道標の謎、解決しました。
川越の図書館へ行ってきた。先日書いた記事で読めなかった道標「●●や満」について調べるために。
そこで、川越市教育委員会で編纂した「川越市歴史の道調査報告書」という本を見つけた。川越市内の旧街道を網羅した本で、問題の、握津を通り川越へ達する街道が「与野道 (別称)鎌倉街道」として収載されており、謎としていた道標についても解説されている。
結論から言うと、コメントで「通りすがり」さんが指摘して下さったように、どうやら大山が正解らしい。同書では「あふやま」と読んでいる。
だから「大山」に決定!というわけではない。ただ「本にそう書いてあったから」というだけでは、コメントを下さった方は信じずに、本ならすぐに信じるのかということになってしまう。そうではなく、同書は、史料を元にした考察に加え、地元の人への聞き取り調査もされていて、教育委員会編纂によるものなので当然ではあるが、かなり信憑性が高い。
「(別称)鎌倉街道」ともあるように、鎌倉へ通じる脇街道として利用されていた道だそうで、神奈川方面へ向かうための道であれば、途中で西へ折れて大山へ向かうというルートもあり得る。川越から南下して所沢方面に向かう別の道筋には「大山道」という道標があるそうなので、ここで大山が示されていることも不思議ではない。
庶民の暮らしに余裕ができてきて、大山詣りが盛んになった頃には、「全ての道は大山に通ず」というぐらいに、あちこちからの参詣路ができたというが、それにしても、川越の次に秩父と並んで大山というのはずいぶん突飛な感じがして、コメントでご指摘いただきながらも、納得できずにいたのだ。例えて言うなら、横浜あたりの国道1号線に「小田原 伊勢神宮」などと書いてあるようなものだろうか。
しかし、まあそういうことらしい。
それで、「何と彫ってあるのか」という件だが、「右側から巻く仮名文字はあり得ない」という気持ちで、撮影してきた写真について、改めてよく見てみた。

マウスオーバーで筆跡(推定)が表示されます。
すると、どうやら一度左へカーブして止め、右側で巻いているように見えてきた。そうすると右回りに巻いた後の筆跡が右上の点の位置へ繋がる。最初の左カーブと右巻きが近接しているために、そのへんが風化して、縦にまっすぐ下ろして右側から巻くように見えてしまっているのではないだろうか。「お」は「於」の草書体であるから、形としては一致する。そう思ったら、そうとしか見えなくなってきた。
そんなわけで、彫られているのは「あ」ではなくて、「お」だろうと思う。報告書では「あふや満」と読んているが、私は「おふや満」と読んで下さった「通りすがり」さんのご指摘を支持したいと思う。
「通りすがり」さんをはじめ、気にして下さった皆さま、ありがとうございました。解決です。
そこで、川越市教育委員会で編纂した「川越市歴史の道調査報告書」という本を見つけた。川越市内の旧街道を網羅した本で、問題の、握津を通り川越へ達する街道が「与野道 (別称)鎌倉街道」として収載されており、謎としていた道標についても解説されている。
結論から言うと、コメントで「通りすがり」さんが指摘して下さったように、どうやら大山が正解らしい。同書では「あふやま」と読んでいる。
だから「大山」に決定!というわけではない。ただ「本にそう書いてあったから」というだけでは、コメントを下さった方は信じずに、本ならすぐに信じるのかということになってしまう。そうではなく、同書は、史料を元にした考察に加え、地元の人への聞き取り調査もされていて、教育委員会編纂によるものなので当然ではあるが、かなり信憑性が高い。
「(別称)鎌倉街道」ともあるように、鎌倉へ通じる脇街道として利用されていた道だそうで、神奈川方面へ向かうための道であれば、途中で西へ折れて大山へ向かうというルートもあり得る。川越から南下して所沢方面に向かう別の道筋には「大山道」という道標があるそうなので、ここで大山が示されていることも不思議ではない。
庶民の暮らしに余裕ができてきて、大山詣りが盛んになった頃には、「全ての道は大山に通ず」というぐらいに、あちこちからの参詣路ができたというが、それにしても、川越の次に秩父と並んで大山というのはずいぶん突飛な感じがして、コメントでご指摘いただきながらも、納得できずにいたのだ。例えて言うなら、横浜あたりの国道1号線に「小田原 伊勢神宮」などと書いてあるようなものだろうか。
しかし、まあそういうことらしい。
それで、「何と彫ってあるのか」という件だが、「右側から巻く仮名文字はあり得ない」という気持ちで、撮影してきた写真について、改めてよく見てみた。

マウスオーバーで筆跡(推定)が表示されます。
すると、どうやら一度左へカーブして止め、右側で巻いているように見えてきた。そうすると右回りに巻いた後の筆跡が右上の点の位置へ繋がる。最初の左カーブと右巻きが近接しているために、そのへんが風化して、縦にまっすぐ下ろして右側から巻くように見えてしまっているのではないだろうか。「お」は「於」の草書体であるから、形としては一致する。そう思ったら、そうとしか見えなくなってきた。
そんなわけで、彫られているのは「あ」ではなくて、「お」だろうと思う。報告書では「あふや満」と読んているが、私は「おふや満」と読んで下さった「通りすがり」さんのご指摘を支持したいと思う。
「通りすがり」さんをはじめ、気にして下さった皆さま、ありがとうございました。解決です。

