2007-10

埼玉が生んだキャラクター

 無表情の「キャラクターもの」というのがけっこうある。

 たとえばリラックマとか、こげぱんとか、たれぱんだとか(ちょっと資料が古かったかも。その後どんなのが生まれているかはよく知らない)。大御所ではミッフィーもそれに含まれると思う。「ムヒョキャラ」という1ジャンルとして、『現代用語の基礎知識』に掲載されたこともあるそうだ。

 と、メディアに取り上げられることで流行っては消えてゆく、キャラクターの栄枯盛衰とは無関係に、自らの道を歩む「無表情キャラクター」が埼玉にいた。

 それは、山田うどんのかかし。名前は知らない。そもそも名前があるのか?と。
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 山田うどんとは、埼玉を中心に展開するうどんチェーン店で(ホームページはこちら)、田んぼの中の県道沿いによく立っていたりする。特別うまくはないが、時々食べたくなる。どのメニューをとっても量が多くて、30代、やせ形、肉体労働をしない私のような者は、食べ終わると「あ、もういいです…。ありがとう…」と、半ばぐったりした気分になるのが特徴である。

 山田うどんが、いつから「かかしのマーク」なのか知らないが(でも私が物心ついたころ、約30年前にはすでにかかしだった)、以来ずっとこの無表情を貫いてきたわけで、ミッフィーの向こうを張る、日本における「無表情キャラクター」の先駆けと言えるのではないかと思う。

 ところが、その山田のかかしに最近、いろいろなバリエーションができてきている。

 たとえば、通販のカタログのこんなの。食べるかかし。
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鼻歌交じりに届けるかかし。(ほかにこのページに「調べるかかし」と「学ぶかかし」があります)
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メニューのカレーのコーナー。インド風かかし。
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ちょっと高めのメニューを集めた「スーパー麺コーナー」(いかにも山田らしい垢抜けない名前である)というページの…、おーい!かかしじゃないぞ!
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 山田うどんを知らなかった人には「それがどうした」と思われてしまうかもしれないが、あくまでかかしなのだから、ボディの部分があるのには違和感があり、これにはちょっとばかし異議を申し立てたい。埼玉育ちの妻も言っている。「これは山田じゃない」と。

 それにね、さらなる大きな問題点というのがあって、どうも顔も違うよなあ…と思ったら、なんと口だったところが鼻になってしまっていた。ていうか、僕らが口だと思っていたところは、本当は鼻だったのか?と、長年にわたって築かれてきた僕らと山田との信頼関係が揺らぐほどの…って、まあそれほど大げさなもんではないが、ちょっと納得しかねる。

 最後のやつの「問題の部分」はひとまずおいとくとして、どうも山田は、あのかかしの「キャラクターとしてのポテンシャルの高さ」に気づき始めてしまった感がある。実際、山田のかかしが食べていたり、運んできたりする絵は正直言ってとてもかわいい。

 山田としては、そもそも「無表情キャラクター」として設定したつもりはないだろうから、どんな表情を見せてくれてもいいのだが、山田のかかしがだんだん無表情ではなくなっていくというのが、僕らのかかしが僕らのもとから去って行ってしまうような、とまあ、そんな淋しい気持ちがしないこともない。僕らって誰なんだか。

 ひとまず、表情や動作のバリエーションは増えてもいいが、やはり姿は変わらずかかしであってほしいと願いたいところである。


 ところで…、

 会社のホームページによると、山田うどんの会長夫妻が今年の春の園遊会に呼ばれたそうである。天皇陛下とどんな話をしたのか。そもそも陛下は山田うどんを知っていたのか。「いつでしたか、植樹祭の帰りに、寄らせていただきましたよ」…いや、それはないない。

大砲を使ったコンサート in 朝霞駐屯地

 「大砲を使ったコンサート'07」ってのを聞きに、陸上自衛隊朝霞駐屯地に行ってきた。

 数日前、妻がyahooのニュースで「こんなのやるよ」と教えてくれたのを聞き、「これはまずい。行かねばならぬ」と思って、友人数人にメールしたところ、4日前に連絡したにもかかわらず、2人(+子1人)の参加があった。

 キャッチコピーがすばらしい。

「今しか聴けない、ここでしか見られない!大砲と音楽の融合」

そりゃそうだろう。ふつう、融合しない。

 その、大砲と音楽が融合するのは、ロシアの作曲家、チャイコフスキーの「大序曲 1812年」。ナポレオンのロシア遠征に勝ったことを称える、その曲の楽譜には、"cannon"(大砲)とわざわざ指定があるそうで、つまり、大砲でやらないとそれはパチもんということになる。
 2004年の観閲式で大砲を披露したら大好評だったもんで、3年に1度の観閲式のプレイベントとして、今後も続けていく予定らしい。

 12時の開場前に着くよう、けっこう余裕を持って行ったつもりだったが、会場に着くと、楽団に近い正面の方はもう既に席が埋まっていて、座ったのは、「ああ、あっちの方に楽器の人がいいますね」というあたり。ところが、大砲がすぐそこ。ていうか、これを目的に来たのだから、むしろここでいいんです。
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ブラスバンドはずーっとあっちの方にいる。空にはなんだか飛行船。

 で、その大砲ってのはこのぐらいの大きさ。奥に見える旗を持った人(1挺に1人ずついる)がいて、この旗が振り下ろされると、発射される。左手に楽譜を持って見ているらしい。発射間近。
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 演奏中でも、「まもなく大砲の音が入りますのでご注意くださーい」と、係の人が大声でこっちに向かって叫ぶ。すると、合図の旗が振り下ろされ、ボガーン!ボガーン!とぶっ放す。いざ鼓膜を破らんばかりの爆音である。近くにいた子供は、すっかり恐れをなしてしまい、ぴったり耳を塞いで、「来る?来る?」と、お母さんに頻りに聞いていた。

 席がブラスバンドから遠く、楽器によって音の届く時間が異なるため、スピーカーから出てくる音と、遠くに反響して返ってくる音で、演奏と大砲のタイミングが合ってるんだかどうなんだか全然わからない。しかしまあ、そんなことはこの際どうでもよい。とにかく、いいものを間近で聞かせていただいて、大変満足である。
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ボガーン!
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ボガーン!
(デジカメで撮った動画なので、画像粗い)


 その他にも、ベートーベンの「ウェリントンの勝利」(これも、小銃を使うよう指定がある)をライフルを使って演奏。原譜どおりの演奏は日本初演だとか。
 それからマーチング(これは遠くて全然見えなかった)、和太鼓、漫画家松本零士氏をゲストに迎えて(1枚目に載せた写真でバンドの前で座っているのが写ってる)「宇宙戦艦ヤマト」とか、そんなのもあった。 

 入場前には原っぱの中にX線検査と手荷物検査があり、缶・ビン・ペットボトル等は事前に飲むか捨てるか紙コップに移さなければならない。でも、そうちゃん(友人の子4才)は水筒を持ってきていたので、仕方なく入口で預けてあった。それが預かられていたのが、ロッカーなんかじゃなく、なんとカーキ色のテントというのが、さすが自衛隊らしくて素敵だった。

 昨夜まで雨が降ってて心配だったけど、今日はいい天気でよかった。次回は3年後、面白いからまた行ってみたいと思う。
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広報センターに展示してあった戦車。叩いたらまるで鉄じゃなくて、コンクリートみたいな音がした。

図書館で本を借りた。

 図書館で本を借りた。飛鳥童(あすかわらべ)作「フーテンすってんてん」。アリス館という出版社の、「図書館文庫」という子供向けシリーズのうちの1冊。
 内容はというと、アメリカへ渡って仕事をするはずだったのが急にキャンセルになってしまった。そこで、全財産をはたいてボロ車を買い、家財道具一式詰め込んで、行き先も定めず東京を出発、その車に寝泊まりして、80日かけて日本一周した旅行記である。

 実はこの本をずっと読みたいと思っていた。正確に言うと読み直し。というのは、この本は、私が小学校5年か6年の時、満足に読書感想文を書けて、先生にも誉められた唯一の本なのである。
 そのほかの年の読書感想文はみな、あらすじにちょこっと感想を添えて、「宿題提出の義務は果たしました」という程度のものだったが、この本はどんどん読めたし、感想もどんどん書けた。

 その本を市の図書館の蔵書検索で発見し、直ちに利用登録をして、別の館にあるのを取り寄せてもらった。

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 たしかにこんな赤い本だったように思う。目次を見る。「波音まくらに第一夜」に始まり、「三沢基地侵入に成功」「出かせぎ地帯で思ったこと」「肥桶とナスとキュウリの人情」「焼酎に責められた熊本の夜」…これは本当に児童書なのか?

 読んでみると、字は小さく、漢字にふりがなが多少多いかと思うぐらいで、内容的にはすっかりおとなの本だった。
 とりあえずの全財産を持って出てきたもののすっかり使い果たしてしまい、札幌の大通公園で寝泊まりしながら、飛び込みでアルバイトをさせてもらって急場をしのいだり、雪に閉ざされる農閑期にはどこの家でも父親は出稼ぎをしなければ生きていけない、山形の山間部の分校を訪ねて、社会の矛盾を噛みしめてみたりした。
 北陸では家出してきたという女の子を諭して家へ帰らせた。やがて、熊本にあるその女の子の家を訪ねて行くと「待ってました」とばかりに夜中じゅう焼酎の宴会につきあわされたり、三重では無免許の少年が運転するトラックにぶつけられて、元気になるまでその少年の家に厄介になったり。その事故の章では、示談書の写しが1ページ使って載せられている。

 この本について小学生の時の記憶で残っているのは、冒頭に書いたような大雑把なことだけだったが、いま読み返してみるとこの本は、その後中学に入り、また大人になるにつれて得る知識や見識といったものが土台にあってこそ読める内容であるようだ。
 5年生や6年生と言えば、ふつうに小説とか読んだりする子もいる年ごろだと思うが、私はそれほど本の好きな子ではなかった。そんな私が、この本をどんな気持ちで読み、どんなふうに理解したのだろう。それが知りたい(なぜこの本が児童書として世に出たかという点も知りたいが)。実家に行けば、その時の感想文がどこかにあると思うので、いつの日か探し出して読んでみたいと思う。

 私は、このブログでも時々旅行記めいたものを書いているが、思い返してみると、小学生のころなど、夏休みに家族旅行をすると、必ず写真を貼った旅行記を提出していた。今ブログで書いているものも含め、昔から、どこかへ行ってきたのを文章にすると、わりと喜んで読んでくれる人がいた。
 そんな子供だったので、理解できない部分があっても、この本がしっくり心に響いたのだろうし、また、この本に出会ったから、なおさらそういうものを書くのが楽しくなったのではないかと、そんなこともまた思う。 

 二十数年ぶりの、とても嬉しい再会だったが、図書館の本なので、しばらくしたら私の手元から去っていく運命である。どこかの出版社で復刊してくれないだろうか。そうしたら誰より先にすぐに買ってくる。


 ところで、この物語を書いた飛鳥童さんは、そもそもは作家ではなくイラストレーターで(だからこの本の挿絵もご本人の手によるもの)、現在はカナダのトロントにお住まいで活躍中とのこと。こちらのページにインタビューが載っていますので、どうぞ見てみてください。

カセットテープを直した。

 実家に、私と弟が子どもの頃の声を録音したカセットテープがあった。そこで、それを借りてきて、CDに焼こうと作業を始めた。別にしょっちゅう聞くものでもないが、みんなにとって、ずっと保存しておきたいものだし、カセットテープよりもCDの方が扱いやすい。

 アナログ音源をデジタルデータとして保存できるソフトを使って、PCに取り込む。テープは2本あって、まず1本の古い方(私が2歳8か月のころのらしい)をA、B面とも取り込んだ。
 2本目のA面を取り終えて、B面の作業にかかったのだが、取り込みに使っているソフトのレベルゲージが全然動かない。どうしたことか??と、テープレコーダーを見ると、あらら。動いてない。ということは…と、デッキを開けてみると、中でテープがくしゃくしゃになって、ローラーに絡みついていた。あああ、なんてことですか。

 2本目のA面は取り終えていたのが、せめてもの救いであるが、貴重な音が消えてしまった。かなり意気消沈だが、まあしかし、こうなってしまったものは仕方がない。気を取り直して、くしゃくしゃの部分は切っちゃって、つなぐことにした。参考にしたのはこのサイト
 切断したテープが重ならないようにつなぎ合せて、磁性体面の裏側からセロテープで止める。それだけ。しかしあくまで応急処置であって、実際のところ、このテープはもう使用できないと思った方がいいだろう。巻き戻しや早送りで最後まで回った時に、ペリッて剥がれちゃう可能性もある。

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 作業の結果、くしゃくしゃになった部分は失ってしまったけれど、それ以外のところは、問題なく取り込めた。

 テープをつないで、無事再生できて、でも考えてみれば、昔の道具ってみんなこんなだった気がする。素人でも、目で見ればだいたい構造が分かって、こんな感じかな?とやってるうちに直ってしまったりした。だから、いろんなものを開けてみた。そして、いろんなものが開けられるようになっていた。
 壊れたテレビを父と一緒に分解して(父が理科と技術科の教師だったので、そんなことできたのかもしれないが)、強力な磁石を取り出して、遊んだりした。ラジオだったか電卓だったか、古いやつが調子悪くなったので中を開けて、接触の悪いところをはんだ付けして直したこともある。もちろん壊したものもいろいろある。

 このカセットテープだって、最初、何と言うのかわからないけど、テープがデッキの読み取り部分に当たる「押さえ」みたいなやつが外れてしまって(下の写真参照)、読み取り部に押さえつける役を全然果たしていなかった。でも、耳かきでちょっといじっているうちに、正しいのか正しくないのかわからない部分にうまい具合に引っ掛かって、「騙し騙し」ながらも再生できた。

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 それが今は、だんだん構造が複雑になりつつ小型化もされて、素人ではわからないようになってしまっているみたいだ。それに、「騙し騙し」も効かなくなっているような気がする。そんな時代とともに、自分も変わってしまったのだな…と思ったことは、カセットテープを見て、「あれ?これはどっち面が巻き戻った状態かな?」と考えてしまったこと。昔は、誰もがパッと見てわかったことなのに。なんか寂しいような感慨を覚えた。

 実家には8ミリ映画のフィルムというのもあって、それをDVDにしたいと思っているのだが(これは自分ではできないので業者に出して)、物置きの下の方に埋もれてしまっている。あの辺にあるという目星はついているのだが、こちらはかなり困難なようで、いつ実現できるかはわからない。

地下道を鑑賞する。(1)

 地下道をいろいろ見て歩いてきた。
 まあ一口に「地下道」と言ってもさまざまだが、今回見て歩いたのはずばり、

「国道122号線 川口市新井宿−さいたま市岩槻区平林寺橋間の地下道」

である。全然「すばり」じゃないけど。

 この区間についてちょっと説明。この区間は、東北自動車道と国道122号線が並行している。それも、首都高や外環道のように道の上に道があるのではなくて、高速と国道が同じ平面上を走っている。だから、計10車線というものすごい幅になっている(岩槻区加倉−平林寺橋間は122号線が対面通行なので8車線だが、敷地は10車線分ある)。
 当然のことながら、この道を作るにあたっては、たくさんの小道が分断された。それを補完するために作られた小さな地下道がたくさんあるというわけ。それらが、なかなか個性があるようなないような、見て回ったら面白そうだな…って思ったと。

 で、その数19か所。ずいぶん数が多いのだが、張り切って歩き回り、写真も撮ってきてしまったので、とにかく勢いのあるうちに載せてしまいたい。楽しんでくれる人がいるのかどうかは、それはわからない。

 じゃあ、いきますよ。北から順番に行きます。どの地下道も写真は3枚ずつね。

物件1 岩槻区箕輪地図
 122号上り線からスーッと入れるようになっている。そのままスロープを下りて右へ曲がり、潜る。その先は道がつながっているものの、「この橋老朽化のため車両の迂回をお願いします」という標識の立つ小さな橋があるため、通る車はないと思われる。
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東側入口
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西側入口
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西側入口の先にある橋

物件2 岩槻区箕輪地図
 122号線と直交するオーソドックスなスタイルながらも、アプローチは未舗装。西側には車が通れるような道も民家もなく、あるのは畑のみ。地下道と木の取り合わせが面白い物件。
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東側アプローチ入口(木の手前を左折)
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東側入口。地下水が浸み出している。
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西側入口。地下道と木の取り合わせの妙。

物件3 岩槻区岩槻地図
 東側で122号線と斜めにぶつかる道路に接続している。122号線からは地下道脇のアプローチから入ってくるよりも、そっちの交差点からの方が入りやすそう。西側は車も通れる農道につながる。北側壁面に沿って歩道あり。
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東側で比較的広い道に接続する。
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東側入口
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西側入口

物件4  岩槻区西原台2丁目・並木1丁目地図
 東側は住宅街のごく普通の三叉路を曲がるとスロープになっている。122号より住宅街の方が少し高いので、スロープが長い。傾斜地のため、西側にスロープはなく、ただのガードのように見える。122号線からのアプローチはなく、住宅街をつなぐ道路。歩道あり。20071013iwa02-1.jpg
東側入口につながる三叉路(カーブミラーのところ)
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スロープ上から東側入口をのぞむ
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西側入口

 まだまだ行きますよ。始まったばかりですからね。

(2)へつづく。

地下道を鑑賞する。(2)

 さあ、どんどんいきましょう。

物件5 岩槻区柏崎地図
 地下道の部分は小型車がすれ違える程度の幅があるが、なぜかスロープが両側とも狭い。東側は倉庫会社、西側も入口付近が広くなっていてアプローチから地下道への転回は楽そうだが、西側アプローチ狭すぎで大型車には辛く、宝の持ち腐れ。
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東側入口
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西側入口
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西側入口の手前はとても広く、転回しやすいのだが、どうにもここへ繋がる道が狭い。

物件6 岩槻区横根地図
 物件5と同様、スロープの幅が狭く、地下道内は広い。東側は工場の敷地に突っ込むような格好で接続する。農耕車の通行が多いらしく、路面は砂っぽい。東側西側とも接続する道路はなく、あまり利用はされてなさそう。
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東側アプローチ
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東側入口
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西側入口をちょっと遠くから

物件7 岩槻区横根地図
 これは問題作である。東西両側ともアプローチが地下道に接しておらず、少し迂回して別の道から入るようになっている。そのため、そこに地下道があるように見えず、用水路にしか見えない。東側で接続する道は車が通るにはきつい状態なので、農耕車以外の車の利用は皆無に近いと思われる。
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東側入口
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西側入口
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農地の中に伸びるフェンス。どう見ても用水路である。

物件8 岩槻区横根地図
 こう言っては何だが、珍しく役に立つ道。122号線から比較的入りやすいアプローチを持ち、両側とも入口前が広くなっていて転回は容易。さらに西側は広い通りにつながっている。使いやすい分、交通量は多い(これまでの地下道と比べると…という程度だが)。
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東側入口
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西側入口
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西側アプローチへの入口

物件9 岩槻区横根地図
 地下道内でも路面が微妙に傾斜したりカーブしたりしている。設計ミスか? 東側は緩やかで長いスロープで裏道に接続する。スロープ上に橋が2本かかっている。西側スロープは地下道の手前で大きくカーブしており、上から見ると川のように見える。なかなか面白い物件。
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東側入口
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西側入口
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西側スロープを上から見る。

 やっと半分なんですけど、見てる方、どんな気分ですかね。

(3)へつづく。

地下道を鑑賞する。(3)

 大変なことを始めてしまったということに、やっと気づき始めました。…でも、続けます。

物件10 岩槻区笹久保新田地図
 122号線からのアプローチは入りやすく、東西とも舗装された道で集落の中につながっている使いやすそうな道。ということで、逆に面白みはあまりない。優等生的な物件。
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東側アプローチ。やはり道というより水路のようである。
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東側入口
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西側入口

物件11 緑区高畑地図
 122号線を大きく斜めに横切るため、かなり長く、途中で大きく2回カーブする。しかし幅は広いので走りやすい。東側にあるカー用品店に下り線から入ってくるためのルートとしても使われている様子。
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東側入口。写真の左手前にカー用品店がある。
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西側入口
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西側は県道の陸橋脇へ出る。

物件12 緑区寺山地図
 物件11東側のカー用品店脇から東西に横切る。西側入口前は広いスペースが取ってあるが、122号線からのアプローチは廃道になっている。しかし、廃道になる前でも道幅はかなり狭かったと思われる。そのまま直進すると、おじさんたちが釣りをしている水路の脇を通って物件11西側に程近いところへ出られるのみで、使い道なし。
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東側入口
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西側入口。アプローチから国道へ出るところに「左折だけ行ってよし」の標識が立っているのに…。
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西側アプローチは立派な廃道になっている。

物件13 緑区代山地図
 埼玉スタジアムの北に位置する物件。東側は都市開発中で閉鎖されており、仮のアプローチで歩行者自転車のみ通行可。もともと歩行者などほとんどいない場所なので、ほぼ利用されていないものと思われる。開発が進んで廃道となるか有効利用されるか、今後を見守りたいところ。
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東側入口
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西側入口。「道路冠水の為」は違うと思うが。
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西側のアプローチ入口には標識が残っている。しかし入って行くと通行止め。

物件14 緑区中野田「明照寺地下道」地図
 高速道路のインターチェンジのように、入口用・出口用のスロープが作られ、直角に曲がらなくてもいい構造になっている。ほかの地下道と同時期に作られたものだが、道路脇が農地ではなく、用地の制約のためにこのような形になったようである。便利で使い勝手がいい分だけ、面白みはない。
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東側入口
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スロープを下ると右折して地下道に入る。落書きだらけは地下道の常。
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122号線本線から西側入口を望む。

 まだ残り5つもあるか。あと5つしかないか。どちらでもいい。とにかくあと5つ。

(4)につづく。

地下道を鑑賞する。(4)

 残り5件です。粛々とまいります。

物件15 緑区大門「大門地下道」地図
 東側は122号線から直接ではなく、住宅街の中の側道から入るため入りやすい。傾斜地にあり、122号線よりもやや高い所から地下に潜るので、スロープがかなり長い。西側は本線から直角左折でアプローチに進入するが、裏道から国道463号線に出ることが可能。
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住宅街からトンネルへ向かうスロープを望む。
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東側入口。「大門地下道」の銘あり。
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西側アプローチから122号線を望む。狭い。

物件16 緑区大門地図
 西側入口に接して、児童自立支援施設「国立武蔵野学院」の正門がある。この正門へ通じる道が道路建設によってつぶされたために掘られたらしい。そのため、西側へ抜けると同施設へ向けて直角に右折している。もちろん122号線にも出られるので、少ないながら地元の人の利用もある。
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東側アプローチ入口。
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大きく転回して東側入口へ下っていく。
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西側入口。手前が国立武蔵野学院。

物件17 緑区大門・川口市差間1丁目「差間地下道」地図
 東川口駅から122号線西側の住宅地へ抜けられる道なので、交通量は多い。東側の大門地区は宅地開発中で、現在は畑の中から地下道に入っているが、やがては地下道への取り付け部が多少変化する可能性もある。若干見通しが悪く、写真を撮るのに苦労した。
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東側入口を望む。
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西側入口を望む。
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西側アプローチから122号線を見る。地下道は左へ。

物件18 川口市石神地図
 日光御成街道から古い住宅街の中に入ると、地下道がいきなり現れる。道幅は小型車1台分。これまで見た中では最も狭いと思われる。東側アプローチは比較的広いが、1回で曲がり切るのは難しそうだ。西側入口は神社の前。西側アプローチは狭く状態悪いが、122号線には別の道から出入りできる。
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住宅街に突然現れる地下道
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東側入口
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西側入口とアプローチ

物件19 川口市石神地図
 最後は、122号線と298号線、東北道と外環道、首都高速が交わる新井宿交差点北側の側道に接続する物件。新井宿交差点は歩行者・自転車は進入禁止なので、必ずこの側道に下りなければならず、大変な遠回りではあるが、この地下道が横断歩道の役割を兼ねている。上手に作られている分、見るべきところは少ない。
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東側入口。122号線の上に東北道が覆いかぶさっている。
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西側入口
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西側アプローチ。交差点側(左奥)から走ってきて、このアプローチへの進入も可能。

 19件終わりました。おんなじような写真ばっかりたくさん載っていますが…どうなんでしょう。勢いのあるうちに全部載せることができたので、とりあえず私は満足しています。最後まで見て下さった方、もしいらっしゃるならば、どうもありがとうございました。

 ところで、
 122号線を走っていて、目的の場所や交差点を通り過ぎてしまった時のUターンに、今回紹介したような地下道が役に立つ。でも、水路のようなフェンスを見つけて、勢い勇んで速度を落とし左折しようと思ったら、
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「地下道発見!」と思ったら、
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水路かよ!

本当に水路だったりもするので、くれぐれも注意が必要である。

地下道を鑑賞する ―やっと終わり。おつかれさまでした。

堀切・鐘ヶ淵夕暮れ散歩

 先月の終わりごろ、元会社の同僚というか先輩というか他部署の仲良しというか、まあとにかくS氏から、「今度、会社帰りに東武の堀切駅で降りてみようと思うんだけど一緒にどう?」というメールが来ていた。前に私と一緒に養老渓谷に行ったJ氏も来るという。

 会社の帰りって…、会社、横浜なんですけど。それも2人早上がりして来るという。わざわざ早く上がって来るようなとこか? まあ、こちらは呼ばれればいつでもどこでも行ける身なので、「はいはい、いつでも喜んで」というわけで、今日になった。

 堀切駅というのは足立区の東武伊勢崎線、荒川の土手沿いにある小さな駅。駅の東側は荒川が流れ、カーブの途中に駅があるため、電車は傾いて止まる。昭和の初め、荒川放水路が掘られる以前はこの部分のカーブが緩い弧を描いていたのだが、線路が付けかえられ、駅も移転し、現在の急カーブ上の駅になったという次第である。細いホームにときどき電車がやってくる。

 荒川の反対側には旧足立第二中学校校舎がある。金八先生のロケで「桜中学」として使われた学校であり、荒川の土手は、朝の登校時に自転車のおまわりさんがコケる、あの土手である。その足立第二中は、今年から、東京未来大学の校舎として生まれ変わったそうで、内外装ともきれいにリフォームされているが、建物の造作は古い中学校の校舎であり、あちこちに中学校の懐かしい雰囲気が残っている。

 平日の夕方6時過ぎである。大学というのはふつう、日が暮れても学生がわらわらといて、部外者でも歩けるものだが、歩いていると通報されるんじゃないか、いや、通報する人さえもいないんじゃないか?というぐらいの静けさである。

 敷地は下町の中学校なので大変狭く、加えておそらく校庭の一部をつぶして管理棟を立ててあるので、グラウンドがものすごく狭い。大学だって体育の授業があるのに。後から大学のホームページを見てみたが、ほかにグラウンドなどはなく、とにかくここしかないらしい。まあなんだか不思議な大学だ。キャンパス内は新しくてピカピカなのに、門を出ると下町の住宅密集地。このギャップもなかなか妙だ。ちなみに学園祭10日前とのこと。大丈夫なのか。

 次に、堀切駅の周辺を散策。住宅街の路地におじゃまする。東西に走る京成の高架線を底辺とし、荒川を垂線、東武を斜辺とする直角三角形のような狭い土地に住宅が密集している。京成の線路と並んで堀切橋への繋がる高架道路が通っており、東武も一段高い所を通っているので、なんだかここだけ沈んでしまったような住宅地である。そんな場所なので、よそ者が入ってくればきっとすぐわかる。だから泥棒は入ってこない。その点では安全そうだが、線路と道路に囲まれて、夜眠れるようになるまで熟練が必要だろう。

 それでは鐘ヶ淵までひと駅歩こうということになり、線路に並行してかかっている橋で運河を渡り、鐘ヶ淵へ。小さな運河だが区境を成していて、鐘ヶ淵は墨田区に属する。持参してきた地図を見ながら歩くが、とにかく暗い。電柱の下でいちいち地図を見るもの億劫になり、そのうち「じゃあここ曲がろう」「今度はこの路地」と、足にまかせて歩いてみた。東を東武の線路、西を墨堤通りに挟まれた狭いエリアなので、迷ってとんでもない方へ行くことはない。 

 板張りの長屋があり、お寺があり、町工場があり、銭湯があり、そして猫が多い。夕食の支度をする匂いがする。暗い暗いと思っていたが、だんだん目が慣れてきて、平気になった。そもそも夜とは暗いものであり、暗くたって人と人とがちゃんと挨拶し、見守りあって暮していれば、きっと犯罪なんて起きない。そんな温かい空気の流れる街である。

 そんな街を歩いてだんだん心豊かな気持ちになったころ、「さあ飲むか」ということになり、鐘ヶ淵駅前の商店街をざっと物色して、「じゃあここ」と決めたのが「よし寿司」という店。つまみはお刺身、揚げ物、焼き物、酢の物などなど、どれを頼んでもだいたい300円から700円ぐらいで、どれもうまい。それぞれ3杯ずつ飲んで、最後に寿司をおまかせで2人前お願いしたが、占めて10000円弱。たっぷり飲んで食べてさせてもらったのに、申し訳ないぐらいに安かった。S氏、J氏との久しぶりの再会に話は弾み、店を出たのは10時過ぎ。二人は遠路はるばる、横浜方面へと帰って行った。

 ところで、初めて入った店なのに、S氏はお店の女将さんから「あ。どうもー。いらっしゃいませ」と挨拶をされていた。どうも女将さんも、「誰だったかはっきりとは覚えていないが、誰かだったはず」という様子だったのだが。氏曰く、「飲み屋慣れしてるからかな」とのコメントだが、毎晩の外飲みを欠かさないS氏、さすがの貫録である。

 とても楽しい散歩&飲みで、またどこか全然知らない街を3人で歩きたい気持ちになった。次はどこにしようかと、また地図を広げてみる。

とりあえず長野県へ行ってきた(1) 碓氷峠懐古

 特別行きたい所もないが、ちょっと出かけたくなった。

 どこへ行こう。とりあえず長野県へでも行ってみるかと思い、早起きして、浦和発7時44分の高崎行きに乗った。うちから長野へ行くには、大宮から新幹線が王道だが、急いで行くべき場所があるわけでもないし、まずは碓氷峠をバスで越えようと思った。

 碓氷峠は群馬と長野の間の峠で、越えると軽井沢である。群馬側と長野側で500メートル以上の高低差があるため、普通の峠のようにトンネルを掘って済ますことができず、鉄道が通っていた頃は、普通列車も特急も貨物も、すべての列車は前後に専用の機関車を付けて、坂道を上り下りしていた。機関車の連結作業のために、群馬県側のベースキャンプである横川では、特急でも5分以上停車した。

 我が家の旅行は車を使うことが多かったが、一度だけ、特急あさまに乗って碓氷峠を越えたことがある。横川を出ると途端にすごい急坂を、特急なのにゆっくりゆっくり登っていく。動力は前後の機関車に任せているので、全然モーターの音がしない奇妙な感じがした。

 しかし、ちょうど10年前の10月のこと。長野新幹線開通を機に、この手間のかかる峠越えの1駅間は廃止されてしまい、現在はバスが両駅間を結んでいる。

 高崎での乗り継ぎはよくて、横川には9時46分に着いた。

 横川駅は、かつての栄華を偲ぶべくもなく閑散としていた。山間の一小駅でしかない横川だが、かつては、わずかな停車時間を使って、名物の「峠の釜めし」を買う人や、機関車の連結を見に行く人などで大変な賑わいだった。駅の先に機関車の車庫が見え、とにかく人がたくさん働いていた。それが現在では、高崎までの間を1時間に1本の普通列車が行ったり来たりするだけの駅になり、ホームも駅舎に接する1番線だけでことが足りているようである。

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ホームのすぐ先にある車止めが悲しい。この先に線路が伸び、峠を越えていた。

 立派な新幹線を作るために多額の費用がかかっても、この区間を維持するよりは効率的というわけで、企業とすれば当然の判断だろう。かつて鉄道のシステムは、あらゆる部分が人の働きによって維持されていた。それがなんでも自動化され、全国どこへ行っても同じような電車が走っている。効率性を重視すると風情や情緒といったものはなくなる。今の子供たちの心には、どんな鉄道旅行の思い出が残るのだろうか…と考えてみたりする。
 
 横川駅からのバスは10時ちょうどに発車した。碓氷峠のある旧中山道ではなく、緩いカーブで設計された碓氷バイパスを越えて行く。カーブは緩いが、500メートルの高低差を克服しなければならないので、急坂の連続だ。反対側の車線にところどころ、「緊急避難所」なる施設があり、盛り土をいくつか連ねた先にタイヤの車止めが置いてある。ブレーキが利かなくなった車は、とにかくここへ突っ込んで止まれというものである。

 上信越道がなかった子どもの頃、長野方面から車で帰ってくるにはこの道しかなかったので、日曜日の帰り道は渋滞していた。もうすっかり日が暮れた山の中の下り坂にブレーキランプの列が続いている。そして、そこに現れる「緊急避難所」。その構造から、子どもでも利用方法は容易に推測でき、今ブレーキが利かなくなったらどうしよう…と空恐ろしくなった記憶がある。その時、長野のどこへ行ったかは覚えていないが、碓氷バイパスといえば緊急避難所というぐらいに今に至るまで記憶に残っているのだから、よほど印象が強かったのだろうと思う。

 碓氷バイパスの最高地点である入山峠を過ぎると、群馬県側と違って、ほんの少しだけ降りただけでと坂道は終了。急にゴルフ場やホテル、別荘地が並ぶ軽井沢の景色が広がって、横川を出て40分弱、軽井沢駅に着いた。

20071005yokokarubus.jpg
軽井沢行きのバス。平日だが、席は7割方埋まっていた。

(2)
へつづく。

とりあえず長野県へ行ってきた(2) 別所温泉逍遥

 軽井沢の駅で食べたそばは、立ち食いだが、生めんから茹でるうまいそばだった。そして、電車の切符を買う段になって、やっと、どこに行くか真剣に考える。運賃表や時刻表と協議の結果、上田で乗り換えて別所温泉に行こうということになった。

 上田から別所温泉へ向かう上田電鉄の駅は、ローカル私鉄に似合わぬ高架駅であった。そこへ、東急のお古の、銀色の車両が入ってくるので違和感はない。

 高架線は駅だけで、電車はすぐに地面に降りると千曲川を渡り、塩田平と呼ばれる盆地を進む。扇状地なので、ずっと上り坂になっている。地方私鉄ながら線路の状態はいいらしく、あまり揺れることもなくて、30分ほどでレトロな雰囲気の別所温泉駅に着いた。切符を回収するのは、袴姿の若い女性の駅員である。こういう演出をどう思うか人によってさまざまだろうが、私は、別にこんなことしなくてもいいのになあ…と思う。

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別所温泉駅は坂の途中にある。温泉街へさらに坂道を少し上る。

 何の予備知識もなく来たので、足の向くまま、とりあえず別所温泉の中心的存在らしい北向観音と、ちょっと奥の山にある安楽寺にお参りする。安楽寺では鎌倉時代に建立された国宝の三重塔を観た。

 三重塔へ向かう石段の途中に、大きな字で「慰霊碑」と書かれた石碑が目に入ったので見てみると、太平洋戦争中に満州・蒙古へ移民し、苦労の末に亡くなった人々の霊を慰めるものだった。当時、国策として行われた満蒙移民に協力する自治体には補助金が出たため、経済的に豊かでなかった長野県では、多くの開拓団が組織された。そして、現地に送られたまま顧みられなかった人々。事実上の棄民である。寺の案内パンフレットにも載っておらず、あまり足を止める人もいない碑だが、国宝よりも、こちらの方が印象に残った。

 街へ戻り、公衆浴場「大師湯」で入浴。料金はなんと150円。何も持たないできてしまったので、タオルと石鹸と剃刀を買った。それも安くて合わせて200円。合計350円は、東京や埼玉でただ銭湯に入るより安い。

 平日ということもあって貸切だったが、あとから常連らしいおじさんが入ってきた。「安く入れていいお風呂ですね」と話しかけると、上田の隣りの丸子から用事で来ては風呂に入って帰るというおじさんは、「丸子には100円で入れるお湯があるよ」と教えてくれた。観音様と安楽寺に行ってきたことを話すと、「ちょっと離れてるけど、もっと古い三重塔があるんだけど見るかい?乗せてってやろうか」と誘ってくれたが、帰りが遅くなってしまいそうなので、ここは丁重にお断りした。

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北向観音の手水は温泉だった。掲げてあるのは温泉分析書。

 帰りの上田電鉄では、2つ目の駅で「団体の乗車があります」という予告があり、小学5年生おそらく2クラス分の一団が乗ってきた。のどかなムードから一転し、車内は大変な騒ぎになった。もともと2両の電車に数人しか乗っていなかったのだから、車内のマナーを守るも何もない。こちらの負けである。名札を見ると、どうやら上田まで一緒らしい。

 騒音にもだいぶ慣れてきて車内を見るに、女子は座って「ねー」なんて話しているのに、男子のぐにゃぐにゃ加減といったらなんだ。座席の上に積み重なっていたり、むやみに踊っていたり、行き違いの電車にみんなで手を振っていたりする。この年頃の男子は、女子と比べると総じてバカだ。まあ、私もきっとこんなだったのだろう。

 帰りは新幹線。経費節約のため高崎で普通列車に乗り換えようと思ったのだが、高崎で降りてみたら、上野行きの特急があるらしい。浦和にも止まるし、ちょっとそれに乗りたくなって、自由席の特急券を買うと900円。そんなに安いとは知らなかった。思えば平日はグリーン車が950円。ということは速いのに安いということ。事実、2駅目あたりで、1本前に出た普通列車を追い抜いた。

 そんなわけで、特急に乗ったおかげで少し早く着き、家を出てからちょうど12時間、7時過ぎに帰ってきた。ただ、特急券が意外に安かったとは言え、新幹線を高崎で降りた意図とは反して高くついてしまったのだが。

 なんだか、計画もなく出かけた割には、いろいろ楽しんで帰ってきた。別所温泉は、またそのうちゆっくり行ってみようかと思う。

20071005tokkyu.jpg
帰りの特急は、一昔前の懐かしい雰囲気だった。

とりあえず長野県へ行ってきた ―おわり

キーボードが壊れた。

 家で韓国語の翻訳の仕事を細々とやっていて、ノートパソコンに、ハングルの打てるキーボードを取り付けて使っている。

 それが壊れた。この壊れ方はどういうわけなんだろう。「半角/全角(に相当するキー)」「Tab」「1」「Q」「A」「Z」が言うことを聞かない。どこかの接触が悪いってことだろうと思うが、最も左寄りのキーが、全部というわけではなく、一部がダメ。裏を開けてみようかと思ったけど、裏には思いのほかネジが多く、めんどくさくなってやめた。

 それがまたね、ある時は正常に使えたりするんだからたちが悪い。しかし、ほかにも調子の悪い所があるのをだましだまし使っている状態だし、新しいのを買うことにした。ヤフオクで、LG製の、そこそこ大丈夫そうなやつを見つけたのでさっそく入札、即落札。

 ところで、今回壊れたハングルキーボードにはファンクションキーの右に「Power」「Sleep」「Wake」という3つのキーがついている。これが曲者で、作業中にうっかりPowerキーを押してしまうと、開いているアプリケーションをどんどん閉じてシャットダウンしてしまうし、Sleepキーを押すと眠ってしまう。




 入札してから「あ!」と思って、品物の写真を見てみたら、やはり同じ位置に同じキーがあった。日本のキーボードでもあるらしいけど、韓国ではこれが一般的なのかなあ。

 キーボード上でシャットダウンとかスリープの操作ができるのは、慣れれば楽なのかもしれない。でも、飛行機のスチュワーデスさんを呼ぶボタンみたいに、間違って押さないようにキーの部分が少し凹んでいるとか、スイッチを引くようになってるとか、そういう細工がされてたらいいんだけど。

 そんなにいくつものキーが使えないとどうにも使い物にならないので、やむを得ずノートパソコンのキーボードを使っているが、慣れなくて使いにくい。それに、前より画面に近づいて打っているので眩しい。まあ、それは明るさを調整すればいいんだが。とにかく早いとこ新しいのが欲しい。

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埼玉県の川口と浦和と岩槻と越谷の境目のあたり。

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