新春5日目花火大会
今日は午後から、北京のだいーぶ郊外にあるイオンモールへ行っておりました。帰り道、やたらとあちこちで花火が鳴り始めたので、「正月休みが終わり近くなって、余った花火を上げとるんかいな」と思ったら、さにあらず。正月5日に財神(お金儲けの神様)はお迎えする日ということで、元日にも増して盛大に花火を上げるということらしいです。
夜9時を過ぎ、外の花火の音がいっそうすごいことになってきたので、ちょっと見に行ってみました。
我が家から2分も歩くと、新街口外大街(シンジエコウワイタージエ)という大通りに出ます。大通りの方からボンボン上がっているのが見えるので、向かってみました。向かう途中も、近隣の人が道端で一発打ち上げたりするので、細心の注意が必要です。暗闇から人が小走りに走ってきたら、その先では、今まさに花火が上がろうとしている所なので、絶対にそっちへ行ってはいけません。
で、大通りに出た。ていうか、…まさに、ここが会場でした。 近所の人たちや通りすがりの人も見物しています。

ここで、上げてます。
大通りの三叉路に、我が家の方へ来る狭い道がおまけでくっついたみたいな十字路になっていて、こっちの道に入ってくる車はほとんどないから、ちょうど広くてやりやすい場所なのかも知れません。
日本の花火大会のようなプログラムがあるわけでもなく、交差点の角に積まれた花火の中から、兄ちゃんたちが、「はい、次これ」と無造作に運んでいき、「イー、アール、サーン」で一斉に火を点けます。
目の前で上げてるので、花火が開くのは真上です。




こんな感じ。真上を見てるので、電線やら何やら、いろいろ写り込みます。

上がるのを待つ花火たち。
普段は、横断歩道を渡ろうとする歩行者にクラクションを鳴らして通る自動車も、今日は、花火のために車線が1つ塞がれても何も言わないし、花火が上がっている最中、脇を通るのは危ないので、実質通行止です。
見せ物として行われるのではなく、花火を上げたい人が勝手に上げてるだけなので、クライマックスに向かって盛り上がるということもなく、角に積んであったのが終わればおしまいだし、だいぶ煙たくなってきたし、上から燃えかすが落ちてくるし、こんなに近いと暴発の危険というのもあり得なくないので、そこそこ見たところで退散してきました。
旧正月休みは明日でおしまいです。
夜9時を過ぎ、外の花火の音がいっそうすごいことになってきたので、ちょっと見に行ってみました。
我が家から2分も歩くと、新街口外大街(シンジエコウワイタージエ)という大通りに出ます。大通りの方からボンボン上がっているのが見えるので、向かってみました。向かう途中も、近隣の人が道端で一発打ち上げたりするので、細心の注意が必要です。暗闇から人が小走りに走ってきたら、その先では、今まさに花火が上がろうとしている所なので、絶対にそっちへ行ってはいけません。
で、大通りに出た。ていうか、…まさに、ここが会場でした。 近所の人たちや通りすがりの人も見物しています。

ここで、上げてます。
大通りの三叉路に、我が家の方へ来る狭い道がおまけでくっついたみたいな十字路になっていて、こっちの道に入ってくる車はほとんどないから、ちょうど広くてやりやすい場所なのかも知れません。
日本の花火大会のようなプログラムがあるわけでもなく、交差点の角に積まれた花火の中から、兄ちゃんたちが、「はい、次これ」と無造作に運んでいき、「イー、アール、サーン」で一斉に火を点けます。
目の前で上げてるので、花火が開くのは真上です。




こんな感じ。真上を見てるので、電線やら何やら、いろいろ写り込みます。

上がるのを待つ花火たち。
普段は、横断歩道を渡ろうとする歩行者にクラクションを鳴らして通る自動車も、今日は、花火のために車線が1つ塞がれても何も言わないし、花火が上がっている最中、脇を通るのは危ないので、実質通行止です。
見せ物として行われるのではなく、花火を上げたい人が勝手に上げてるだけなので、クライマックスに向かって盛り上がるということもなく、角に積んであったのが終わればおしまいだし、だいぶ煙たくなってきたし、上から燃えかすが落ちてくるし、こんなに近いと暴発の危険というのもあり得なくないので、そこそこ見たところで退散してきました。
旧正月休みは明日でおしまいです。
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新年快楽
中国は旧正月を祝うので、昨日19日が元日でした。その後、1週間ぐらい正月休みが続き、大通りは閑散として走る車も少なく、店は軒並み閉まっています。でも、自炊生活で、スーパーは開いているので、あまり困りません。
工場の操業とかが止まり、自動車も少なくなったせいで、一昨日の大晦日は、市内でも星が見えるほど空気がきれいでした。しかし、その晩から爆竹やら花火やらが夜中まで鳴り響き、昨日の元日は曇りときどき雪。降水自体がほとんどない土地なので、花火の煙で上空に雲が発生したのかもしれません。今日も同じような天気です。

北京に戻ってきてから18日まで暖かかったのですが、すっかり寒くなり、川がまた凍りました。

ほとんど降水がない町なので、道路脇に排水口はなく、マンホールを開けて下水へ掃き入れます。
さて、前学期、9月の登録手続の時のこと。延々と大行列を並び、指示に従って銀行へ行き、入金しようと思ったら、名前の登録が間違っているからあっちの支店に行ってくれ、行ってみたら実は間違ってなかったとか、で、また学校へ帰ってきて、次の手続き…とかって、朝から夕方まで、それはそれは大変な一日仕事でした。
そんな、右も左もわからぬ中、留学生の先輩たちにいろいろとサポートしてもらったのがとても心強かったので、今度は、私はサポートする側に回ろうと思い、日本人留学生会の人に話をしたら、「3月は例年日本人の新入生が少なく、10人そこそこなので、来ていただいても手が余ってしまうかも」とのこと。
前学期から引続きの学生は、教科書を準備して3月3日の開講日に教室へ行けばいいだけなので、まだ時間がたっぷりあります。となれば、実家からノートパソコンを持ってきて、旅先でも仕事できるようになったことだし、どこかへ行きましょうか。
ということで、今日も朝から寒かったけど、市内の書店へ出かけて、省ごとに分かれた、いい感じの地図を買ってきました。日本から「地球の歩き方」を持参してきたけど、観光ガイドブックは観光地しか載ってないし(当たり前)、ネットの地図だと全体像がつかめじ、イメージがあまり湧きません。
25日ぐらいまではUターンラッシュが続くので、列車のチケットも今からでは取れないし、飛行機のチケットも安くありません。だから、行くならそれ以降。夜行列車で、朝そんなに早くない時間に着けるぐらいの場所で、どこかいい所はないか。さあ、考えよう。
それとは別に、今日はこんなものを衝動買いです。韓国と北朝鮮が1枚にまとまった、ありそうでなかった地図。韓国でも北朝鮮でも、半島全体の地図を「我が国」として作るけど、中国は、両方と同等に国交があるので、いろいろと気を使う必要がないのでしょう。日本では、北朝鮮の地図自体、一般には売ってないし。

こうしてみると、朝鮮半島って、1枚の地図に入れるのに、ものすごくちょうどいい形してるんだね。
工場の操業とかが止まり、自動車も少なくなったせいで、一昨日の大晦日は、市内でも星が見えるほど空気がきれいでした。しかし、その晩から爆竹やら花火やらが夜中まで鳴り響き、昨日の元日は曇りときどき雪。降水自体がほとんどない土地なので、花火の煙で上空に雲が発生したのかもしれません。今日も同じような天気です。

北京に戻ってきてから18日まで暖かかったのですが、すっかり寒くなり、川がまた凍りました。

ほとんど降水がない町なので、道路脇に排水口はなく、マンホールを開けて下水へ掃き入れます。
さて、前学期、9月の登録手続の時のこと。延々と大行列を並び、指示に従って銀行へ行き、入金しようと思ったら、名前の登録が間違っているからあっちの支店に行ってくれ、行ってみたら実は間違ってなかったとか、で、また学校へ帰ってきて、次の手続き…とかって、朝から夕方まで、それはそれは大変な一日仕事でした。
そんな、右も左もわからぬ中、留学生の先輩たちにいろいろとサポートしてもらったのがとても心強かったので、今度は、私はサポートする側に回ろうと思い、日本人留学生会の人に話をしたら、「3月は例年日本人の新入生が少なく、10人そこそこなので、来ていただいても手が余ってしまうかも」とのこと。
前学期から引続きの学生は、教科書を準備して3月3日の開講日に教室へ行けばいいだけなので、まだ時間がたっぷりあります。となれば、実家からノートパソコンを持ってきて、旅先でも仕事できるようになったことだし、どこかへ行きましょうか。
ということで、今日も朝から寒かったけど、市内の書店へ出かけて、省ごとに分かれた、いい感じの地図を買ってきました。日本から「地球の歩き方」を持参してきたけど、観光ガイドブックは観光地しか載ってないし(当たり前)、ネットの地図だと全体像がつかめじ、イメージがあまり湧きません。
25日ぐらいまではUターンラッシュが続くので、列車のチケットも今からでは取れないし、飛行機のチケットも安くありません。だから、行くならそれ以降。夜行列車で、朝そんなに早くない時間に着けるぐらいの場所で、どこかいい所はないか。さあ、考えよう。
それとは別に、今日はこんなものを衝動買いです。韓国と北朝鮮が1枚にまとまった、ありそうでなかった地図。韓国でも北朝鮮でも、半島全体の地図を「我が国」として作るけど、中国は、両方と同等に国交があるので、いろいろと気を使う必要がないのでしょう。日本では、北朝鮮の地図自体、一般には売ってないし。

こうしてみると、朝鮮半島って、1枚の地図に入れるのに、ものすごくちょうどいい形してるんだね。
台湾、中国、そしてナッチャン(3)
「ナッチャンRera」号に揺られて着いたのは、福建省の平潭(ピンタン)という町です。
港から平潭の市街地へ路線バスで移動し、バスターミナルから福清(フーチン)という駅までまたバスで出て、そこから、今晩から3泊するアモイへ高速鉄道で移動です。福清駅までバスでどのぐらい時間がかかるのかよく分かりませんが、17時45分の列車の切符を買ってあるので、時間には余裕があります。
バスターミナル脇の食堂で食事。たむろしているバイクタクシーのおっちゃんが「この店はうまいよ」と教えてくれたので入ります。なんて名前だったか忘れたけど麺を頼んだら、出てきたのは長崎ちゃんぽんみたいな魚貝がいろいろのっかった白湯の麺。確かにけっこううまい。

目の前はこんな景色。台湾から中国へ着くと、がっかりするような、安心するような、いろんな思いが交錯します。

福清駅から高速鉄道に揺られること1時間ちょっとで、19時過ぎにアモイ北駅に着きました。
だいたい、どこへ行くにも予備知識なしで行くもんだから知らなかったんだけど、アモイ北駅から市内まで30キロ以上あり、タクシーに乗ったら85元(1700円)もかかってしまいました。ところが、BRTという乗り物でなんと3元(60円)で行けるというのを後で知り、少し落胆。まあ、知らない街だし、しょうがない。差額83元は安心料。BRTについては後で書きます。
ホテルに入ると、中国人家族がフロントの人と大きな声で議論をしていて、まあ、とにかく、大陸へ戻ってきた実感が湧きます。
翌朝。アモイの市街地を散策。こんな感じの街ですよ。台北より、さらに南へ来ました。暖かいです。

2階が道路際までせり出し、1階部分は歩道になっているというのが、華南地方の様式らしいです。

市場。出前のおばちゃんは、別にエキストラを頼んだわけではない。
市場では、ちょうど肉が入ってくる時間らしく、「半身の豚」を荷台に積んだオートバイが続々と入ってきました。半身の豚、平気な人だけ見てね→

旧市街のメインストリート、思明北路(スーミンベイルー)。山でもないのに、こんなふうにカーブしている道が多いです。

路地裏では、こんな穏やかな空気が流れていました。
んー、そうね。アモイは、地方のちょっと大きい町という感じですかね。外国からの観光客はあまりいないみたい。こんないい風景がごく当たり前のものとしてあって、なんだか、穏やかな気持ちで暮らせそうな街だなあ…と思いました。
旧市街を散策した後は、バスに乗って清代末期に作られた砲台跡へ行ってみました。高台から海を眺めながら、ときどき、ポーズをバッチリ決めて写真を撮る人々を観察したりしていました。
で、初めの方に書いた、BRTという乗り物のこと。「Bus Rapid Transit」の略で、日本でも、東日本大震災で被災した地域で、鉄道の仮復旧の手法として行われてるようですね。要するに、一般道とは完全に分離された専用道路を走るバスです。

こんな駅に、

こういうのが入ってきます。
ちょうど泊まったホテルからすぐの所に駅があり、帰りのアモイ空港まではBRTを利用しました。空港までは1.5元(30円)でした。高架の駅には上りだけだけどエスカレーターがあるし、渋滞に巻き込まれずスイスイ走るし、運賃は安いし、ちょうど路線の近くに目的地がある時には、とても便利な乗り物です。
島へも渡ったよ。もう1回だけお付き合いください。
港から平潭の市街地へ路線バスで移動し、バスターミナルから福清(フーチン)という駅までまたバスで出て、そこから、今晩から3泊するアモイへ高速鉄道で移動です。福清駅までバスでどのぐらい時間がかかるのかよく分かりませんが、17時45分の列車の切符を買ってあるので、時間には余裕があります。
バスターミナル脇の食堂で食事。たむろしているバイクタクシーのおっちゃんが「この店はうまいよ」と教えてくれたので入ります。なんて名前だったか忘れたけど麺を頼んだら、出てきたのは長崎ちゃんぽんみたいな魚貝がいろいろのっかった白湯の麺。確かにけっこううまい。

目の前はこんな景色。台湾から中国へ着くと、がっかりするような、安心するような、いろんな思いが交錯します。

福清駅から高速鉄道に揺られること1時間ちょっとで、19時過ぎにアモイ北駅に着きました。
だいたい、どこへ行くにも予備知識なしで行くもんだから知らなかったんだけど、アモイ北駅から市内まで30キロ以上あり、タクシーに乗ったら85元(1700円)もかかってしまいました。ところが、BRTという乗り物でなんと3元(60円)で行けるというのを後で知り、少し落胆。まあ、知らない街だし、しょうがない。差額83元は安心料。BRTについては後で書きます。
ホテルに入ると、中国人家族がフロントの人と大きな声で議論をしていて、まあ、とにかく、大陸へ戻ってきた実感が湧きます。
翌朝。アモイの市街地を散策。こんな感じの街ですよ。台北より、さらに南へ来ました。暖かいです。

2階が道路際までせり出し、1階部分は歩道になっているというのが、華南地方の様式らしいです。

市場。出前のおばちゃんは、別にエキストラを頼んだわけではない。
市場では、ちょうど肉が入ってくる時間らしく、「半身の豚」を荷台に積んだオートバイが続々と入ってきました。半身の豚、平気な人だけ見てね→


旧市街のメインストリート、思明北路(スーミンベイルー)。山でもないのに、こんなふうにカーブしている道が多いです。

路地裏では、こんな穏やかな空気が流れていました。
んー、そうね。アモイは、地方のちょっと大きい町という感じですかね。外国からの観光客はあまりいないみたい。こんないい風景がごく当たり前のものとしてあって、なんだか、穏やかな気持ちで暮らせそうな街だなあ…と思いました。
旧市街を散策した後は、バスに乗って清代末期に作られた砲台跡へ行ってみました。高台から海を眺めながら、ときどき、ポーズをバッチリ決めて写真を撮る人々を観察したりしていました。
で、初めの方に書いた、BRTという乗り物のこと。「Bus Rapid Transit」の略で、日本でも、東日本大震災で被災した地域で、鉄道の仮復旧の手法として行われてるようですね。要するに、一般道とは完全に分離された専用道路を走るバスです。

こんな駅に、

こういうのが入ってきます。
ちょうど泊まったホテルからすぐの所に駅があり、帰りのアモイ空港まではBRTを利用しました。空港までは1.5元(30円)でした。高架の駅には上りだけだけどエスカレーターがあるし、渋滞に巻き込まれずスイスイ走るし、運賃は安いし、ちょうど路線の近くに目的地がある時には、とても便利な乗り物です。
島へも渡ったよ。もう1回だけお付き合いください。
台湾、中国、そしてナッチャン(2)
那覇を発つ日もモノレールの始発に乗って空港へ向かいましたが、台北でも朝6時の地下鉄の始発に乗ります。30分ぐらい電車に乗り、そこからタクシーで、向かう先は台北港。
今回の旅行の最大の目的は台北から福建省の平潭(ピンタン)という町へ渡る高速フェリーに乗ることでした。この船の名前は麗娜輪(れいなりん)といい、英語名は"Natchan Rera"といいます。この船が台湾-中国間の運航に就くのは月曜と火曜だけなので、そのスケジュールに合わせて旅程を組みました。
なぜ、この船が最大の目的であったかというと、この船は、2007年に青森-函館間を、従来の半分の約2時間で結ぶ画期的な船として登場し、いつか乗りに行きたいと思っていたのですが、なかなか予定が立たないうちに、ほんの1年ちょっとで運航を休止してしまったのでした。本州-北海道間のフェリーの主な需要はトラックによる物流ですが、車両の航送費用が高く、利用が伸び悩んだためらしいです。
「ナッチャンRera」というのは、その時にこの船につけられた名前で、「ナッチャン」は、船体にデザインされた絵を描いた京都在住の女の子の愛称、「Rera」はアイヌ語で「風」の意味だそうです。
さて、旅客船ターミナルで出国手続を終え、ナッチャンが待つ岸壁まではバスで移動です。
見えてきました。あれがナッチャンです。

岸壁到着。乗り込みますよ。

うわー。ナッチャンだー。本当にナッチャンに乗ってるよー。過去に乗ったことがある船との再会とかではなく、ただ、乗りたいと思っていた船に乗ったというだけのことなのですが、こんな遠くまで来てやっと乗れたというせいなのか、思いのほか感動しています。
席は、前から2列目の通路側。展望席へ行かなくても、自分の席にいながらにして、ある程度の展望が楽しめる、なかなかいい席です。

座席はこんな感じ。このほかにビジネスクラスとファーストクラスもあります。なお、青函間の航路では、ザコネ部屋がないというのも、トラックドライバーには不評だったらしいです。

オーストラリア製というのは知っていましたが、タスマニア島の船会社が作ったものとは知りませんでした。ここでも船名は"Natchan Rera"です。

船内案内図にも、ちゃーんと"NATCHAN RERA"と書かれています。シールを剥がすと、きっと下は全て日本語なんでしょう。
出航時には満席に近い乗船率になりましたが、英語名"Natchan Rera"の由来を知っているのは、もしかしたら私だけなのかな…と考えると、ちょっといい気分です。
台北から平潭までは3時間かかります。本を読んだり、コーヒーを飲んだり、飽きてきたら後部デッキに行って海を眺めたり、また席に戻ってきて本を読んだりして過ごします。飛行機は、なるべく乗客を座らせておくことに主眼を置き、キャビンアテンダントのお姉さんがいろいろとお世話してくれますが、船の中は広くて自由です。そして時間がたっぷりあります。だから、船に乗ると、いろんなことを考えます。
思えば、今回の旅の計画を立て、いろんなチケットや宿を予約したのは11月末のことでした。まだまだ先のことに思えていましたが、年が明けて期末テストが終わり、長いと思った3週間の帰宅もあっという間に過ぎ、那覇、台北を経て、とうとう、このナッチャンに乗っています。
なんだかんだで、すべての人に対して平等に、時間はどんどん先へ進む。この調子だと、いつの間にか爺さんになってしまう。あんまりゆっくりしてもいられないね。それでも、こんなふうに、楽しいことをいろいろしながら年を取っていくなら、それもいいかな。そんなことを思いました。
快適な3時間の旅が終わり、平潭港に着きました。心なしか、やはり中国は景色が霞んでいるような気がします。

さよなら、ナッチャン。またね。
(3)に続きます。
今回の旅行の最大の目的は台北から福建省の平潭(ピンタン)という町へ渡る高速フェリーに乗ることでした。この船の名前は麗娜輪(れいなりん)といい、英語名は"Natchan Rera"といいます。この船が台湾-中国間の運航に就くのは月曜と火曜だけなので、そのスケジュールに合わせて旅程を組みました。
なぜ、この船が最大の目的であったかというと、この船は、2007年に青森-函館間を、従来の半分の約2時間で結ぶ画期的な船として登場し、いつか乗りに行きたいと思っていたのですが、なかなか予定が立たないうちに、ほんの1年ちょっとで運航を休止してしまったのでした。本州-北海道間のフェリーの主な需要はトラックによる物流ですが、車両の航送費用が高く、利用が伸び悩んだためらしいです。
「ナッチャンRera」というのは、その時にこの船につけられた名前で、「ナッチャン」は、船体にデザインされた絵を描いた京都在住の女の子の愛称、「Rera」はアイヌ語で「風」の意味だそうです。
さて、旅客船ターミナルで出国手続を終え、ナッチャンが待つ岸壁まではバスで移動です。
見えてきました。あれがナッチャンです。

岸壁到着。乗り込みますよ。

うわー。ナッチャンだー。本当にナッチャンに乗ってるよー。過去に乗ったことがある船との再会とかではなく、ただ、乗りたいと思っていた船に乗ったというだけのことなのですが、こんな遠くまで来てやっと乗れたというせいなのか、思いのほか感動しています。
席は、前から2列目の通路側。展望席へ行かなくても、自分の席にいながらにして、ある程度の展望が楽しめる、なかなかいい席です。

座席はこんな感じ。このほかにビジネスクラスとファーストクラスもあります。なお、青函間の航路では、ザコネ部屋がないというのも、トラックドライバーには不評だったらしいです。

オーストラリア製というのは知っていましたが、タスマニア島の船会社が作ったものとは知りませんでした。ここでも船名は"Natchan Rera"です。

船内案内図にも、ちゃーんと"NATCHAN RERA"と書かれています。シールを剥がすと、きっと下は全て日本語なんでしょう。
出航時には満席に近い乗船率になりましたが、英語名"Natchan Rera"の由来を知っているのは、もしかしたら私だけなのかな…と考えると、ちょっといい気分です。
台北から平潭までは3時間かかります。本を読んだり、コーヒーを飲んだり、飽きてきたら後部デッキに行って海を眺めたり、また席に戻ってきて本を読んだりして過ごします。飛行機は、なるべく乗客を座らせておくことに主眼を置き、キャビンアテンダントのお姉さんがいろいろとお世話してくれますが、船の中は広くて自由です。そして時間がたっぷりあります。だから、船に乗ると、いろんなことを考えます。
思えば、今回の旅の計画を立て、いろんなチケットや宿を予約したのは11月末のことでした。まだまだ先のことに思えていましたが、年が明けて期末テストが終わり、長いと思った3週間の帰宅もあっという間に過ぎ、那覇、台北を経て、とうとう、このナッチャンに乗っています。
なんだかんだで、すべての人に対して平等に、時間はどんどん先へ進む。この調子だと、いつの間にか爺さんになってしまう。あんまりゆっくりしてもいられないね。それでも、こんなふうに、楽しいことをいろいろしながら年を取っていくなら、それもいいかな。そんなことを思いました。
快適な3時間の旅が終わり、平潭港に着きました。心なしか、やはり中国は景色が霞んでいるような気がします。

さよなら、ナッチャン。またね。
(3)に続きます。
台湾、中国、そしてナッチャン(1)
前回の更新は那覇からだったんですね。なるほど。その後、台湾の台北、福建省のアモイへと渡り、7泊8日の旅の末、14日に北京に戻ってきました。
成田-那覇はバニラエア、那覇-台北はピーチという格安航空会社(LCC)を利用しました。那覇空港のLCC用ターミナルは通常の航空会社とは別の、貨物エリアの一角にあり、搭乗・降機の際は、LCCターミナルから飛行機の間を歩きます。
那覇の出発時は、ついさっき雨が上がったばかりという曇り空でしたが、徒歩搭乗のおかげで、こんな写真が撮れました。

今、乗り込みます。

LCCは座席と座席の間隔が狭く、窮屈…らしいのですが(LCCの利用は初めてなので、あまりよくわかりません)、非常口脇の座席だったので、足元ゆったりで快適でした。もしかしたら、那覇-台北線の乗客はほとんどが台湾人なので、非常時には手助けが必要な非常口脇には、日本人を優先的に配置するようにしているのかな…なんて思いました。
さて、台湾では、仕事でお付き合いのある翻訳会社へ、ご挨拶に出向きました。
台湾人の人付き合いのスタイルを知らなかったので、どこまで歓待してくれるのかわからず、少し心配していました。そのため、予定を伝えるメールでは、「自分で勝手に歩き回れますので、お世話して下さらなくていいですよ」と伝えていました。
日本からわざわざお客さんが来てくれるなんていう場合、中国人だったら、「やあやあ、よく来て下さいました」と、その日は仕事そっちのけで、午後から大勢参加の酒宴が催される恐れがあります。15年前、吉林省の田舎で日本語を教えていた当時、「今日、誕生日なんですよ」とポロッと言ったら、校長先生の一声で午後の授業は取りやめになり、午後から街へ出て、誕生日の宴会が始まってしまった、そんな思い出があります。
そういうのを心配していたのですが、会社へはバスの路線を教えてもらって、自分の足で到着(韓国人や中国人だったら、きっと最寄りの地下鉄の駅まで迎えに来る。そして私は恐縮する)。うどん県に留学経験があり、青春18きっぷでうどん県から北海道まで行ったこともあるという、担当の蕭さんにオフィスの中を案内してもらって、何人かの人と挨拶を交わし、会社訪問は30分ほどで終了。実にあっさり。
14年前に一度、台北へ来たことがありましたが、その時は友人たちと大勢で来たのであまり自由に歩き回りませんでした。でも、なんとなく、「言葉が違う日本みたい」という感覚がありました。
でも今回、一人で街を歩いてみて、いろんなことが見えてきました。店員は常に笑顔で応対。歩いていて前から人が来たら互いに譲り合い、会釈をして通る。電車を待つ間、携帯で通話していたら、電車に乗る前に通話を終えて切る。などなど、人付き合いのスタイルや礼儀、周囲への配慮みたいなものが、日本ととても似通っているんだなあと実感しました。
言葉が違うのに外国である感じがしないというのは、とても不思議なことですが、人々が随所で見せる「気配」みたいなものがそう感じさせるだなあと、再認識しました。それで、食べ物が美味しくて、エステやら何やらあって、物価も少し安くて…と来れば、女性に人気の旅行先であるのは納得です。
ここは日本だろ?というような写真をいくつか撮りましたよ。

地下鉄のエスカレーターでは、歩く人のために左側を空けます(関西式)。そして、日本と同様に、立ち止まる側にはエスカレーターに乗る人の列ができます。

地下鉄の駅構内。トモズとファミリーマートが並んでいたり。

なんでしょう、このハンパない日本っぽさは。このまま真っ直ぐ行くと、アルタ前に出ます。嘘ですけど。
本屋に行くと、一つの棚の上から下まで、日本の旅行ガイドブックが並び、日本のファッション雑誌も最新のものが並んでいます。これからまだ旅が続くので、買い物はしないでおこうと思ったのですが、買わずにはいられない本が1冊ありました。

我が国、千葉県のガイド本。よくぞ作った。東京でもなく、関東でもなく、千葉。マザー牧場や鴨川シーワールド、勝浦の朝市、佐原の街並みとか、そりゃあいろいろ見どころはあるけどさ、わざわざ日本来たんだから、ほかのところも行きなさいよ、と諭したくなる、そんな一冊。あるいは、もう日本各地の主たる名所は見尽くした上級者向けか。そして、漢字しかない国なので、ぼくらのアイドル「チーバくん」の表記は「千葉君」…。
まあ、そんなこんなで、台北の夜は更ける。実家から持参してきた死にかけのノートパソコンで仕事もする。けっこう忙しく、ホテルのネットの接続状況があんまりよろしくなくて試行錯誤の悪戦苦闘。
あ、タイトルの「ナッチャン」のこと、まだ書いてないね。(2)で出てきます。
成田-那覇はバニラエア、那覇-台北はピーチという格安航空会社(LCC)を利用しました。那覇空港のLCC用ターミナルは通常の航空会社とは別の、貨物エリアの一角にあり、搭乗・降機の際は、LCCターミナルから飛行機の間を歩きます。
那覇の出発時は、ついさっき雨が上がったばかりという曇り空でしたが、徒歩搭乗のおかげで、こんな写真が撮れました。

今、乗り込みます。

LCCは座席と座席の間隔が狭く、窮屈…らしいのですが(LCCの利用は初めてなので、あまりよくわかりません)、非常口脇の座席だったので、足元ゆったりで快適でした。もしかしたら、那覇-台北線の乗客はほとんどが台湾人なので、非常時には手助けが必要な非常口脇には、日本人を優先的に配置するようにしているのかな…なんて思いました。
さて、台湾では、仕事でお付き合いのある翻訳会社へ、ご挨拶に出向きました。
台湾人の人付き合いのスタイルを知らなかったので、どこまで歓待してくれるのかわからず、少し心配していました。そのため、予定を伝えるメールでは、「自分で勝手に歩き回れますので、お世話して下さらなくていいですよ」と伝えていました。
日本からわざわざお客さんが来てくれるなんていう場合、中国人だったら、「やあやあ、よく来て下さいました」と、その日は仕事そっちのけで、午後から大勢参加の酒宴が催される恐れがあります。15年前、吉林省の田舎で日本語を教えていた当時、「今日、誕生日なんですよ」とポロッと言ったら、校長先生の一声で午後の授業は取りやめになり、午後から街へ出て、誕生日の宴会が始まってしまった、そんな思い出があります。
そういうのを心配していたのですが、会社へはバスの路線を教えてもらって、自分の足で到着(韓国人や中国人だったら、きっと最寄りの地下鉄の駅まで迎えに来る。そして私は恐縮する)。うどん県に留学経験があり、青春18きっぷでうどん県から北海道まで行ったこともあるという、担当の蕭さんにオフィスの中を案内してもらって、何人かの人と挨拶を交わし、会社訪問は30分ほどで終了。実にあっさり。
14年前に一度、台北へ来たことがありましたが、その時は友人たちと大勢で来たのであまり自由に歩き回りませんでした。でも、なんとなく、「言葉が違う日本みたい」という感覚がありました。
でも今回、一人で街を歩いてみて、いろんなことが見えてきました。店員は常に笑顔で応対。歩いていて前から人が来たら互いに譲り合い、会釈をして通る。電車を待つ間、携帯で通話していたら、電車に乗る前に通話を終えて切る。などなど、人付き合いのスタイルや礼儀、周囲への配慮みたいなものが、日本ととても似通っているんだなあと実感しました。
言葉が違うのに外国である感じがしないというのは、とても不思議なことですが、人々が随所で見せる「気配」みたいなものがそう感じさせるだなあと、再認識しました。それで、食べ物が美味しくて、エステやら何やらあって、物価も少し安くて…と来れば、女性に人気の旅行先であるのは納得です。
ここは日本だろ?というような写真をいくつか撮りましたよ。

地下鉄のエスカレーターでは、歩く人のために左側を空けます(関西式)。そして、日本と同様に、立ち止まる側にはエスカレーターに乗る人の列ができます。

地下鉄の駅構内。トモズとファミリーマートが並んでいたり。

なんでしょう、このハンパない日本っぽさは。このまま真っ直ぐ行くと、アルタ前に出ます。嘘ですけど。
本屋に行くと、一つの棚の上から下まで、日本の旅行ガイドブックが並び、日本のファッション雑誌も最新のものが並んでいます。これからまだ旅が続くので、買い物はしないでおこうと思ったのですが、買わずにはいられない本が1冊ありました。

我が国、千葉県のガイド本。よくぞ作った。東京でもなく、関東でもなく、千葉。マザー牧場や鴨川シーワールド、勝浦の朝市、佐原の街並みとか、そりゃあいろいろ見どころはあるけどさ、わざわざ日本来たんだから、ほかのところも行きなさいよ、と諭したくなる、そんな一冊。あるいは、もう日本各地の主たる名所は見尽くした上級者向けか。そして、漢字しかない国なので、ぼくらのアイドル「チーバくん」の表記は「千葉君」…。
まあ、そんなこんなで、台北の夜は更ける。実家から持参してきた死にかけのノートパソコンで仕事もする。けっこう忙しく、ホテルのネットの接続状況があんまりよろしくなくて試行錯誤の悪戦苦闘。
あ、タイトルの「ナッチャン」のこと、まだ書いてないね。(2)で出てきます。
ロックな悩み
私はよく物をなくします。いや、そんなになくしてないのかも知れないけど、「きっとなくすに違いない」という強迫観念みたいなものが、常にあるんです。
今持ってきているスーツケースを買ったとき、鍵で開けるタイプの南京錠が付いていました。一度、旅行で使ったけど、旅行の間じゅうずーっと、鍵をいつかなくすのではないか、スーツケースをロックした状態で鍵をなくしたらスーツケースは開かなくなってしまう…と、心配で仕方がなかった。なので、しょっちゅう、財布の中にいれた鍵を確認してました。
一昨年、船で中国の青島(チンタオ)へ渡った時、やっぱり心配なので、船を降りてから宿までの間、錠を閉じないまま、ぶらぶらとスーツケースに下げてました。そうしたら、スーツケースを転がして歩いているうちに、南京錠自体を落としました。そりゃそうだ。結果、鍵はあるけど錠がないというアホなことになったわけです。
でも、錠前はやっぱりあった方がいいので、翌日デパートへ行き、数字を合わせるタイプのやつ(それも、自分で好きな数字に決められる、ちょっといいやつ)を買ってきました。それが、今使っているこれ。

さて今回、空港で荷物を預けるときにロックしようと思い、設定したはずの数字に合わせても、上の写真のような状態で固まったまま全然開かないのです。うそやーんと思いながら、いろいろ試みても全然ダメそう。でも、いろんなところで暗証番号とかに使っている数字なので、間違えて覚えているはずがない。実際、その数字で以前は開いてたし。
こんなふうに、スーツケースの錠前を通す穴に挿し込んだ状態で閉じてしまっているので、これを取り外さない限り、新しい錠前を使うこともできません。どうしたものか。
TSAロックという、アメリカの運輸保安省の規格に従った錠前で、ロックした状態でも、専用の合鍵を使えば開けることができるというものなので、どこか税関の人とかに訳を話せば開けてくれたりするのかしらん…とか思いながら、いろいろやっていたら、なんと、開いた。
設定したはずの数字と1の位が1つだけ違う数字、つまり隣りの数字で開きました。今は何度試しても、すっかり隣りの数字で開くようになってしまっているけど、もしかすると、いつかまた別の番号に変わってしまう可能性もあるわけで、ロックした状態でそうなったらどうするよ。こんな錠前、信用できなすぎて使えない。あーあ、困ったねえ。どうしようかね…というお話。
さて只今、那覇です。今日の那覇の昼間の気温は15~16度ぐらいでした。どんより曇って風が強く、沖縄の人はみんな寒い寒いと言っています。風が強いのは面倒だけど、内地から来た私には、ものすごく快適な気温です。なんか、人が寒い寒いと言っているときに、「いいお日和ですな」って顔をしている柴犬のような気持ちです。
明日の朝8時の飛行機で台北へ向かいます。だから猛烈早起きです。明日の朝には風弱くなってるといいな。
今持ってきているスーツケースを買ったとき、鍵で開けるタイプの南京錠が付いていました。一度、旅行で使ったけど、旅行の間じゅうずーっと、鍵をいつかなくすのではないか、スーツケースをロックした状態で鍵をなくしたらスーツケースは開かなくなってしまう…と、心配で仕方がなかった。なので、しょっちゅう、財布の中にいれた鍵を確認してました。
一昨年、船で中国の青島(チンタオ)へ渡った時、やっぱり心配なので、船を降りてから宿までの間、錠を閉じないまま、ぶらぶらとスーツケースに下げてました。そうしたら、スーツケースを転がして歩いているうちに、南京錠自体を落としました。そりゃそうだ。結果、鍵はあるけど錠がないというアホなことになったわけです。
でも、錠前はやっぱりあった方がいいので、翌日デパートへ行き、数字を合わせるタイプのやつ(それも、自分で好きな数字に決められる、ちょっといいやつ)を買ってきました。それが、今使っているこれ。

さて今回、空港で荷物を預けるときにロックしようと思い、設定したはずの数字に合わせても、上の写真のような状態で固まったまま全然開かないのです。うそやーんと思いながら、いろいろ試みても全然ダメそう。でも、いろんなところで暗証番号とかに使っている数字なので、間違えて覚えているはずがない。実際、その数字で以前は開いてたし。
こんなふうに、スーツケースの錠前を通す穴に挿し込んだ状態で閉じてしまっているので、これを取り外さない限り、新しい錠前を使うこともできません。どうしたものか。
TSAロックという、アメリカの運輸保安省の規格に従った錠前で、ロックした状態でも、専用の合鍵を使えば開けることができるというものなので、どこか税関の人とかに訳を話せば開けてくれたりするのかしらん…とか思いながら、いろいろやっていたら、なんと、開いた。
設定したはずの数字と1の位が1つだけ違う数字、つまり隣りの数字で開きました。今は何度試しても、すっかり隣りの数字で開くようになってしまっているけど、もしかすると、いつかまた別の番号に変わってしまう可能性もあるわけで、ロックした状態でそうなったらどうするよ。こんな錠前、信用できなすぎて使えない。あーあ、困ったねえ。どうしようかね…というお話。
さて只今、那覇です。今日の那覇の昼間の気温は15~16度ぐらいでした。どんより曇って風が強く、沖縄の人はみんな寒い寒いと言っています。風が強いのは面倒だけど、内地から来た私には、ものすごく快適な気温です。なんか、人が寒い寒いと言っているときに、「いいお日和ですな」って顔をしている柴犬のような気持ちです。
明日の朝8時の飛行機で台北へ向かいます。だから猛烈早起きです。明日の朝には風弱くなってるといいな。
おみやげ
日曜日、地元の小学校の同級生たちが集まってくれました。そして、当時の担任の先生もわざわざ来て下さって、突然の大同窓会になりました。
実家にいる3週間、既に予定が決まっている日もあり、予定はあるけど日程が未確定だったりするのもあり、帰国しても家で仕事しているもんだから、急に忙しくなってしまう可能性もあり、というので、いろんな人に連絡するのは控えめにしていたのですが、なにぶん地元なので、「マルエツで見かけたわよ」という目撃情報がきっかけとなり、今回の急な集まりとなりました。
集まってくれたみんな、そして先生も、ありがとうございました。次に集まってくれる時には、何らかの成果を上げてきた報告ができるように努力したいと思います。
さて、みんなにあげたおみやげ。予めここに載せてしまうとネタバレになるので、これまで黙っておりました。
中国みやげでお菓子とか買って行っても、あんまり受けがよくないのが通例なので、何にしようか。そうだ!前に見つけたサインペン「ラッキーすゐ」。あれをどっさり買って帰ろうと思い、以前にそれを見つけた学校のスーパーへ行ってみました。ところが、品物が入れ替わりつつあり、「ラッキーすゐ」は3本しかない。困った。でも、どこかにあるはずだ。よし、探しに行こう。
こういう楽しい品物は、ちゃんとした店には売っていないので(ちゃんとした店には、本物の「ゼブラ マッキー」がある)、バスで少し行ったところにある、何でも売ってる巨大市場に行ったり、北京の中心部の市場へ行ったり、はたまた家の近所のスーパーだったり、いろんなところを探せば探すだけ、いろんな種類が出てくる出てくる。これだけの種類を見つけました。

今のところ、全6種類。これ以外にもまだまだありそうな予感。

おなじみの、みんな大好き、セツタ「ラッキーすゐ」。

基本形のセツタ「ラッキー」。「すゐ」になる前の古いタイプだと思われます。だからよ、「すゐ」って何よ。

「フリキー」。メーカーの名前は、読めん。そして、太さが「細」と「極細」ってよ。

「フッ丰ー」、メーカーがまさかの「ジばア」。なお、中国では、「豊」を「丰」と書くので、それとごっちゃになったと思われるロゴ。

ゼブフ「フキツー」。本家「マッキー」→一字変えて「ラッキー」→字を間違えて「フッキー」→入れ替わって「フキツー」という変遷がよくわかる逸品。
そして、最後は…

なんと、ロツト「ビツグ頭」。唐突すぎて、もはや何がなんだかわからない。「ビツグ頭」は突然に。でも、ほかのは注意書きの部分で、「ダンボール」を「ダソ木ール」とか書いてあったりするけど、これは、注意書きの部分は完璧。
本物のマッキーが10元(200円)ぐらいするのに対して、これら楽しいやつらは3~5元(60円~100円程度)とだいぶお安い。そんななので、品質のほどは保証しません。みんなが笑ってくれれば、それでOK。インク漏れには注意ね。
実家にいる3週間、既に予定が決まっている日もあり、予定はあるけど日程が未確定だったりするのもあり、帰国しても家で仕事しているもんだから、急に忙しくなってしまう可能性もあり、というので、いろんな人に連絡するのは控えめにしていたのですが、なにぶん地元なので、「マルエツで見かけたわよ」という目撃情報がきっかけとなり、今回の急な集まりとなりました。
集まってくれたみんな、そして先生も、ありがとうございました。次に集まってくれる時には、何らかの成果を上げてきた報告ができるように努力したいと思います。
さて、みんなにあげたおみやげ。予めここに載せてしまうとネタバレになるので、これまで黙っておりました。
中国みやげでお菓子とか買って行っても、あんまり受けがよくないのが通例なので、何にしようか。そうだ!前に見つけたサインペン「ラッキーすゐ」。あれをどっさり買って帰ろうと思い、以前にそれを見つけた学校のスーパーへ行ってみました。ところが、品物が入れ替わりつつあり、「ラッキーすゐ」は3本しかない。困った。でも、どこかにあるはずだ。よし、探しに行こう。
こういう楽しい品物は、ちゃんとした店には売っていないので(ちゃんとした店には、本物の「ゼブラ マッキー」がある)、バスで少し行ったところにある、何でも売ってる巨大市場に行ったり、北京の中心部の市場へ行ったり、はたまた家の近所のスーパーだったり、いろんなところを探せば探すだけ、いろんな種類が出てくる出てくる。これだけの種類を見つけました。

今のところ、全6種類。これ以外にもまだまだありそうな予感。

おなじみの、みんな大好き、セツタ「ラッキーすゐ」。

基本形のセツタ「ラッキー」。「すゐ」になる前の古いタイプだと思われます。だからよ、「すゐ」って何よ。

「フリキー」。メーカーの名前は、読めん。そして、太さが「細」と「極細」ってよ。

「フッ丰ー」、メーカーがまさかの「ジばア」。なお、中国では、「豊」を「丰」と書くので、それとごっちゃになったと思われるロゴ。

ゼブフ「フキツー」。本家「マッキー」→一字変えて「ラッキー」→字を間違えて「フッキー」→入れ替わって「フキツー」という変遷がよくわかる逸品。
そして、最後は…

なんと、ロツト「ビツグ頭」。唐突すぎて、もはや何がなんだかわからない。「ビツグ頭」は突然に。でも、ほかのは注意書きの部分で、「ダンボール」を「ダソ木ール」とか書いてあったりするけど、これは、注意書きの部分は完璧。
本物のマッキーが10元(200円)ぐらいするのに対して、これら楽しいやつらは3~5元(60円~100円程度)とだいぶお安い。そんななので、品質のほどは保証しません。みんなが笑ってくれれば、それでOK。インク漏れには注意ね。