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2014-10

旅行

11月に入ると3日と4日に中間テストがあり、その後は9日まで休み。

…のはずだったのが、10日と11日に北京で開かれるAPECの会議の関係で、「他所から来る偉い人にこんな汚い空気の街を見せる訳にいかない」ということだか何だか知らないけど、その間、北京では経済活動が基本的に中止となり、学校も12日まで臨時の休みになりました。つまり、この期間は、北京在住の人だけの特別なお休みです。

ということで、あまり仕事に支障のないように土日を挟んで旅行に行ってくることにしました。目的地は丹東(タントン)。中国東北部、北朝鮮との国境にある、そこそこ大きい町です。

14年前、朝鮮族に日本語を教えていた町も、北朝鮮に近いところで、1時間ぐらいで国境の町まで行けたんだけど、「川の向こうに北朝鮮が見える」というだけで、両国間の往来はなく、まったく静かな場所でした。中国と北朝鮮の間の陸路による交易はほとんどが今回行く丹東を経由して行われていて、丹東では、国境の橋を盛んに車や貨物列車が行き来しているらしい。そういう国境の交易都市って日本にはないから、なんだかとても魅力を感じる。

行きは寝台列車で14時間。帰りは飛行機で1時間50分、どっちもチケットを取りました。車中1泊、宿で2泊。出発する8日は、週に4日だけのピョンヤン行きが連結されている日で、それもその4日のうち2日の、北朝鮮側の車両が連結されている日。そういう日を選んだ。乗車口で切符を確認するから、ピョンヤン行きの車内には入れないけど、外から写真撮ります。

宿の予約もネットで済み、便利な世の中になったねえ…と思ってたら、「予約したホテルが外国人は受け入れていないので、予約を取り消しました」というメールが来た。ぎゃふん。いまだにそんな宿あんのかい…。そこそこ立派なホテルみたいなんだけどなあ。

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なんで列車のチケットが手に入るとこんなに嬉しいんだろうね。鼻先のニンジン。これで、きっとテスト勉強、頑張れます。

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頑張った

学校の寮、9月に入ったばかりだというのに、改装工事が入るので11月中に退去して下さいということになりました。まあ、最近になって急に言われたわけではなく、入居の時点で言われて、「えーっ」ってことになってたわけだけどさ。

で、なんか、同じ時期に来た日本人の女の子も、最近、もう引っ越したとか言ってるので、「ありゃあ、それはねえ…そろそろ急がないと…ねえ…」とのんびり考えておりました。

話を聞くと、日本人はだいたい引っ越しが済んだみたいなのに、同じフロアの韓国人たちはまだまだ引っ越さずにのんびりしている。こういう時にお国柄って出るよね。時には余計なぐらいに先回りして冷静かつ計画的に動く日本人と、その時が来るまでゆっくりしていて、いざとなったら仲間の力を総動員してすごい勢いで動く韓国人。私はその中間ぐらいかな。

みんな、校内の他の寮に移ってるけど、他の寮はだいたい2人部屋。私の場合、仕事があるからルームメイトがいるのは困るし、食事も自分で作って食べたい。それに、なんか学校の寮って、みんな若くてはつらつとしてて、ちょっと雰囲気になじめないんだよね…。で、今日、在留許可の申請のために預けてあったパスポートが返ってきたので、外へ部屋探しに出かけました。

ひとまず不動産屋へ行き、寮を出なくちゃいけないことや希望をいろいろ伝えて、そして、電動バイクの後ろに乗せてもらって部屋を見に行き、大家さんに敷金払って、片言の中国語で、本当にいろいろありまして、借りました。

それでまた、不動産屋の兄ちゃんがいい人で、たまたま同じ学校の本科にいるカザフスタンからの留学生の部屋を世話したこともあるそうで、筆談を交えて、電気代やガス代の払い方など基本的なことを教えてくれた。ネットの申込みは電話すればいいというので、「デモ外国人、電話スル難シイヨ」と言ったら、その電話するのも手伝ってくれるという。本当にありがたい。旅行でも長期滞在でも、外国に来ると、本当に、いろんな人に助けてもらって生きてるというのを感じる。

学校の寮なら、3か月分ぐらいの寮費だけを払えばいいけど、外で部屋を借りる場合、日本と同様に敷金1と仲介料1がいる。それと家賃3を前払いなので、今日払ったお金が8800元、26日に別口で払うお金が9600元。合わせて18400元、日本円にして約310000円というものすごい金額になった。

こちらで使うお金は、クレジットカードのキャッシングで賄ってるんだけど(カードで買い物するのと同じく、日本の口座から自動で引き落とし)、限度額大丈夫かなあ…と不安になりながら、2つのカードで引き出したお金(1つ目のカードで限度額に達した)、合わせて15500元≒264000円。限度額行っちゃってお金準備できなかったら、どうするつもりだったのかね。日本人っぽくない日本人だから、その辺はあんまり事前には考えないのね。

妙に細長くて、そんなに大きくもない窓が1つしかない古い部屋(今気づいたけど北向きだなあ…)だけど、近くにいろんな個人商店があって、路上が野菜市場みたいになってるので、とても便利そう。たぶんすぐ慣れて、心安く暮らせると思う。学校からは少し遠くなったから、自転車が必要だな。地下鉄の駅は近くなった。

それにしましても、いやー、中国で部屋を借りたよ。大変だった。日本でだって借りるの大変なのにさ。頑張った。

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今日、鍵屋さんも来てくれて玄関の鍵を換えたんだけど、鍵6個ももらった。こんなにもらってどうしろと。

一目惚れ

久しぶりに書きます。
最近、ネット接続の調子が悪く、FC2ブログにアクセスできませんでした。ブログ書くのは、いちおうまだ飽きてません。

おととい、学校内の、いつもは行かない方のスーパーの文房具売り場にて。
使う機会は特にないけど、一目惚れ、もしくはジャケ買いしてしまったのは、おなじみ「ゼブラ マッキー」のニセモノ。

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けっこう似た書体で「セツタ」。「LR-MarKer」ってロゴも「マッキー」とけっこう似てる。

この国では、日本語が書いてあると、「これはいいものですよ」という匂いがして品物に箔がつく(最近は韓国語書いてあるのもある)ので、ニセモノとして作っている気はないかもしれない。でも、けっこう似せてるからニセモノといっていいのかもね。

そしてくるっと回すと、

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「ラッキー すゐ」





すゐ。





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枠の中に[150]とかって書いてあって、「これは日本では150円で売ってるものなんですよ」というのを演出していて、けっこう手が込んでる。だけど、日本では売ってない。だって、





すゐ。





「マッキー」のほかに何か書いてあったっけ?って思って本物の画像探したら、同じく白抜き文字で「ハイ」って書いて「ハイ マッキー」ってなってた。

カタカナの「ハイ」が、日本語知らない人たちの間でいくつかの伝達間違いを経て、ひらがなの「すゐ」になったということなのかも。


かと思えば、カップラーメン作ろうとしたら、中から出てきた液体スープの袋から、

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唐突に顔を出す、「おいしい」。カップの外包装にはどこにも日本語書いてないのに、油断してるとこういうのに出くわす。あ、「骨」っていう字、日本のとちょっと違うの気づいた?

この国で書かれている日本語、けっこう可愛くってしょうがない。

人の縁

9月の半ばごろまでは半袖で歩けたのに、だんだん寒くなってきて、今では、夜は薄手の上着が必要なぐらいになりました。となると、もっと厚い上着が必要になってくるのも、そう先のことではありません。この町は春と秋が短いのです。

そんなことを、北京在住の友人に話したら、「ちょうど、日本から知り合いが来て、市場に買い物に行くから一緒に買いに行く?」と誘われたので、昨日はそれに乗っかって買い物をしてました。

紺のハーフコート、っていうのかな?軽めのやつを550元で買いました。もともと650元だったので、もっと下がるかと思ったけど、なかなか堅かった。冬物衣料を専門に売っている店なので、「じゃあ550でいいからこれも付けてよ」と言えるような小物もなく、そういう結果になりました。

私の嫌いなフードがついておらず、そして、中国の服にありがちな、何だかわからないワンポイント刺繍もないスッキリしたデザインです。そして、肩のところの裏地には「GIORGIO ARMANI」のラベルがついています。 本当かどうかは知りません。でも、工場横流し品もあるので、もしかしたら本物かも知れません。


ご一緒したのは、奈良で給食や仕出しのグループ企業を経営している社長さんでした。パイプでたばこを吸うのが好きな方で、喫煙具の店で新しいパイプを1本お買い上げ。私の友人も「じゃあ、俺もちょっとパイプやってみようかなあ」ってことになり、パイプで吸うのに必要な道具とその使い方など、いろいろレクチャーしてもらいました。私はたばこを吸わないけど、自分の全然知らなかったことを教えてもらうというのは楽しい。


さて、話はちょっと横道にそれて、後でちゃんと繋がります。

私は、中学・高校のころ、ラジオを聞いて、ハガキを出したりしてました。そして時々読まれてニヤニヤしたりしてました。AMラジオというのは、夜になると、電波のしくみの関係で、遠い所の放送も聞こえるようになるので、東京の放送だけでなく、名古屋や大阪などの番組を聞いていました。徳島にも面白いのがありました。

その頃のラジオは、今みたいにボタン一つで選局できるしくみではなかったので、目盛りを見ながらチューニングのダイヤルを回して聞きたい局に合わせていました。その頃、韓国では、在外同胞向けの韓国語放送を大出力で飛ばしていて、それが、TBSラジオのちょっと上ぐらいの周波数で、まるで東京の放送のようにクリアに聞こえました。

それを聞いて、この放送は何を言っているのだろう…と思ったのが、韓国語を勉強し始めたきっかけです。そこから始まって、今では韓国語の翻訳をやっています。若いというのは大したもので、今、そんなきっかけで言語を学び始めようなんて、決して思わない自信があります。


さてと、話は戻って、昨日お会いした社長さん。家業であった今の会社を継ぐことになる前の20代の頃、大阪でラジオの構成作家をしていらしたそうです。社長さんが20代の頃なら、私が高校生の頃。

担当していたのが、誰それのこういう番組で…、といくつか挙げて下さった中に、私が毎週聞いていた嘉門達夫の番組がありました。
「えー?」と思わず興奮し、「番組で替え歌のネタ募集して、翌日のいいともで嘉門達夫がそれを歌うっていうコーナーありましたよね!」というと、「あー、あったなあ」と記憶にある様子。

私:「そのコーナーで私、ハガキ1回読まれました!」
社長:「内容までは覚えてへんけど、たぶん、そのコーナーやったら私が選んでましたわ」

そんな方と20年以上経った北京で会うなんて、人と人とはどこでどんな風に繋がるか、本当にわからないもんだなあ、としみじみ思うわけです。

長々と書いたけど、言いたかったのはこういうこと。だって、ほんとにびっくりしたんだもん。

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Author:きちい
韓国語と中国語の翻訳をやってます。

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