あじのたたき
回転寿司に行って、回っていないネタを注文する(いや、回っていない方でもいいのだが、そっちはほぼ行かないので正直に書く)。それは、これまでの経験からその魚固有の味を知っていて、それを選んで注文するわけで、自分を含め、日本人ってのはたいしたもんだと思う。
フランス料理なんかなら、せいぜいサーモン、舌平目、それに「白身魚」なんていう、なんだか魚に失礼なような分類しかない。それに比べてたいていの日本人なら、まぐろ、かつお、はまち、たい、かんぱち…と聞いて、身の見た目と味が思い浮かぶ。
最近、「マンボウの刺身―房州西岬浜物語」という本を読んでいる。どこかの古本屋で見つけたものだが、千葉の館山の香(こうやつ)という漁村の魅力にとり憑かれ、そこに移住して猟師になってしまった人が書いたエッセイである。読んでいるうちに魚を捌きたくなったので、今日はアジを買ってきてたたきにした。
魚の捌き方なんて知ってしまえば楽なもんで、火を通す時間がかからない分、でき上がるのは早い。小骨も、生の状態で取るのは大変な作業だが、たたきなら小骨までつぶしてしまうので、手間もかからない。それに、出刃包丁一本で力任せに作業するというのは、大工仕事みたいで楽しい。
でき上がったのがこれ。しそとしょうがも一緒にたたいた。これに味噌を加えると、千葉の郷土料理「なめろう」になる(さっきの本によると、トビウオで作るとうまいらしい)。

食べた。魚ってうまいなあ、って思った。「おいしい」と妻にもほめられた。
「日本に生まれてよかったなあ」と思う瞬間はときどきあるけれど、魚を食べて「うまい」と思う時もその一つである。
フランス料理なんかなら、せいぜいサーモン、舌平目、それに「白身魚」なんていう、なんだか魚に失礼なような分類しかない。それに比べてたいていの日本人なら、まぐろ、かつお、はまち、たい、かんぱち…と聞いて、身の見た目と味が思い浮かぶ。
最近、「マンボウの刺身―房州西岬浜物語」という本を読んでいる。どこかの古本屋で見つけたものだが、千葉の館山の香(こうやつ)という漁村の魅力にとり憑かれ、そこに移住して猟師になってしまった人が書いたエッセイである。読んでいるうちに魚を捌きたくなったので、今日はアジを買ってきてたたきにした。
魚の捌き方なんて知ってしまえば楽なもんで、火を通す時間がかからない分、でき上がるのは早い。小骨も、生の状態で取るのは大変な作業だが、たたきなら小骨までつぶしてしまうので、手間もかからない。それに、出刃包丁一本で力任せに作業するというのは、大工仕事みたいで楽しい。
でき上がったのがこれ。しそとしょうがも一緒にたたいた。これに味噌を加えると、千葉の郷土料理「なめろう」になる(さっきの本によると、トビウオで作るとうまいらしい)。

食べた。魚ってうまいなあ、って思った。「おいしい」と妻にもほめられた。
「日本に生まれてよかったなあ」と思う瞬間はときどきあるけれど、魚を食べて「うまい」と思う時もその一つである。
箱根駅伝
さてと、新年。あけましておめでとうございます。本年もみなさま、どうぞよろしく。
今日は箱根駅伝を見に行った。家のすぐ近所の国道1号線を駅伝が通るというだけのことで、出身大学を応援するとか、陸上ファンであったりなんてことは決してない。
往路なら2区、復路なら9区。権太坂で順位が大きく変動するあの区間。今日は復路なので9区である。昨日は妻の実家へ行っていたため見られず、今年は復路だけの見物となった。
選手はもちろん必死であるが、沿道の人々にとっては、駅伝見物はいわばお正月の恒例行事、あるいはお祭のようなものなので、だいたいの人にとって、レースの行方はどうでもいい。それよりも何しろ近所の人はみんな来るわけで、年始のあいさつの方が重要である。
「あけましておめでとうございます」
「ああ、こんちは。今年もよろしくお願いします」
なんて会話があちこちで起こっている。

車は通行止めになり、もうすぐ選手がやってくる。
そうこうするうちに、広報車とか警察の車が通り始め、ラジオ持参のおじさんなんかが「もう中継したみたいですよ」なんて教えてくれる。
やがて選手が見えてくるが、やはりレースはどうでもいいので、とにかく旗を振り、
「順天堂?おお、がんばれー!」
「東海大か。おお、がんばれよー!」
「神大来たな。がんばれー!」
結局、誰が来ようと同じ応援になる。

だいぶ後の方の選手。始めの方は手が慣れてなくて、うまく撮れなかった。
で、さすがに全20選手ともなると、通過にかかる時間は20分以上にもなるため、見てるほうも徐々にだらけてくる。最終の学連選抜ともなると、
「なんとか選抜?そんなのがあるのね」
なんて程度で、選手にはとても気の毒だが、まあそんなもんである。
私の隣りにいたおばさんなんて、2位で通過した東海大の選手を見て「色が白いわねえ」と言っていた。
選手達は、そんなどうでもいい大勢の人々の声援を受けて走っていく。権太坂を越えて鶴見まで走っていくんだからえらいもんだ。駅伝見物というのは、正月にふさわしい、めでたい恒例行事だと思う。
そして帰宅。テレビに映るかと思って、今年はビデオのセットをして出かけた。しかしここは中継所から3キロぐらいの地点なので、中継所の様子に長い時間が割かれていて、私たちはちっとも映っていなかった。あと100メートルぐらい先なら映ってたのにな。ちょっと残念。
今日は箱根駅伝を見に行った。家のすぐ近所の国道1号線を駅伝が通るというだけのことで、出身大学を応援するとか、陸上ファンであったりなんてことは決してない。
往路なら2区、復路なら9区。権太坂で順位が大きく変動するあの区間。今日は復路なので9区である。昨日は妻の実家へ行っていたため見られず、今年は復路だけの見物となった。
選手はもちろん必死であるが、沿道の人々にとっては、駅伝見物はいわばお正月の恒例行事、あるいはお祭のようなものなので、だいたいの人にとって、レースの行方はどうでもいい。それよりも何しろ近所の人はみんな来るわけで、年始のあいさつの方が重要である。
「あけましておめでとうございます」
「ああ、こんちは。今年もよろしくお願いします」
なんて会話があちこちで起こっている。

車は通行止めになり、もうすぐ選手がやってくる。
そうこうするうちに、広報車とか警察の車が通り始め、ラジオ持参のおじさんなんかが「もう中継したみたいですよ」なんて教えてくれる。
やがて選手が見えてくるが、やはりレースはどうでもいいので、とにかく旗を振り、
「順天堂?おお、がんばれー!」
「東海大か。おお、がんばれよー!」
「神大来たな。がんばれー!」
結局、誰が来ようと同じ応援になる。

だいぶ後の方の選手。始めの方は手が慣れてなくて、うまく撮れなかった。
で、さすがに全20選手ともなると、通過にかかる時間は20分以上にもなるため、見てるほうも徐々にだらけてくる。最終の学連選抜ともなると、
「なんとか選抜?そんなのがあるのね」
なんて程度で、選手にはとても気の毒だが、まあそんなもんである。
私の隣りにいたおばさんなんて、2位で通過した東海大の選手を見て「色が白いわねえ」と言っていた。
選手達は、そんなどうでもいい大勢の人々の声援を受けて走っていく。権太坂を越えて鶴見まで走っていくんだからえらいもんだ。駅伝見物というのは、正月にふさわしい、めでたい恒例行事だと思う。
そして帰宅。テレビに映るかと思って、今年はビデオのセットをして出かけた。しかしここは中継所から3キロぐらいの地点なので、中継所の様子に長い時間が割かれていて、私たちはちっとも映っていなかった。あと100メートルぐらい先なら映ってたのにな。ちょっと残念。

