2007-08

仏頂面とCM

 世の中には、素(す)の状態でも常に不機嫌そうな顔の人というのがいる。日本のお昼の顔、みのもんたは、その代表格だと思う。多忙のため疲れているのかもしれないが、基本的に仏頂面だ。

 一般的に、仏頂面の人が時おり見せる笑顔が周りに与える影響は大きく、釣られてこっちまで一緒に嬉しくなったりするものであるが、みのはそれを手法として用い、仏頂面から繰り出す満面の笑顔で、日々、世のお嬢さん方の心を掴んでいる。

 その、デフォルト仏頂面のみのもんたが、タマホームという住宅メーカーのCMに出ている。

 「家ってのはもっと安く建てられないものかねえ…」なんてのを真剣な表情(=デフォルトより不満顔)で語り、最後のカット。例の満面の笑顔で、「タマホーム!いいねえ!」と言うのだが、その笑顔を最後まで保たず、一瞬なんと素の顔に戻ってしまう。これはかなりやばい。少し前に流れていた住宅展示イベントのCMでもやはり、満面の笑顔で「行こうよ!」と言った後、素の顔に戻っていた。

 CMの最後の「いいねえ!」のカットが冗長であるという気はしないので、おそらくみのの問題である。みのがタマホームを本気でいいとは思っていないにしても、CMなんだから、残り0.5秒にも満たない間ぐらい表情を保てばいいのに。最後に気をゆるめてしまったせいで、なんか嫌な感じの出来になってしまっている。

 タマホームのホームページでもCMを見られるようになっているのだが、会社側では気づいているらしく、仏頂面に戻りきる前にカットしてある。次回作は改善されている可能性があるので、チェックしておくなら今のうちかも知れない。


>>2007/9/7 追記
 今日、タマホームのCMを見る機会がありました。なんと改善されてしまっていました。もしかしたら、この文を書いた8/30時点では、既に変わっていたのかもしれません。だとしたらすみません。
 途中で入る「ハッピーライフ、ハッピーホーム、タマホーム」という歌の部分を以前に比べて少し伸ばして、お尻をカットしてあるようでした。

映画を見てきた。

 「俺は、君のためにこそ死ににいく」という映画を見てきた。太平洋戦争末期、特攻隊の出撃基地となった鹿児島県知覧の町で、特攻の母と呼ばれた食堂のおばさん鳥濱トメさんと、明日出撃し、死を迎えることになる隊員たち、それをとりまく人々の心情を描いた映画である。

 製作総指揮は石原慎太郎。5月にロードショー公開された作品で、その時は「石原慎太郎が戦争の映画を作ったぞ」ぐらいにしか思っていなかったのだが、7月の終わり頃だったろうか、たまたまつけたテレビで、鳥濱トメさん役を演じた岸惠子が映画のことを語っていたのを見た。私は岸惠子の上品でしっかりした演技がとても好きで、岸惠子が主役であったというのを知って、とても見たくなった。ちなみに彼女は、私の中で「日頃、良い物を食べて生きている人」のナンバーワンである。

 さて、今さらどこかでやってないか?と探して見つけたのが、茨城県鉾田市にある宝来多座(ほこたざ)という映画館。上映時間は「直接お尋ねください」となっているが、問い合わせている時間はないので、とにかく出かけてみる。

 朝7時過ぎに自宅を出発し、1日分だけ残っていた青春18きっぷを使って、まずは水戸まで。その後、鹿島臨海鉄道大洗鹿島線に乗って、新鉾田駅には11時前に着いた。
 駅を出ると、遠くからお囃子が聞こえてきた。奇しくも今日は、3日間続いたお祭りの最終日であった。町内それぞれの山車が出て、平日の昼間なのに、町は祭り一色。役場でさえ休みなんじゃなかろうかという賑わいである。きっと、市外へ勤めに出ている人はほぼ全員休みを取っているものと思われる。

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もっと有名でもよさそうなぐらいちゃんとしたお祭りだった。

 鉾田の町には一度来たことがあったので、こっちだろう…と、だいたい勘で歩く。そして、町の中心部を抜けたあたりの川沿いに宝来多座を発見。ドーン!

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やってるのか?と不安にさせるたたずまい。

 とりあえず来てしまったので、上映時間がわからない。何時の回があるんだろう。それによってはまず食事でもしてこようかというところだが。…と思ったら、書いてあった。手書き。そして1日1回。

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 町中をぷらぷらして、12時15分ごろに戻ってくると、宝来多座からおじさんが出てきて隣りの家に向かっている。どうやら隣りが自宅らしい。宝来多座を指さして、「もう入ってもいいですか?」とおじさんに聞くと、お客さんだと認識したらしく、「あっ」という顔をして、館内へ案内してくれた。そして壁の時計を見て「ああ、もう時間か」という顔をした。

 観覧料は1200円。安い。おじさんに2000円渡すと、「じゃ、中入ってで下さい。おづり持って来っから」というので座って待つ。チケットなどない。やがておじさんがおつりを持って入ってきて、暑いかと聞く。「省エネで、あれだから…、うぢわ持ってきてあげようか」と言って、いかにもそこらへんにあった感じのauショップのうちわを持ってきてくれた。

 客はとうとう私ひとり。予告編とか一切なく上映開始。予告編てやつは、あったらあったで長いなあと思うが、全くなくて本編が始まると、心の準備ができていなくて慌てる。
 壁ごしにお囃子が聞こえる埃っぽい映画館で、うちわであおぎつつ、貸切で映画を見る。シュールな状況に嬉しくなる。

 映画の内容はそういったもので、特攻隊の話。映画評論などはできないので詳しくは書かないが(いや、書けない。子供のころ、夏休みの読書感想文はあらすじばかり書いていた)、こういう時代があって、今の自分が生きているんだなあ…。日本人って…、今の日本人もちょっとうっかりするとこうなっちゃうのかなあ。やっぱり死ぬの嫌だし、戦争したくないなあ…って、じんわり思った。そして岸恵子は、やはりかっこよかった。

 上映後、おじさんに「貸切で見させていただいてすみません」とお礼を言い、この映画を見たくなって埼玉から来た旨を話したら、たいそう喜んでくれた。おじさん曰く、15日の上映開始からしばらくはお客さんが入っていたのだが、もう終わり近いし(29日で上映終了)、特に今日あたりはお祭りだから、お客さんは入らないとのこと。
 もし私が来なければ休みになるはずだったろうに、申し訳ないことをしてしまったような気もするが、お祭りのさなかでも営業してくれていてよかった。

 おじさんに教えてもらったそば屋で遅い昼食。お祭りだから、他所から帰ってきている人もいるのだろう、「あら久し振りー、元気だった?」といったような挨拶が交わされる。店に来る人来る人、みんな知り合いで、私だけがよそ者である。
 店のお姉さんは、ハンカチ王子こと早稲田の斎藤投手が、高校時代、鉾田二高との練習試合で鉾田にやってきて、ほかの部員とみんなでこの店でカツ丼を食べたという話を嬉しそうにしていた。

 帰りは新鉾田駅から鹿島神宮行きの列車に乗り、成田の方を回って、ぐるっと一周する格好で帰ってきた。家に着いたのは19時過ぎ。そんな一日だった。

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鹿島神宮駅にて。左が大洗鹿島線の水戸行き。右がJR鹿島線の佐原行き。千葉の田舎ではこの懐かしい電車がまだ現役。

知り合いが立派になってテレビに出てた。

 24時間テレビで欽ちゃんがマラソンしてた件について「そもそも、なんで走らなきゃいけないのかなあ…」という素朴な疑問から、日テレのホームページを見ていた。そしたら、今放送中の番組に「NNNドキュメント ― シン先生と瀋さん」と書いてあった。

 シン先生というのは、友貞新(ともさだしん)さん、31歳。中国の四川省で日本語を教えている。

 私は、7年ほど前、中国の吉林省のある町で日本語を教えていた。その時、隣の隣の町(といってもバスで2時間近くかかるのだが)で日本語を教えていたのがシン先生こと新さんであった。1〜2か月に一度ぐらい、新さんも私も含め、その地区で日本語を教える日本人が集まって、一緒に飲んだり食べたりしていた。新さんにコーディネートしてもらって、中国とロシアと北朝鮮の国境近く(本当は外国人立入禁止)まで行ったこともある。

 その新さんが、ドキュメンタリー番組の主役になっていたのだから驚いた。

 山奥の農村から出てきて、新さんのクラスで日本語を学んでいた教え子の瀋さんが(どっちもシンさんで紛らわしいが)、晴れて大都会北京へ出てきて、日系の職場で働くことになったという話。

 中国では、都市部と農村の格差が甚だしく、農村に生まれた人は、ふつう、農村で一生を終える。もしくは頑張って町に出て低賃金の肉体労働をし、その僅かな収入から故郷に仕送りをする。日本と違って、中国の農家は裕福ではなく、学校に行くこともままならない。それが農村に生まれた人の運命。だから、北京に出て仕事につけるなんて、とんでもないことなのである。だから、教え子の瀋さんは、村のスーパーヒーローだ。

 瀋さんの北京の1年分の収入が、四川の故郷の村の、なんと50年分の収入になるというし、瀋さんが弟にあげていた小遣い(20数元=400円ぐらい)が、めったに手にできない大金だそうだ。都市部では20元なんて、大して高級でもない食事一回分だ。恐ろしい格差である。20元がめったに手にできないということは、どこかへ行きたくても、まず汽車の切符を手に入れることができないのだ。

 瀋さんは、新さんが施した日本語教育によって生き抜く力を得るとともに、仕送りや学校施設の寄付といった形で故郷に還元する。新さんは、第2、第3の瀋さんを送り出そうと懸命に働いている。

 私は、新さんのことを心から立派だと思った。一緒に飲んだり食べたりしてた時分から、ただ者じゃないのは知っていたし、その後もずっと雲南省やら四川省やらにいて、日本語やってるのもうっすらと知っていて、やっぱりすごい人だなあ…って思っていた。それが全国版のテレビに登場してしまった。

 新さんがずっと一途に頑張っている一方、私はといえば、日本語教師は1年間であきらめて帰ってきてしまった。その間、日本語教師として成果を上げたものは無に等しく、身につけたことといえば、一人暮らしをする中で、料理ができるようになったこと。それから、どこの国でも暮らせる気がするようになったこと。まあ、それも一つの成果と考えてはいるが。

 新さんのテレビを見て、なんか「おれ頑張ってないなあ」とか「頑張った分だけ成果はついてくるもんだよなあ」とか、いろいろ考えてしまった。私が今、こんな調子で落ちている状態だから、余計に立派に見えてしまうのかもしれないが、「おれもやらなきゃなあ」と一つ励みにもなった。

 何年かぶりで新さんにメールしてみた。長いこと送っていなかったアドレスだが、宛先不明で戻ってきてはいない。明日は、きっとこんな久し振りの人からのメール対応で忙しいことだろう。返事は気長に待つことにしよう。

 新さん頑張れ。おれも頑張るからね。

工作。

 夏休みなので、工作をした。

 埼玉の夏は暑い。暑いことで有名になった熊谷では、それで町おこしを考えているらしいが、ともすれば死にかねない暑さを味わいに来る人がいるのだろうか。

 それはさておき、うちの寝室にはエアコンがない。だから、このところ大変暑くて寝苦しかった。
 エアコン用のコンセントとか、排気口がないので、普通のは取り付けることができない。前の家で使っていた窓用エアコンがあるのだが、今の寝室にそれを付けようとすると、私の頭上10センチのところにエアコン本体があるという、あまり気持ちのよくない位置関係になる。

 窓用エアコンというのは、窓枠に取り付けて、そのまま真後ろの屋外へ排気する構造になっている。それをとにかくまあ、排気すればいいんだろ?と思い、窓用エアコンを窓に取り付けずに使ってやるべえと考えて、ホームセンターで1mm厚のアルミ板と、ドレンホースを買ってきた。

 うちにある電ノコの箱に「10mmまでのアルミが切れる」という説明があるので、やってみたら、いやいやいや絶対無理。たぶん切れるんだろうが、危ない危ない。木とは違って、金属を切るにはそれなりの設備が必要らしい。
 そこで、カッターを使って切ることにした。厚さの半分ぐらいまで刃が入れば、あとは裏表に何回か折り曲げれば、金属疲労でパキッと切れる。エアコンかけた部屋の中でできるし、音で近所迷惑にもならない。

 アルミ板と格闘すること2時間、こんなものができた。本体背面に取り付ける。もともとは、装置を取り付けた部分全体からファンによって排気されるのだが、その熱気をまとめて上の穴から出す構造。

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 使う時は、上面の穴にホースを差し込んでこうなる。まるで煙突だ。

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 さあ、試運転である。熱風の出る部分が塞がれているので、アルミ板が熱くなることはわかっていた。しかし運転しているうちに、通常動かしているときには温まらない、裏側の全体部分が熱を持ち始めた。裏側へまっすぐ出るはずの熱がちゃんと出ていかないせいで、熱が全体にたまってしまうのだろう。
 それから、置いていた床が温まっている。エアコンというのは空中に取り付けるようにできているため、床に置いて運転すると、熱がたまるということらしい。

 過熱してどうかなっては危ないし、そんなわけで、冷風によって温度が下がること以上に、全体からの放熱のせいで部屋が暖まりない。要は、失敗作。研究終了である。見た目はけっこうかっこいいんだけどなあ。今日は涼しいけど、また暑くなるとのこと。寝苦しい夜に打ち勝つことはできないらしい。

 かかった費用約4,000円。1mmともなると、アルミ板もけっこう高いし、手にしてみるとずいぶん硬い。通常は、金属用の電動工具でやるべきものなのだが、そんなアルミ板でも気合いで加工できることがわかったというのが、強いて言うなら今回の一つの成果か。

 さて、今回の研究。危ないので、よい子は絶対にまねしないようにネ。

プサンへの道〜最終日

 プサンには1泊しただけで帰りは飛行機でぴゅーっと帰る。11時30分のノースウエスト便に乗り、成田には13時半頃に着いてしまう。往路復路の所要時間の差たるや、ものすごい。

 ヘウンデからキメ(金海)国際空港までは、空港バスで一本、1時間ちょっとで行けるから便利だ。9時前ぐらいのバスに乗ればちょうどいいだろう。
 バスの中で食べようと思って、パンと牛乳などを調達するために宿の近くのコンビニへ。韓国のコンビニで売られているパンは往々にしてまずいのだが、この時間ではそれしか選択肢がない。レジを打ってもらっていると、表で衝撃音がして、レジのおばさんが「オモナ!(=あらま!)」と声を上げた。
 窓の外を見ると、車どうしがぶつかってすっ飛んできたらしく、タクシーが店の前の街路灯に正面からぶつかって凹んでいる。街路灯がなかったら、店に突っ込んできていたかも知れない。後から、ぶつかったもう一台も現場に戻ってきて警察が調べていた。幸いにもけが人はなかったらしい。

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右側面にぶつかられた衝撃で飛んできたらしい。真ん中で意気消沈している青い服の人が運転手。宿の部屋から撮影。

 フロントにキーを返したら、かの事故現場の前を通り、国鉄ヘウンデ駅前のバス乗り場から空港バスに乗る。ゆったり3列座席の素敵なバスだった。運転は韓国流で荒っぽいが。
 到着したのは大変立派な国内線ターミナル。国際線に乗る人は、空港内の循環バスに乗って、国際線ターミナルに移動しなければならない。国内線ターミナルと国際線ターミナルは意外と離れていて、一般道に出て走ること7〜8分、地方空港のような雰囲気の国際線ターミナルに着いた。

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とても小ぢんまりとした国際線ターミナル。女満別空港ぐらいの規模か。

 国際線ターミナルは平屋で、建物の左側が到着ロビー、右側が出発ロビーになっている。出発口を入るとすぐ手荷物検査、その先へ進んで右を向くと出国審査場、その先が待合室となっていて、こぢんまりとした免税店なんかがある。ここまで階段いっさいなし、というバリアフリー構造。まあそりゃそうだ。平屋だから。搭乗口は4つあり、といっても1つだけ簡単なタラップがあるだけで、あとは全部バス移動という地味さ加減。
 飛行機がまたそこそこ小さくて、ボーイング757という、通路を挟んで3列の座席が左右に並ぶ機材。ソウル−東京線だとボーイング747、つまり「ジャンボ」も含め毎日30便以上(羽田便も含む)が飛んでいるが、プサン−東京線ではこんなのが毎日3便だけ飛んでいる。ターミナルビルの大きさといい、輸送規模といい、いかにソウルに集中しているかがわかる。

 ものさしで東京からの距離を測ると、プサンは長崎や鹿児島と同じぐらいの位置にあることがわかる(ちゃんと直線距離を測るためには正距方位図法を用いなければならないが、まあだいたいね)。とても近い。国際線の場合、九十九里の方から回って成田へ入る分、長崎や鹿児島よりも若干遠くなるが、それでも離陸後1時間40分ぐらいで着いてしまった。

 税関では、係官と私でこんな会話があった。「今回はどういったご用事で」「観光です」「プサンでは何泊されました?」「1泊です」…嘘偽りなく答えているのだが、係官は「1泊ですか?」と驚いている。自分でも「それは確かに変な旅程だよなあ」という気がしたので、「下関から船に乗りたくて行ってきたんです」と答えたら、なるほどという顔をして笑顔で釈放してくれた。私の物好きな趣味を理解してもらえたような気が、ちょっとだけした。

 成田からはスカイライナーに乗って(千葉育ちの私は、今回初めて実用的な用途で乗った。過去に「乗るために乗った」ことはあり)、家に着いたのは16時。今朝は8時過ぎにプサンで目覚めたというのに。行きに列車と船による移動だけで28時間を要したことを考えると、ずいぶんあっけないものだと思う。ずいぶん遠いところへ行ってきたはずなのに。

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スカイライナーのお供には、オシャレモーテルの冷蔵庫からもらってきた缶コーヒー。

 初めて国際航路に乗って、別の国に入港していくありがたみを知ってしまった私は、日本周辺の国際航路にどんどん乗りたくなってきた。そしてやがては、富山からロシアのウラジオストックに渡り、バスで国境を越えて中国へ入り、上海あたりからまた船で帰国…なんてことができたらいいなあと、いつ叶うとも知れぬ夢を見始めるのであった。
 今回、「出国 KANMON」というスタンプが押されたのを見て、もっともっと珍しい出入国のスタンプが欲しくなってしまったというのも、かなり紛れもない真実。ウラジオストック行きルーシー号は高岡の伏木港から出るので、「FUSHIKI/TOYAMA」というスタンプが押されるらしい。沖縄から台湾行きの船で押されるという「ISHIGAKI」とか。ああ欲しくてたまらん。

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下関の港で押された「出国 KANMON」スタンプ。もっといろんなの集めたい。

プサンへの道 おわり

プサンへの道〜3日目

 6時半ごろ目が覚めた。船は止まっている。間違いが起きて止まっているわけではなく、これは毎朝のこと。下関を19時に出てまっすぐ行くと、3時ぐらいにはプサンに着いてしまう。しかし、3時に着いたところで、税関も入国審査もやっていないので、それまで沖でプカプカ浮かんで待ち、やがて入港、8時半に下船する。ただし月曜日に限っては8時らしい。なぜなんだろう。

 7時半ごろ、船はおもむろに動き出し、入港する。東京を出て約38時間。やっと、目的地プサンに着く。船で別の国にゆっくりと入って行くというのは初めての経験だが、かなり感慨深いものがある。飛行機で時間短縮もそれはいいことだが、遠くへ行くには、やはり時間をかけるのが適当である、ということをしみじみ思う。何がだか分からないが、とてもありがたい感じがする。

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デッキから眺めるプサンの街。だんだん港に近づいていくのは、なかなか感動的である。

 入国審査と手荷物検査(下関出国時にはしなかった)、税関を通り、やっと韓国に上陸。
 しかし、まだ朝の9時。さあどうするか。市街地を歩いてもただの地方都市だから見るものもあまりないし、プサンタワーは上ったことあるし、1人で水産市場を散策しても特に面白いことはない。プサンの郊外にヘウンデ(海雲台)という、私の好きな海があり、宿はそこにとろうと思っているので、まっすぐそこへ向かうことにしよう。温泉場でもあるので、風呂に入って休憩できる「健康ランド」みたいなものがあったはずだ。

 それにしても、フェリーのチケットに関して予想外の出費があったので、金がない。財布の中の全部を両替したが10万ウォンちょっと。宿代が4〜5万ウォン程度とすると、いくらか心もとない。ということで、クレジットカードで金を10万ウォンを引き出す。便利な世の中になったものだ。さすが外換銀行(外換は韓国語で外国為替のこと)、ATMは日中英の多言語対応であった。
 
 チュンアンドン(中央洞)のバス停からヘウンデ方面行きのバスに乗る。ヘウンデへは最近地下鉄も通ったが、韓国へ来た気持ちになるには、路線バスで景色を眺めながらの移動が望ましい。バスの中で、「韓国は湿気がないから、夏は日差しが強いなあ」などと考えていたら、ひとつ大事なことに気づいた。私は、夏の盛りに海水浴場へ向かっている。海水浴場というのは夏、大変に混雑するところだ。…平日とはいえ、宿は取れるのか?いささか不安になってきた。

 バスに揺られること約30分。ヘウンデ海水浴場で降りる。浜へ出てみると、そこは人人人でものすごいことになっていた。平日というのに、波打ち際にはレンタルのパラソルがびっちり並んでいる。休日になったらいったいどうなってしまうのだろう。

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この大混雑。レンタルのパラソルで浜は一色に染まる。

 さて、そんな状況を見てしまい、かなり雲行き怪しい感じだが、ひとまず片っぱしから行くつもりで、宿をあたってみよう。目指すは旅館とかモーテルと名のついたところ。こういった宿の用途は、旅行者向けの安宿でもあり、ラブホテルでもあって、そのへんの区別は韓国にはない。でも、いかにもラブホテル然としたところもあるので、見極める技術が必要だ。あたりが外れて、布団や鏡台などがピンク色の部屋や、避妊具の自販機が据えてある部屋に泊まったこともある。

 ちょっと歩いて、わりと新しくてきれいそうなのを見つけた。1軒目、その名は「オシャレモーテル」。韓国語を訳すとそうなるわけではなく、実際にそういう名前なのだ。雑居ビルの中なので、味わいには欠けるがよさそうなにおいがする。

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このビルの4階から6階が旅館になっている。「シ」と「ャ」で一文字と認識されている感あり。

 フロントでおばさんに、空き部屋があるか聞いてみると、「ありますよ」。じゃあ、今からでも入れるか聞くと、「いいよ」とのこと。キーと歯ブラシをもらって宿代5万ウォンを支払う。宿探しに苦労することを予想していたのでいささか拍子抜けするぐらい、あっさり決まった。
 部屋はオートロックで、入ってみるとなかなか広く、エアコンあり、冷蔵庫、冷水器あり、テレビも大きくてNHKの衛星放送も映る。なかなか申し分ない部屋である。夏の海辺においてこれは大当たりだろう。
 
 ただ、宿帳なんか何も書かないし、雑居ビルなので、フロントが4階にあるものの、5階・6階の部屋からはそのまま下に降りられる。セキュリティーの面では、どうかな?というところもあるが、私は平気。とにかく部屋を冷やし、重力に従順になり、早く宿に入れたありがたみを全身で享受する。つまり昼寝をする。

 午後、街へ出る。繁華街ソミョンや、市内中心部へ行き、欲しかったCDと本を買う。市内でしたことはそれぐらい。今回の旅はプサンへ来ることが目的だったので、来てしまえば大してすることはない。

 夜、浜に出る。そこいらで夕食を済ませ、浜に降りる階段に座って一人でビールを飲む。人々が楽しそうにはしゃいでいる浜辺にあって一人、まるで関係なく路傍の石のごとくたたずむのは心地よいものだ。
 少々アルコールの回った頭でぼやんと考える。今回の旅のこと、これまでのいろんなこと、これからのいろんなこと。考えているうちに腹が減る。キンパプ(のり巻き)を食べたくなった。散歩がてらキンパプ屋を探して持ち帰りにしてもらい、また浜に戻って、ぼやんと考えながらつまむ。さっき、夕食を食べたばかりなのに、よく食べるものだと思う。

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夜でもこんなに人がいる。でも昼間よりはずいぶん静か。

 浜には1時間半あまりいただろうか。もう11時を過ぎたので宿に戻り、そのうち、KBSのテレビで愛国歌(韓国の国歌)が流れるのを聞いたらなんだか1日が終わった気がしたので、寝た。
 3晩目にしてやっと、揺れない床で眠ることができる。でも、これまでずっと揺れていたので、体がそれに慣れてしまって、揺れている感じがする。

プサンへの道〜最終日へつづく

プサンへの道〜2日目(その2)

 福浦本町バス停で40分ほど待って、やってきたバスはちょうどいいことに唐戸(からと)行きだった。唐戸は、市役所などもある下関市の中心地で、海峡横断手段の3つ目、門司へ渡る船がそこから出る。
 バスに揺られること40分余り、唐戸へ到着。バス車内のアナウンスによると、「からと」のアクセントは、「ら」だけが高くなり、「低高低」となるのが地元流らしい。標準語の感覚だと「らと」が高くなって「低高高」というアクセントで読みたくなるが、標準語アクセントで人に道を聞いたりすると、よそ者であるのがばれる。

 船は20分ごとに運航していて、16時の便がすぐでるところだったので飛び乗る。乗客は10人ぐらい。自転車を持ち込んでいる人もいる。こんどはさっきのフェリーと違って小さくて速いのでよく揺れる。潮の流れの速い関門海峡をこんな小さな船で横断するので、跳ねるように揺れ、5分足らずで着いてしまった。運賃はわりと高くて390円。下関の中心部から発着するという利点はあるが、もうちょっと安くてもいいのではないかと思う。

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「関門汽船」という社名なので、もっと大きい船かと思っていたら、びゅんびゅん走る高速船だった。

 港から少し歩くと、門司港駅に着く。門司港駅の駅舎は、九州最古の木造駅舎で、国の重要文化財にも指定されている。駅に並んで車庫もあるので、市街地の中にあって駅周辺だけ、やたらと空が広い。車庫に併設して九州鉄道記念館というのがあったが、閉館時刻が近いし、18時にはフェリーターミナルに戻らなければならないので、残念だが次の機会ということにした。

 4つ目の方法は歩き。関門国道トンネルは自動車専用の車道の下に、歩行者・自転車用の人道がある。幼いころにみた学習図鑑「のりもの」の巻に、関門海峡トンネルの断面が描かれていた。丸い筒の上半分を自動車が走り、下半分が人の歩く通路になっていた。余談だが、その図鑑10巻ぐらいのセットのうち、「のりもの」と「こんちゅう」の2巻だけが、落書きと破れでひどい姿になっていた。ほかの巻はどんな内容だったのか、覚えてもいない。ろくに開きもしなかったのだろう。

 人道の入口は門司港駅からバスに乗って約10分。その名も「関門トンネル人道口」というバス停で降りると目の前にある。

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九州側の人道入口。

 エレベーターで地下へ降りると、変な休憩スペースのようなものがあり、その先から、海の下をくぐる通路が伸びている。

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トンネルの始まり。右側通行でお願いします。

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ちょうど中間地点。ここから山口県です。

 もっと暗くて人気もなくて、後ろから誰かに追いかけられてるような気がする通路なのかとおもっていたら、そんなことはない。殺風景ではあるが、壁面には絵が描かれていたり、途中ブラックライトで星空を照らし出しているような部分もある。ウォーキングの人や自転車を押している人など、けっこう人の通りはある。換気だけしていて、冷房はしていないらしくてとても湿度が高く、やや暑い。歩く時間は10分ぐらい。
 本州側にも全く同じ変な休憩スペースとエレベーターがあり、上がってみると、全く同じ建物が建っていた。

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本州側人道入口。後ろに見える斜帳橋は、高速道路の関門橋。

 時刻は17時半。バスで駅まで戻り、ロッカーから荷物を取り出して、再度フェリーターミナルへ向かう。

 キャンセル待ちの者である旨、窓口の女性(今朝もいた人)に言うと、もうちょっと待っててくださいと言われ、今朝していたのと同じように、テレビを見る。朝と同じチャンネル、夕方のローカルニュースの時間である。

 もう誰も乗らないのが確認できてから、私の順番が回ってくるわけなので、ロビーの人は誰もいなくなり、売店も、手荷物託送窓口も閉まり、見ていたテレビも消されてしまった。本日の営業終了ということである。そこへ男性の係員がやってきて、だらしない口調で私に聞く。曰く、
 「2等はもういっぱいでえ、1等の4人部屋が1つしか空いてないんですよう。4人部屋を1人で使うと3,000円のチャージがかかりますけど、どうしますう?」

 しばし考える。1等の通常料金12,500円に追加料金3,000円で15,500円。2等雑魚寝が9,000円であることを考えると、そう高くないし、明日の昼間に福岡からのフェリーか高速船を使うにしても、またキャンセル待ちでどうなるかわからないし、明日の便に乗るためには、今日の宿代がかかる。というわけで、1等の4人船室を独り占めという、とても楽しいことになった。1等のさらに上の、特等室の乗客というのがいるのか知らないが、その人がいなければ、私が、船内で一番高い金を払って乗った客ということになる。
 夕べは寝台車の揺れであまりよく眠れなかったから、今夜はちゃんと寝ろよ、ということかもしれない。いずれにせよ、乗れてしまえばこっちのものである。

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ベッドは4つ。どこでもお好きな所へどうぞ。

 ボーーーッと汽笛が鳴り、出港。デッキで見ていると、岸がゆっくりと船から離れていく。

 出港してしまえば、あとはすることは幾つもない。船旅というのは、時間は十分にあるが、できることは限られているのだから、退屈である。だからこそ、たいへん優雅である。
 ゆっくり風呂に入り、食堂でゆっくり食事した。さらに国際航路なので、酒・たばこが免税である。私はたばこは吸わないが、缶チューハイを買って、デッキで潮風を浴びながらゆっくり飲む。向かって左側のデッキにいると、いつの間にか夕日が海の向こうに沈みきって、気付くと夜の闇に包まれていた。

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免税ビール。500ml缶が220円で、350ml缶が170円。

 船内のアナウンスを聞いていると、韓国のなんとか青少年連盟の子供たちが団体で乗っているらしい。船内放送で「廊下で騒がないように、お風呂でふざけないように、ゴミをちらかさないように…」と、やかましく注意されている。そのほかにも、九州旅行の団体などもいるようで、韓国側からの団体利用が多いらしい。関釜フェリー所有の「はまゆう」という船(韓国側は釜関フェリーの「ソンヒ」)だが、フロント係も、レストランの厨房・ウェイトレスもほとんど韓国人のようである。乗客も韓国人が多いので、船内に流れる空気は韓国そのものだ。

 さて再び、4人部屋に戻りテレビを見たりして過ごす。ベッドに入ると、ゆわーんゆわーんという揺れが少し気になったが、やがてそれにも慣れて、眠りについたらしい。2等船室で、運び屋おばさん達に紛れて眠ることを予想していたので、100円ショップで耳栓を買ったのだが、必要なかった。

 乗船口の手前ですでに半券をもぎ取られ、急かされて税関と出国審査、手元に残った半券も、乗船するや否やフロントで個室の鍵と交換されてしまったので、チケットの写真を撮ることはおろか、何が書かれていたのかもろくに見ていない。

プサンへの道〜3日目へつづく。

プサンへの道〜2日目(その1)

 夜行列車では21時から6時の間が「寝る時間」で、毎晩寝るのが1時や2時の私などにはとてもマッチしにくい早寝早起きを基本としている。そのため5時58分発車の岩国を出ると、車内放送が始まる。それで目が覚めた。曰く、次は柳井である。停車駅の案内をするが、柳井、下松、徳山、防府…と、「ああ、そんな地名があるよなあ」という感じで、いまいちピンとこない。ずいぶん遠くまで来たものだ。

 窓の外を見ると海だ。ちょうど真東に向いていて、朝日が入ってくる。通過する駅を見ていると、東海道本線に比べて、山陽本線はだいぶひなびた感じがする。無人駅も多いようで、改札口に切符を回収する箱を取り付けてある駅が多い。普通列車の編成も概して短く3両編成ぐらいで走っているが、貨物に関しては別格で、東海道本線と同様の長大な列車とすれ違う。

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大畠(おおばたけ)駅を通過する時に見えた立派な橋は大島大橋。橋の向こうは周防大島こと屋代島。

 8時32分、東京出発から14時間半かかって下関に着いた。列車は、ここで機関車を付けかえて関門トンネルに入っていくので、先頭まで行けば機関車の付け替えシーンを見ることができるが、荷物を持って客車10両分200メートルを歩くのは億劫なので、やめにした。
 それよりも、とにかく下関に着いたら、国際フェリーターミナルへ行ってみなければならない。今夜乗るプサン行きの関釜(かんぷ)フェリーの切符をまだ持っていないのだ。関釜フェリーの空席状況はネットで調べられるのだが、連日満席が続いていた。でも、現地に行ってみれば何とかなるだろうと思って、ひとまず下関までやってきた。

 国際フェリーターミナルは駅から歩いて約7分。来てみたら、窓口は10時半に開くというので、駅に戻ってうどんを食べたり、新聞を購入したりした後、フェリーターミナルのロビーでテレビを見ながら、窓口が開くのを待った。テレビで流れていたのは福岡のテレビ西日本。映画紹介のコーナーでは、女の子がCGで屋根の上に座って人形と話していて、TVKのsakusakuそっくりだった。

 10時半に窓口が開き、今夜の空席の状況を聞いてみると、やはり満席とのこと。キャンセル待ちの登録を依頼し、「空席待ちカード」を発行してもらった。番号は1番。けっこう余裕で乗れそうな気がする。

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栄光のキャンセル待ち1番。これをもらえば時間をつぶすのみ。

 窓口の女性によると、乗れるかどうかは18時頃に判明するという。ということは18時までの約7時間、自由時間ができたということで、4つの方法で、関門海峡のこっちとあっちを行ったり来たりして遊んで来よう。

 海峡横断の1つ目の手段は鉄道である。こういうことをするのを見越して、乗車券は小倉まで買ってあった。それを下関で途中下車した格好になっているので、その切符で引き続き乗れる。
 8番線に停まっていた新田原行きの列車に乗ると、間もなく発車し、トンネルに突入。下関を発車して約6分で門司に着いた。トンネルに入った後、出る前の勾配と、トンネルを抜けて門司駅に入るとJR九州の駅名表示になっているのを見て、海の下を越えてきたのだと理解するが、それ以外は特になし。ただ、JR九州の普通列車が常磐線と同じ色なので面白い。

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小倉に到着。決して上野駅の10番線と11番線ではない。

 小倉駅の改札口を出ると、駅ビルのコンコースの中にモノレールが止まっている。この駅ビルから飛び出していくモノレールにはまだ乗ったことがなかった。時間は有り余っているので、終点の企救丘(きくがおか)まで往復する。しかし睡眠不足が祟り、往復とも半分ぐらいずつ居眠り。

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駅ビルに中にモノレールが止まっている様子は、初めて見る者には衝撃的。

 2つ目の海峡横断方法はフェリー。小倉の日明(ひあがり)港から下関の福浦港の間をカーフェリーが就航している。乗り場まで行くには、小倉駅北口から中央卸売市場行きというバスに乗り、終点から歩けば行けるらしい。モノレールを往復してきて、時刻は12時48分。バスの案内を見ると、13時00分の便があり、その後はなんと16時10分。朝、うどんを一杯食べただけなので空腹だが、フェリー乗り場まで行けばレストランでもあるだろうと思い、バスに乗った。

 埋立地の中を淡々と走り、終点の中央卸売市場に到着。本屋で地図を見て、北東方向を目指していけばいいらしいことがわかっていたので、そっちへ歩く。九州は南中時刻が遅いので、まだ太陽は頭の上にあり、日陰がない。
 15分ぐらい歩いたころ、遠くに「下関行フェリーのりば」という文字の書かれた小屋が見えた。想定していたフェリーターミナルとは違い、渡船場といった趣きである。
 幸いにも小屋の右半分が食堂だったので、ぶた丼を注文。飯の上に千切りキャベツをのせ、甘辛い味で焼いた豚肉をのせたものだが、トラックの運ちゃんが好みそうなデフォルト大盛りで、とうとう食べきれなかった。

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「フェリーターミナルとレストラン」ではなく、「船付き場と食堂」だった。

 こんな場所なので、みな車ごと乗船する人で、徒歩で来て乗ったのは私だけだった。トラックと乗用車合わせて10台程度。ここまでさんざん歩いてきてくたびれたので冷房が中ぐらいにきいた船室から、ゆったりと流れる窓外の景色を眺める。

 10分ちょっとで福浦港に到着。バスがあるのだろうと思って案内図を見ると、海沿いに歩いて行けばバス停があるらしい。港周辺のだいたいの案内図なので距離はわからないが、バス停の表示があるということは、歩いて行けない距離ではないのだろう。
 またも炎天下の徒歩行軍となり、15分ぐらい歩いて「福浦本町」というバス停を発見した。40分の待ち時間がある。本町といっても、町はずれの最後の集落といった場所で、バス停の周辺には店の1軒も見当たらない。

 とにかく日陰で休みたいと思い、バス停のちょっと手前に「福浦金刀比羅宮」という神社があったのを思い出した。神社は山の上にあり、石段が延々と続いている。その段、実に279段。実際に上がってみて数えた。これまでさんざん炎天下を歩いてきただけに、かなりこたえた。途中で何度も休みながら、なんとか上りきり、石段の最上段に腰かけて30分ほど休憩。下を見ると目がくらむような高さだ。

 フェリーはまったく車のための輸送手段であって、本州側、九州側とも徒歩客にとっては連絡が悪く(九州側は着いたところで数時間バスが来ないことがある)、人におすすめはできない。そんな立地なので、徒歩客を相手にしている「JTB時刻表」なんかには、このフェリーは掲載されていない。

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福浦金刀比羅宮の鳥居をくぐるとまっすぐに延々とのびる石段

長くなってしまったので、プサンへの道〜2日目(その2)へつづく。

プサンへの道〜1日目

 韓国のプサンへ3泊4日で行ってくる。だが、飛行機で行くのではつまらないので、下関まで列車に乗り、プサンへはフェリーで渡る。だから、3泊の内訳は車中1泊、船中1泊、地上で1泊となる。列車と船で時間をかけて行くというのは旅の目的であって、プサンに滞在するのはほんの27時間程度。プサンには申し訳ないが、特にプサンに見たい所があるわけでもない。
 
 乗る列車は、18時03分発の寝台特急列車「はやぶさ・富士号 熊本・大分行き」である。九州に入って門司で切り離し、前6両が「はやぶさ号 熊本行き」、後ろ6両が「富士号 大分行き」になる。列車番号は、最上級の優等列車を意味する「1」。JRの列車番号は、最大4桁の数字と、アルファベット1文字(ない場合もある)の計5桁からなっているが、その数多ある列車番号の中のトップナンバーがこの列車だ。昔は夕方になるとひっきりなしに東京駅を出発していた九州行きの寝台特急列車は、今ではこの1本だけ。まさに風前の灯である。

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富士号大分行き。昔は24時間以上かけて西鹿児島まで行っていた。

 この列車は長距離走るにもかかわらず、シャワーも車内販売もないので、銀座1丁目の銀座湯でひとっ風呂浴びて、幕の内弁当と缶チューハイを買いこんで、列車に乗り込んだ。風情を楽しむのではなく、必要に迫られて弁当を買う場合、幕の内が適当である。幕の内は、やはり定番弁当だけあって、特別うまいこともないが、決してまずいことはない。

 発車時刻が近づく。こういう長距離列車がなくなり、新幹線が珍しくもなくなった昨今、「お見送りの方は列車から降りて…」という旅情を感じるアナウンスを聞くことがなくなったが、ここではまだ健在だ。そして18時03分、ホームの人々に見送られながら、ガシャンという客車列車特有の衝撃とともに、東京駅を出発した。

 私の寝台は10号車、後6両の「富士号」である。それの17番下段。地元の駅の窓口では「下段」とだけ指定したところ、この17番下段があてがわれた。通常、開放型寝台というのは、上下段×2の計4人で1つの部屋のような空間を形成するようにできているが、この17番に限っては、向かいは壁である。だから、上の人がこなければ私の占有スペースとなる。占有スペースがよければ1人用個室寝台を取ればいいではないか、と言われるかもしれないが、個室寝台はカプセルホテルよりも窮屈そうだし、開放型寝台のように列車の左右両方の景色をみることができない。そんな理由で、私はたとえ向かいの人がいようとも、開放型寝台の方が好きだ。

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17番寝台の向かいは壁。上の人が来なければほぼ個室。

 横浜を過ぎたあたりで、車掌さんがやってきて、上段の荷物入れに業務用のオレンジ色の袋を押し込んでいったので、どうやら上は誰も来ないようだ。それはありがたい。

 しかし、それにしてもこの列車はよく揺れる。客車列車というのは、動力が分散されている電車と違って、先頭の機関車1台で全車両を引っ張っている。そして、引っ張られている側の客車は、動力源がなくて軽いから簡単に前後に動く。そのため、後ろの車両に来るにつれて、加速・減速時、また停車・発車時の衝撃が大きくなり、ガシャンが発生する。私が乗っているのは10両目。つまり「かなり揺れる方」ということになる。ぼろいせいで、走行中の横揺れもひどい。製造後30年を経過した車両で、毎日毎晩、酷使されてきた車両だから、やむをえないのかもしれない。

 その後停車するのは、熱海、沼津、富士、静岡、浜松、豊橋、名古屋…とだいたい30分から1時間ごとに停車する。静岡到着が20時35分。世の中は平日であり、人々は活動している。ホームで次の電車を待ってる人は、風呂上りのタオルをハンガーに引っかけて、寝転がっている人を見て、何と思うのだろう。

 静岡を発車して、やがて21時。消灯時間になったが、その間隔で駅ごとにガシャンとやられるので、眠ってはいられない。ずっと記憶があるわけではないので、途中ではうとうとしたのかもしれないが、1時06分到着の大阪まで停車駅はすべて覚えている。やはり、減速・停車時のガシャンで目が覚めてしまうらしい。

 新幹線でも高速バスでも、大阪の町に入って来ると、「人々が違う言葉を話し、文化の違う所へ来た」という気持ちになる。大阪に引っ越した友人はちゃんと暮らしていけてるのかな…というようなことを、ふと考えたりする。もちろん、名古屋だって広島だって福岡だってそうなのだが、大阪の場合、なぜだか特に、そういう不思議な感慨を覚える。

 もう発車する列車もなく、人気のない大阪駅に2分停車すると、次は、夜が明けかける頃に広島に停まる。途中、岡山でも運転の都合で停車だけしたらしいが、幸いにしてガシャンには気づかず、この時間になってやっと眠りにつけたようだ。

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東京駅で先頭を撮りに行こうと思ったら、なんと機関車の位置は柵の向こう。サービス悪い。

プサンへの道〜2日目へつづく

サイダーを飲み比べる。

 近所のダイエーで、地方メーカーのサイダー(地サイダー)が何種類か並べて売られているのを見た。それがなぜか大々的にポップを貼るわけでもなく、実にこっそりと。

 酒蔵の数ほどではないが、中小炭酸飲料メーカーというのは日本全国にけっこうあり、サイダーやラムネといった、単純で素朴なものを作っている。
 これらの炭酸飲料は概して、とてもさっぱりしていてうまい。三ツ矢サイダーやキリンレモンなどと違って、香料をあまり使っていないので、後味が何も残らない。そんな味が好きで、見かけるとつい飲みたくなる。

 午前中、掃除を終えた妻に「地サイダー全種類買ってきてもいい?」と聞いたら、妻は暑くて頭がぼんやりしているので「いいよ」と言ってくれた。

 ということで、買ってきたのがこれ。全6種。各118円也。
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 左から順に、
 ・フジサイダー プレーン(愛知県安城市 フジコーポレーション)
 ・北海道ビートサイダー セピアのしげき(北海道苫小牧市 丸善市町)
 ・キンセンサイダー(佐賀県唐津市 小松飲料)
 ・日の丸サイダー(愛知県海部郡 森川飲料)
 ・倉島ミネラルサイダー(北海道岩内郡 倉島乳業)
 ・横浜サイダー(神奈川県川崎市 川崎飲料)

 さて試飲。と言っても、全部いっぺんに飲むのは不可能なので、今日は倉島ミネラルサイダーを開ける。予想を裏切ることなく、しつこくなくてうまい。味つけ控え目でうまいのだから、きっと水の質がいいのだろう。

 地サイダーの中には、「××鉱泉サイダー」という名前の製品があるし、メーカーも「○○鉱泉」という社名が珍しくない。炭酸ガスを多く含む水が湧いたので、これに甘味をつけて飲んでみたらうまかった…というのが由来らしい。三ツ矢サイダーもそれが発祥だという。だから、地サイダーは水自体がうまいのだ。

 後味が何も残らないと書いたが、サイダーの記憶はどこへやら。飲み終わった後の今の口の中には、その前に食べたぶっかけうどんの、かつおだしとねぎの後味が漂っている。

 

公園で本を読む。

 埼玉県東部というところは海も山もないので、はっきり言って遊び場に乏しい。ただただ、どこまでも平坦な地面が続いている。そのため、その平らな土地を利用した、だだっぴろい公園が多い。今日は、そんな公園の中の2つ、さぎ山記念公園と見沼自然公園に行ってきた。

 東川口からバスで約20分で、さぎ山記念公園に到着する。
 さぎ山記念公園は池があって、いい天気の空の下、おじさん達が釣りをしている。草の葉の裏にセミの抜け殻がくっついている。歩いて行くと、木の幹、コンクリートの壁など、あちこちにくっついている。中には堂々と道の真ん中で羽化したらしいやつもいる。

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ぬけがら。よく撮れた、と思う。

 と、ちょっと歩いたらさぎ山記念公園はすぐに終わってしまった。意外に小さい。結果、セミの抜け殻を観察しただけで終わったが、まあいい。そのままの足で用水路にかかる橋を渡り、見沼自然公園に入る。
 池があって、広大な芝生の広場があって、ひたすらだだっ広い。広い芝生の上を歩くと、前後からトンボやらツバメやらがぶんぶん飛んでくる。

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東京には空がないと智恵子は言ったが、埼玉は空が広すぎる。見沼自然公園の池ごしに見た青空。(左右2枚の写真を合成)

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木の下の芝生にはもぐらの穴が無数にある。 

 7月27日の日記で書いたようにプサン行を控えているので、今日は韓国旅行の参考書を持ってきている。

 その参考書とは、「定本 ディープ・コリア」(青林堂刊)。すでに絶版になっているが、韓国と韓国人の本質を描き、大らかに笑い飛ばす名著である。20年近く前の旅行記なので、写真などはかなり古いものになっているが、本質を見抜いて書かれているだけに、決して内容が古びることはないと思う。
 しかし、なによりも中の漫画や写真が下品だ。それに、まだ韓国未体験の人や、韓国歴が浅い人は変な先入観を持ってしまうといけないので、読まない方がいいかもしれない。古本屋で見つけたら手にとってみるといい。中身を見ずして通販などで買ってはいけない。

 本についての解説はさておいて、ベンチに寝転がって読書。夏の暑い日は、うちの中にいるよりも、風が通る木陰にいたほうが断然涼しい。都心の公園は、公園にお住まいのおじさま方が使えないよう、ベンチの真ん中に仕切りがあったりするが、埼玉の田んぼの中の公園にはそんなものはない。すぐ脇にゴミ箱があるので、ジュースを飲み終わったら、鼻をかんだら、ほいっと放り投げればOK。なんという素晴らしいアメニティ。

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こんな虫がやってきた。たぶんシデムシ。生き物の死骸を食べて暮らす、いないと困る虫。

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池の脇には鴨。鴨。鴨が休憩中。

 夏の暑い日は公園の木陰で読書。大変気に入った。こんどは、家から歩いて15分ぐらいのところにある「県民健康福祉村」に、また本を持って繰り出してみようと思う。寝転がるなら、敷き物持参がいいかも知れないな。

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Author:きちい
好きなこと:
ぷらっとそのへんへ出かけること。もちろん遠くへ出かけることも好き。それから、おいしいものを作ることも好き。
住んでいるところ:
埼玉県の川口と浦和と岩槻と越谷の境目のあたり。

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