台湾、中国、そしてナッチャン(3)
「ナッチャンRera」号に揺られて着いたのは、福建省の平潭(ピンタン)という町です。
港から平潭の市街地へ路線バスで移動し、バスターミナルから福清(フーチン)という駅までまたバスで出て、そこから、今晩から3泊するアモイへ高速鉄道で移動です。福清駅までバスでどのぐらい時間がかかるのかよく分かりませんが、17時45分の列車の切符を買ってあるので、時間には余裕があります。
バスターミナル脇の食堂で食事。たむろしているバイクタクシーのおっちゃんが「この店はうまいよ」と教えてくれたので入ります。なんて名前だったか忘れたけど麺を頼んだら、出てきたのは長崎ちゃんぽんみたいな魚貝がいろいろのっかった白湯の麺。確かにけっこううまい。

目の前はこんな景色。台湾から中国へ着くと、がっかりするような、安心するような、いろんな思いが交錯します。

福清駅から高速鉄道に揺られること1時間ちょっとで、19時過ぎにアモイ北駅に着きました。
だいたい、どこへ行くにも予備知識なしで行くもんだから知らなかったんだけど、アモイ北駅から市内まで30キロ以上あり、タクシーに乗ったら85元(1700円)もかかってしまいました。ところが、BRTという乗り物でなんと3元(60円)で行けるというのを後で知り、少し落胆。まあ、知らない街だし、しょうがない。差額83元は安心料。BRTについては後で書きます。
ホテルに入ると、中国人家族がフロントの人と大きな声で議論をしていて、まあ、とにかく、大陸へ戻ってきた実感が湧きます。
翌朝。アモイの市街地を散策。こんな感じの街ですよ。台北より、さらに南へ来ました。暖かいです。

2階が道路際までせり出し、1階部分は歩道になっているというのが、華南地方の様式らしいです。

市場。出前のおばちゃんは、別にエキストラを頼んだわけではない。
市場では、ちょうど肉が入ってくる時間らしく、「半身の豚」を荷台に積んだオートバイが続々と入ってきました。半身の豚、平気な人だけ見てね→

旧市街のメインストリート、思明北路(スーミンベイルー)。山でもないのに、こんなふうにカーブしている道が多いです。

路地裏では、こんな穏やかな空気が流れていました。
んー、そうね。アモイは、地方のちょっと大きい町という感じですかね。外国からの観光客はあまりいないみたい。こんないい風景がごく当たり前のものとしてあって、なんだか、穏やかな気持ちで暮らせそうな街だなあ…と思いました。
旧市街を散策した後は、バスに乗って清代末期に作られた砲台跡へ行ってみました。高台から海を眺めながら、ときどき、ポーズをバッチリ決めて写真を撮る人々を観察したりしていました。
で、初めの方に書いた、BRTという乗り物のこと。「Bus Rapid Transit」の略で、日本でも、東日本大震災で被災した地域で、鉄道の仮復旧の手法として行われてるようですね。要するに、一般道とは完全に分離された専用道路を走るバスです。

こんな駅に、

こういうのが入ってきます。
ちょうど泊まったホテルからすぐの所に駅があり、帰りのアモイ空港まではBRTを利用しました。空港までは1.5元(30円)でした。高架の駅には上りだけだけどエスカレーターがあるし、渋滞に巻き込まれずスイスイ走るし、運賃は安いし、ちょうど路線の近くに目的地がある時には、とても便利な乗り物です。
島へも渡ったよ。もう1回だけお付き合いください。
港から平潭の市街地へ路線バスで移動し、バスターミナルから福清(フーチン)という駅までまたバスで出て、そこから、今晩から3泊するアモイへ高速鉄道で移動です。福清駅までバスでどのぐらい時間がかかるのかよく分かりませんが、17時45分の列車の切符を買ってあるので、時間には余裕があります。
バスターミナル脇の食堂で食事。たむろしているバイクタクシーのおっちゃんが「この店はうまいよ」と教えてくれたので入ります。なんて名前だったか忘れたけど麺を頼んだら、出てきたのは長崎ちゃんぽんみたいな魚貝がいろいろのっかった白湯の麺。確かにけっこううまい。

目の前はこんな景色。台湾から中国へ着くと、がっかりするような、安心するような、いろんな思いが交錯します。

福清駅から高速鉄道に揺られること1時間ちょっとで、19時過ぎにアモイ北駅に着きました。
だいたい、どこへ行くにも予備知識なしで行くもんだから知らなかったんだけど、アモイ北駅から市内まで30キロ以上あり、タクシーに乗ったら85元(1700円)もかかってしまいました。ところが、BRTという乗り物でなんと3元(60円)で行けるというのを後で知り、少し落胆。まあ、知らない街だし、しょうがない。差額83元は安心料。BRTについては後で書きます。
ホテルに入ると、中国人家族がフロントの人と大きな声で議論をしていて、まあ、とにかく、大陸へ戻ってきた実感が湧きます。
翌朝。アモイの市街地を散策。こんな感じの街ですよ。台北より、さらに南へ来ました。暖かいです。

2階が道路際までせり出し、1階部分は歩道になっているというのが、華南地方の様式らしいです。

市場。出前のおばちゃんは、別にエキストラを頼んだわけではない。
市場では、ちょうど肉が入ってくる時間らしく、「半身の豚」を荷台に積んだオートバイが続々と入ってきました。半身の豚、平気な人だけ見てね→


旧市街のメインストリート、思明北路(スーミンベイルー)。山でもないのに、こんなふうにカーブしている道が多いです。

路地裏では、こんな穏やかな空気が流れていました。
んー、そうね。アモイは、地方のちょっと大きい町という感じですかね。外国からの観光客はあまりいないみたい。こんないい風景がごく当たり前のものとしてあって、なんだか、穏やかな気持ちで暮らせそうな街だなあ…と思いました。
旧市街を散策した後は、バスに乗って清代末期に作られた砲台跡へ行ってみました。高台から海を眺めながら、ときどき、ポーズをバッチリ決めて写真を撮る人々を観察したりしていました。
で、初めの方に書いた、BRTという乗り物のこと。「Bus Rapid Transit」の略で、日本でも、東日本大震災で被災した地域で、鉄道の仮復旧の手法として行われてるようですね。要するに、一般道とは完全に分離された専用道路を走るバスです。

こんな駅に、

こういうのが入ってきます。
ちょうど泊まったホテルからすぐの所に駅があり、帰りのアモイ空港まではBRTを利用しました。空港までは1.5元(30円)でした。高架の駅には上りだけだけどエスカレーターがあるし、渋滞に巻き込まれずスイスイ走るし、運賃は安いし、ちょうど路線の近くに目的地がある時には、とても便利な乗り物です。
島へも渡ったよ。もう1回だけお付き合いください。
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台湾、中国、そしてナッチャン(2)
那覇を発つ日もモノレールの始発に乗って空港へ向かいましたが、台北でも朝6時の地下鉄の始発に乗ります。30分ぐらい電車に乗り、そこからタクシーで、向かう先は台北港。
今回の旅行の最大の目的は台北から福建省の平潭(ピンタン)という町へ渡る高速フェリーに乗ることでした。この船の名前は麗娜輪(れいなりん)といい、英語名は"Natchan Rera"といいます。この船が台湾-中国間の運航に就くのは月曜と火曜だけなので、そのスケジュールに合わせて旅程を組みました。
なぜ、この船が最大の目的であったかというと、この船は、2007年に青森-函館間を、従来の半分の約2時間で結ぶ画期的な船として登場し、いつか乗りに行きたいと思っていたのですが、なかなか予定が立たないうちに、ほんの1年ちょっとで運航を休止してしまったのでした。本州-北海道間のフェリーの主な需要はトラックによる物流ですが、車両の航送費用が高く、利用が伸び悩んだためらしいです。
「ナッチャンRera」というのは、その時にこの船につけられた名前で、「ナッチャン」は、船体にデザインされた絵を描いた京都在住の女の子の愛称、「Rera」はアイヌ語で「風」の意味だそうです。
さて、旅客船ターミナルで出国手続を終え、ナッチャンが待つ岸壁まではバスで移動です。
見えてきました。あれがナッチャンです。

岸壁到着。乗り込みますよ。

うわー。ナッチャンだー。本当にナッチャンに乗ってるよー。過去に乗ったことがある船との再会とかではなく、ただ、乗りたいと思っていた船に乗ったというだけのことなのですが、こんな遠くまで来てやっと乗れたというせいなのか、思いのほか感動しています。
席は、前から2列目の通路側。展望席へ行かなくても、自分の席にいながらにして、ある程度の展望が楽しめる、なかなかいい席です。

座席はこんな感じ。このほかにビジネスクラスとファーストクラスもあります。なお、青函間の航路では、ザコネ部屋がないというのも、トラックドライバーには不評だったらしいです。

オーストラリア製というのは知っていましたが、タスマニア島の船会社が作ったものとは知りませんでした。ここでも船名は"Natchan Rera"です。

船内案内図にも、ちゃーんと"NATCHAN RERA"と書かれています。シールを剥がすと、きっと下は全て日本語なんでしょう。
出航時には満席に近い乗船率になりましたが、英語名"Natchan Rera"の由来を知っているのは、もしかしたら私だけなのかな…と考えると、ちょっといい気分です。
台北から平潭までは3時間かかります。本を読んだり、コーヒーを飲んだり、飽きてきたら後部デッキに行って海を眺めたり、また席に戻ってきて本を読んだりして過ごします。飛行機は、なるべく乗客を座らせておくことに主眼を置き、キャビンアテンダントのお姉さんがいろいろとお世話してくれますが、船の中は広くて自由です。そして時間がたっぷりあります。だから、船に乗ると、いろんなことを考えます。
思えば、今回の旅の計画を立て、いろんなチケットや宿を予約したのは11月末のことでした。まだまだ先のことに思えていましたが、年が明けて期末テストが終わり、長いと思った3週間の帰宅もあっという間に過ぎ、那覇、台北を経て、とうとう、このナッチャンに乗っています。
なんだかんだで、すべての人に対して平等に、時間はどんどん先へ進む。この調子だと、いつの間にか爺さんになってしまう。あんまりゆっくりしてもいられないね。それでも、こんなふうに、楽しいことをいろいろしながら年を取っていくなら、それもいいかな。そんなことを思いました。
快適な3時間の旅が終わり、平潭港に着きました。心なしか、やはり中国は景色が霞んでいるような気がします。

さよなら、ナッチャン。またね。
(3)に続きます。
今回の旅行の最大の目的は台北から福建省の平潭(ピンタン)という町へ渡る高速フェリーに乗ることでした。この船の名前は麗娜輪(れいなりん)といい、英語名は"Natchan Rera"といいます。この船が台湾-中国間の運航に就くのは月曜と火曜だけなので、そのスケジュールに合わせて旅程を組みました。
なぜ、この船が最大の目的であったかというと、この船は、2007年に青森-函館間を、従来の半分の約2時間で結ぶ画期的な船として登場し、いつか乗りに行きたいと思っていたのですが、なかなか予定が立たないうちに、ほんの1年ちょっとで運航を休止してしまったのでした。本州-北海道間のフェリーの主な需要はトラックによる物流ですが、車両の航送費用が高く、利用が伸び悩んだためらしいです。
「ナッチャンRera」というのは、その時にこの船につけられた名前で、「ナッチャン」は、船体にデザインされた絵を描いた京都在住の女の子の愛称、「Rera」はアイヌ語で「風」の意味だそうです。
さて、旅客船ターミナルで出国手続を終え、ナッチャンが待つ岸壁まではバスで移動です。
見えてきました。あれがナッチャンです。

岸壁到着。乗り込みますよ。

うわー。ナッチャンだー。本当にナッチャンに乗ってるよー。過去に乗ったことがある船との再会とかではなく、ただ、乗りたいと思っていた船に乗ったというだけのことなのですが、こんな遠くまで来てやっと乗れたというせいなのか、思いのほか感動しています。
席は、前から2列目の通路側。展望席へ行かなくても、自分の席にいながらにして、ある程度の展望が楽しめる、なかなかいい席です。

座席はこんな感じ。このほかにビジネスクラスとファーストクラスもあります。なお、青函間の航路では、ザコネ部屋がないというのも、トラックドライバーには不評だったらしいです。

オーストラリア製というのは知っていましたが、タスマニア島の船会社が作ったものとは知りませんでした。ここでも船名は"Natchan Rera"です。

船内案内図にも、ちゃーんと"NATCHAN RERA"と書かれています。シールを剥がすと、きっと下は全て日本語なんでしょう。
出航時には満席に近い乗船率になりましたが、英語名"Natchan Rera"の由来を知っているのは、もしかしたら私だけなのかな…と考えると、ちょっといい気分です。
台北から平潭までは3時間かかります。本を読んだり、コーヒーを飲んだり、飽きてきたら後部デッキに行って海を眺めたり、また席に戻ってきて本を読んだりして過ごします。飛行機は、なるべく乗客を座らせておくことに主眼を置き、キャビンアテンダントのお姉さんがいろいろとお世話してくれますが、船の中は広くて自由です。そして時間がたっぷりあります。だから、船に乗ると、いろんなことを考えます。
思えば、今回の旅の計画を立て、いろんなチケットや宿を予約したのは11月末のことでした。まだまだ先のことに思えていましたが、年が明けて期末テストが終わり、長いと思った3週間の帰宅もあっという間に過ぎ、那覇、台北を経て、とうとう、このナッチャンに乗っています。
なんだかんだで、すべての人に対して平等に、時間はどんどん先へ進む。この調子だと、いつの間にか爺さんになってしまう。あんまりゆっくりしてもいられないね。それでも、こんなふうに、楽しいことをいろいろしながら年を取っていくなら、それもいいかな。そんなことを思いました。
快適な3時間の旅が終わり、平潭港に着きました。心なしか、やはり中国は景色が霞んでいるような気がします。

さよなら、ナッチャン。またね。
(3)に続きます。
台湾、中国、そしてナッチャン(1)
前回の更新は那覇からだったんですね。なるほど。その後、台湾の台北、福建省のアモイへと渡り、7泊8日の旅の末、14日に北京に戻ってきました。
成田-那覇はバニラエア、那覇-台北はピーチという格安航空会社(LCC)を利用しました。那覇空港のLCC用ターミナルは通常の航空会社とは別の、貨物エリアの一角にあり、搭乗・降機の際は、LCCターミナルから飛行機の間を歩きます。
那覇の出発時は、ついさっき雨が上がったばかりという曇り空でしたが、徒歩搭乗のおかげで、こんな写真が撮れました。

今、乗り込みます。

LCCは座席と座席の間隔が狭く、窮屈…らしいのですが(LCCの利用は初めてなので、あまりよくわかりません)、非常口脇の座席だったので、足元ゆったりで快適でした。もしかしたら、那覇-台北線の乗客はほとんどが台湾人なので、非常時には手助けが必要な非常口脇には、日本人を優先的に配置するようにしているのかな…なんて思いました。
さて、台湾では、仕事でお付き合いのある翻訳会社へ、ご挨拶に出向きました。
台湾人の人付き合いのスタイルを知らなかったので、どこまで歓待してくれるのかわからず、少し心配していました。そのため、予定を伝えるメールでは、「自分で勝手に歩き回れますので、お世話して下さらなくていいですよ」と伝えていました。
日本からわざわざお客さんが来てくれるなんていう場合、中国人だったら、「やあやあ、よく来て下さいました」と、その日は仕事そっちのけで、午後から大勢参加の酒宴が催される恐れがあります。15年前、吉林省の田舎で日本語を教えていた当時、「今日、誕生日なんですよ」とポロッと言ったら、校長先生の一声で午後の授業は取りやめになり、午後から街へ出て、誕生日の宴会が始まってしまった、そんな思い出があります。
そういうのを心配していたのですが、会社へはバスの路線を教えてもらって、自分の足で到着(韓国人や中国人だったら、きっと最寄りの地下鉄の駅まで迎えに来る。そして私は恐縮する)。うどん県に留学経験があり、青春18きっぷでうどん県から北海道まで行ったこともあるという、担当の蕭さんにオフィスの中を案内してもらって、何人かの人と挨拶を交わし、会社訪問は30分ほどで終了。実にあっさり。
14年前に一度、台北へ来たことがありましたが、その時は友人たちと大勢で来たのであまり自由に歩き回りませんでした。でも、なんとなく、「言葉が違う日本みたい」という感覚がありました。
でも今回、一人で街を歩いてみて、いろんなことが見えてきました。店員は常に笑顔で応対。歩いていて前から人が来たら互いに譲り合い、会釈をして通る。電車を待つ間、携帯で通話していたら、電車に乗る前に通話を終えて切る。などなど、人付き合いのスタイルや礼儀、周囲への配慮みたいなものが、日本ととても似通っているんだなあと実感しました。
言葉が違うのに外国である感じがしないというのは、とても不思議なことですが、人々が随所で見せる「気配」みたいなものがそう感じさせるだなあと、再認識しました。それで、食べ物が美味しくて、エステやら何やらあって、物価も少し安くて…と来れば、女性に人気の旅行先であるのは納得です。
ここは日本だろ?というような写真をいくつか撮りましたよ。

地下鉄のエスカレーターでは、歩く人のために左側を空けます(関西式)。そして、日本と同様に、立ち止まる側にはエスカレーターに乗る人の列ができます。

地下鉄の駅構内。トモズとファミリーマートが並んでいたり。

なんでしょう、このハンパない日本っぽさは。このまま真っ直ぐ行くと、アルタ前に出ます。嘘ですけど。
本屋に行くと、一つの棚の上から下まで、日本の旅行ガイドブックが並び、日本のファッション雑誌も最新のものが並んでいます。これからまだ旅が続くので、買い物はしないでおこうと思ったのですが、買わずにはいられない本が1冊ありました。

我が国、千葉県のガイド本。よくぞ作った。東京でもなく、関東でもなく、千葉。マザー牧場や鴨川シーワールド、勝浦の朝市、佐原の街並みとか、そりゃあいろいろ見どころはあるけどさ、わざわざ日本来たんだから、ほかのところも行きなさいよ、と諭したくなる、そんな一冊。あるいは、もう日本各地の主たる名所は見尽くした上級者向けか。そして、漢字しかない国なので、ぼくらのアイドル「チーバくん」の表記は「千葉君」…。
まあ、そんなこんなで、台北の夜は更ける。実家から持参してきた死にかけのノートパソコンで仕事もする。けっこう忙しく、ホテルのネットの接続状況があんまりよろしくなくて試行錯誤の悪戦苦闘。
あ、タイトルの「ナッチャン」のこと、まだ書いてないね。(2)で出てきます。
成田-那覇はバニラエア、那覇-台北はピーチという格安航空会社(LCC)を利用しました。那覇空港のLCC用ターミナルは通常の航空会社とは別の、貨物エリアの一角にあり、搭乗・降機の際は、LCCターミナルから飛行機の間を歩きます。
那覇の出発時は、ついさっき雨が上がったばかりという曇り空でしたが、徒歩搭乗のおかげで、こんな写真が撮れました。

今、乗り込みます。

LCCは座席と座席の間隔が狭く、窮屈…らしいのですが(LCCの利用は初めてなので、あまりよくわかりません)、非常口脇の座席だったので、足元ゆったりで快適でした。もしかしたら、那覇-台北線の乗客はほとんどが台湾人なので、非常時には手助けが必要な非常口脇には、日本人を優先的に配置するようにしているのかな…なんて思いました。
さて、台湾では、仕事でお付き合いのある翻訳会社へ、ご挨拶に出向きました。
台湾人の人付き合いのスタイルを知らなかったので、どこまで歓待してくれるのかわからず、少し心配していました。そのため、予定を伝えるメールでは、「自分で勝手に歩き回れますので、お世話して下さらなくていいですよ」と伝えていました。
日本からわざわざお客さんが来てくれるなんていう場合、中国人だったら、「やあやあ、よく来て下さいました」と、その日は仕事そっちのけで、午後から大勢参加の酒宴が催される恐れがあります。15年前、吉林省の田舎で日本語を教えていた当時、「今日、誕生日なんですよ」とポロッと言ったら、校長先生の一声で午後の授業は取りやめになり、午後から街へ出て、誕生日の宴会が始まってしまった、そんな思い出があります。
そういうのを心配していたのですが、会社へはバスの路線を教えてもらって、自分の足で到着(韓国人や中国人だったら、きっと最寄りの地下鉄の駅まで迎えに来る。そして私は恐縮する)。うどん県に留学経験があり、青春18きっぷでうどん県から北海道まで行ったこともあるという、担当の蕭さんにオフィスの中を案内してもらって、何人かの人と挨拶を交わし、会社訪問は30分ほどで終了。実にあっさり。
14年前に一度、台北へ来たことがありましたが、その時は友人たちと大勢で来たのであまり自由に歩き回りませんでした。でも、なんとなく、「言葉が違う日本みたい」という感覚がありました。
でも今回、一人で街を歩いてみて、いろんなことが見えてきました。店員は常に笑顔で応対。歩いていて前から人が来たら互いに譲り合い、会釈をして通る。電車を待つ間、携帯で通話していたら、電車に乗る前に通話を終えて切る。などなど、人付き合いのスタイルや礼儀、周囲への配慮みたいなものが、日本ととても似通っているんだなあと実感しました。
言葉が違うのに外国である感じがしないというのは、とても不思議なことですが、人々が随所で見せる「気配」みたいなものがそう感じさせるだなあと、再認識しました。それで、食べ物が美味しくて、エステやら何やらあって、物価も少し安くて…と来れば、女性に人気の旅行先であるのは納得です。
ここは日本だろ?というような写真をいくつか撮りましたよ。

地下鉄のエスカレーターでは、歩く人のために左側を空けます(関西式)。そして、日本と同様に、立ち止まる側にはエスカレーターに乗る人の列ができます。

地下鉄の駅構内。トモズとファミリーマートが並んでいたり。

なんでしょう、このハンパない日本っぽさは。このまま真っ直ぐ行くと、アルタ前に出ます。嘘ですけど。
本屋に行くと、一つの棚の上から下まで、日本の旅行ガイドブックが並び、日本のファッション雑誌も最新のものが並んでいます。これからまだ旅が続くので、買い物はしないでおこうと思ったのですが、買わずにはいられない本が1冊ありました。

我が国、千葉県のガイド本。よくぞ作った。東京でもなく、関東でもなく、千葉。マザー牧場や鴨川シーワールド、勝浦の朝市、佐原の街並みとか、そりゃあいろいろ見どころはあるけどさ、わざわざ日本来たんだから、ほかのところも行きなさいよ、と諭したくなる、そんな一冊。あるいは、もう日本各地の主たる名所は見尽くした上級者向けか。そして、漢字しかない国なので、ぼくらのアイドル「チーバくん」の表記は「千葉君」…。
まあ、そんなこんなで、台北の夜は更ける。実家から持参してきた死にかけのノートパソコンで仕事もする。けっこう忙しく、ホテルのネットの接続状況があんまりよろしくなくて試行錯誤の悪戦苦闘。
あ、タイトルの「ナッチャン」のこと、まだ書いてないね。(2)で出てきます。