の道路地図を持ってきたが、それでは心もとないと気がして、最近はネットで提供されている地形図を印刷して持ってきたのが役に立った。地形図を頼りに車を運転したのは後にも先にも初めてである。
「ひー、怖えー」とか言いながら、地元の対向車にはすれ違えるところまで下がってもらったりしながら、どうにかこうにか、お世話になるお宿「ひなた」に到着。下栗集落の一番下の、もっとも傾斜が急な所にある。

まるで天空の駐車場(左) 下から見るとこんな感じ(右)

部屋の窓を開けるとこんな景色が広がっている。
6時半ごろに夕食だというので、それまで軽く宿のまわりを散歩。その傾斜にただただ圧倒されるばかり。

自宅ガレージ転落注意(左) おばあちゃん畑仕事(右)
夕食を食べ終わった頃には、もう外は真っ暗。テレビは100円入れないと映らないし、何もすることなどない。妻と一緒に星を見ながらほんのまた少し散歩した。手持ちのデジカメでは撮れないのが残念だが、これまで見たことのないような星空だった。
妻は普段から夜ふかしなので、本を読んだりしながら起きていたようだが、私は明日の朝、早起きして散歩してこようと思い、10時ごろにさっさと寝てしまった。
長くなってきたので、(2)へつづいた方がよさそうだ。
ずいぶん前に、本だかテレビだかでそこの風景を見て、ずっと行きたいと思っていたのだが、標高900から1200メートルの、斜度なんと35度を超える斜面に200人ぐらいの人が住んでいる。地図で見るとこんなところ(→地図)。あまり地図に明るくない人でも、「ああ、これはずいぶんな山ですよねえ」と感じ取れるんじゃないかと思う。明らかに、人が住むべき場所ではない等高線の密度である。
飯田の街でレンタカーを借り、峠を一つ越えて隣りの川筋におり、その川沿いにしばらく下る。そして飯田から都合1時間ぐらい走ると上村の中心部で、役場や商店や学校がある。
ここまでは飯田駅からバスがある。といっても、平日3便、休日2便という、旅行者が足として使えるものではない。さらに、上村までバスで来ても、下栗へ上がる交通機関はない。そこで、今回はレンタカーである。
宿に着いたのは夕方5時ごろ。ちょうど山かげに日が沈もうとしているが、まだだいぶ明るい。そんな時間に着かずに、もうちょっと下界でゆっくりしてきたらいいのに…と思うなかれ。宿のおばさんから「初めてでしょ?暗くなると来られないから、明るいうちに上って来なさい」と言われていたとおり、下栗までの道は険しいものだった。例えば、アンデスの峠越えとか、崖沿いにぎりぎりすれ違える程度の道が開いてあって、崖側には柵がないという、「あーこういう道、テレビで見たことあるぅー!」ていうような箇所が随所にあった。暗くなったらこんな道、あー無理無理。
長野県の道路地図を持ってきたが、それでは心もとないと気がして、最近はネットで提供されている地形図を印刷して持ってきたのが役に立った。地形図を頼りに車を運転したのは後にも先にも初めてである。
「ひー、怖えー」とか言いながら、地元の対向車にはすれ違えるところまで下がってもらったりしながら、どうにかこうにか、お世話になるお宿「ひなた」に到着。下栗集落の一番下の、もっとも傾斜が急な所にある。

まるで天空の駐車場(左) 下から見るとこんな感じ(右)

部屋の窓を開けるとこんな景色が広がっている。
6時半ごろに夕食だというので、それまで軽く宿のまわりを散歩。その傾斜にただただ圧倒されるばかり。

自宅ガレージ転落注意(左) おばあちゃん畑仕事(右)
夕食を食べ終わった頃には、もう外は真っ暗。テレビは100円入れないと映らないし、何もすることなどない。妻と一緒に星を見ながらほんのまた少し散歩した。手持ちのデジカメでは撮れないのが残念だが、これまで見たことのないような星空だった。
妻は普段から夜ふかしなので、本を読んだりしながら起きていたようだが、私は明日の朝、早起きして散歩してこようと思い、10時ごろにさっさと寝てしまった。
長くなってきたので、(2)へつづいた方がよさそうだ。
海外出張
12月入った会社は、とあるメーカーなのだが、原料供給元の1社が韓国にあって、そして、その会社の工場が中国の天津にある。というわけで、22日から今日まで、天津と韓国をいっぺんに行くという豪勢な出張に、通訳見習いとして同行させてもらった。
私はこれまで、出張のある職場に勤めたことがなかったので、生涯初の出張が海外出張となった。
上司や営業のエライ人が一緒だし、先方の人もみんな初めて会う人たち(私は初対面の人と接するのが苦手である)ばかりで、勝手がわからず、常に気を張っていて、大変くたびれた。それに韓国は、「お膳の脚が曲がるほどのたくさんのごちそう」なんて言葉があるぐらい、とにかくお客様をもてなさないと気が済まない国なので、仕事の後も、「じゃ、後は適当に」というわけにいかず、毎晩なんだかんだ飲んでいた。それで翌朝はちゃんと起きなくちゃいけないし(仕事なんだから当たり前だ)。
ちっとばかし真面目なことを言うなら、私は、まだ仕事の内容についてもわからない点が多い。そして、向こうにも日本語ができる人がいるので、全部を私が通訳するわけではなかった。しかし、向こうの会社で主に通訳を担当していた人は、現場の視察のように、各自が思い思いに作業を見回るような場面でも、常に周囲に気を配っていて、必要とされている位置に移動し、適切に通訳の仕事をしていた。その日本語能力もさることながら、通訳としての技術においても、とても見習うべき点が多かったと思う。
帰り、成田空港で上司と別れる時に同行させてくれたことについてお礼を述べると、「まあ、やっていって慣れるしかない。でも、中国や韓国に抵抗のない人が入ってくれてよかった」と、妙なところでありがたがられた。
たしかに、天津に着いた日の空き時間、零下10度にもなる寒さの中、ホテルの周りをうろつき、干しぶどうを買って、ヨーグルトを飲んできたりした。それを上司に報告したら、かなり驚かれた。上司も、そこまで抵抗ないとはさすがに思っていなかったかもしれない。
今回行かせてもらったおかげで、「天津−ソウル」という、ふつう日本人が乗ることはめったにないであろう飛行機に乗ることができたのは1つよかったこと。
早くいろいろ覚えて理解して、せっかく外国に行くんだから出張でも楽しめるようにならなきゃいけないなと、切に思った次第である。
ところで、天津で泊まった宿はこんなゴージャスなところだった(↓写真)。1泊700元(約10,000円)。私が中国でよく泊まっていたのは150元ぐらいの安宿なので、あまりの豪華さに慌てた。

テーブルの上には果物が置かれている(もちろん食べなくても毎日交換)。なんてことだ。
私はこれまで、出張のある職場に勤めたことがなかったので、生涯初の出張が海外出張となった。
上司や営業のエライ人が一緒だし、先方の人もみんな初めて会う人たち(私は初対面の人と接するのが苦手である)ばかりで、勝手がわからず、常に気を張っていて、大変くたびれた。それに韓国は、「お膳の脚が曲がるほどのたくさんのごちそう」なんて言葉があるぐらい、とにかくお客様をもてなさないと気が済まない国なので、仕事の後も、「じゃ、後は適当に」というわけにいかず、毎晩なんだかんだ飲んでいた。それで翌朝はちゃんと起きなくちゃいけないし(仕事なんだから当たり前だ)。
ちっとばかし真面目なことを言うなら、私は、まだ仕事の内容についてもわからない点が多い。そして、向こうにも日本語ができる人がいるので、全部を私が通訳するわけではなかった。しかし、向こうの会社で主に通訳を担当していた人は、現場の視察のように、各自が思い思いに作業を見回るような場面でも、常に周囲に気を配っていて、必要とされている位置に移動し、適切に通訳の仕事をしていた。その日本語能力もさることながら、通訳としての技術においても、とても見習うべき点が多かったと思う。
帰り、成田空港で上司と別れる時に同行させてくれたことについてお礼を述べると、「まあ、やっていって慣れるしかない。でも、中国や韓国に抵抗のない人が入ってくれてよかった」と、妙なところでありがたがられた。
たしかに、天津に着いた日の空き時間、零下10度にもなる寒さの中、ホテルの周りをうろつき、干しぶどうを買って、ヨーグルトを飲んできたりした。それを上司に報告したら、かなり驚かれた。上司も、そこまで抵抗ないとはさすがに思っていなかったかもしれない。
今回行かせてもらったおかげで、「天津−ソウル」という、ふつう日本人が乗ることはめったにないであろう飛行機に乗ることができたのは1つよかったこと。
早くいろいろ覚えて理解して、せっかく外国に行くんだから出張でも楽しめるようにならなきゃいけないなと、切に思った次第である。
ところで、天津で泊まった宿はこんなゴージャスなところだった(↓写真)。1泊700元(約10,000円)。私が中国でよく泊まっていたのは150元ぐらいの安宿なので、あまりの豪華さに慌てた。

テーブルの上には果物が置かれている(もちろん食べなくても毎日交換)。なんてことだ。



