小さな名店
横浜のにぎわい座へ落語会を聞きに行ってきました。
土曜日なので始まりが早く17時開演で、終わったのが19時過ぎ。
何かを食べて帰りたい時間です。
にぎわい座は、桜木町駅からほど近い「野毛」というエリアにあります。
そして、野毛の一角に、「だるま寿司」という寿司屋があります。
横浜で仕事していた10年ほど前、仲間3人で突入したことがありました。
「あそこの寿司屋」
「あるよねえ」
「入ったことある?」
「ない」
「行ってみる?」
「行こう行こう」
てな感じで、桜木町界隈をよく歩く人ならみんな知ってる。店はとても小さいのに、とても目立つ。そんな寿司屋です。
なぜなら、佇まいがこんなだから。なお、これは10年前の様子。

建物というよりも、駐車場の一角にぽつんと置かれたような「だるま寿司」。
にぎわい座を出て、だるま寿司のことが気になりながらも、なんとなく、一人で入るのも気がひける感じがして、関内の方向へ食事場所を求めて歩いたのですが、歩きながらも、だるま寿司のことを考えていました。
前に行ったのが10年ぐらい前。その時にすでに親父さんは、そこそこの親父さんだった。すると今、親父さんいくつだ?と気になり始め、横浜へ来ることなんてそう頻繁にはないし、なんだか、今行かないと後悔するような気がしてきて、桜木町へ戻ります。
やってました。


期せずして10年前とほぼ同じアングルの写真。後ろにビルが建ったので、「ぽつん」感はだいぶ薄れたようです。
親父さんはお元気でした。
「明日っから休みだからさあ、ごはんあんまりないけどいい?」
構いません。この店に来たかったんですから。
席の数はカウンターと椅子を合わせて、たぶん11か12。常連さんたちに混ぜてもらって、おまかせでつまみを作ってもらいます。

寿司について、どうのこうの語れる舌は持ってませんが、うまい・まずいは分かります。
しみじみと「うまいなあ…」と思えるぐらい、間違いなくうまいです。まぐろとこはだ、うまかったなあ。
常連さんたちもいて賑やかだったので、あまりたくさん親父さんと話せなかったけど、10年前に来たという話をして、「その時も既にだいぶ親父さんだったけど、失礼ながら…」と聞いてみると、
若干恥ずかしそうに「えーっ…もう85だよ」って。えーーーーっ。動きも喋りも到底そんなお年には見えません。そして、その驚きの年齢を、誇らしげではなく、ちょっと言いにくそうにして言うってところに粋を感じます。
「生もの扱うからさあ、危ないじゃん。店、閉めることも考えてはいるんだけどさ」
そんな言葉を聞いて、私が生まれる前からずっと寿司を握ってきて、そろそろ引き際を考えている親父さんに対して、「そんなことおっしゃらずに」とか「長く続けて」なんて言葉を軽々しくかけることもできず、なんだか言葉が出ませんでした。
締めに、残りのごはんを振り絞って、かっぱ巻きをやってもらいます。親父さんの作ってくれたかっぱ巻き、うまい。
ハワイに住んでいて、お父さんの介護のために時々日本に帰ってきて、そのたびに寄らせてもらうのだという常連のお姉さんが帰り、私一人。もともとあんまり遅くまでやってる店ではありません。私も、写真を1枚撮らせてもらっておいとまします。

黒電話と、その下に置かれているのは、電話賃を入れる箱。いつまで使われていたんだろう。携帯なんかなかった時代の遺物です。
「また寄らせてもらいます」と言って、暖簾をくぐらず、裏口から。裏口を出ると、そこには仮設トイレがあるのです。
いい時間を過ごしました。横浜へ行く機会はなかなか廻ってこないけど、また次回、きっと来ます。
土曜日なので始まりが早く17時開演で、終わったのが19時過ぎ。
何かを食べて帰りたい時間です。
にぎわい座は、桜木町駅からほど近い「野毛」というエリアにあります。
そして、野毛の一角に、「だるま寿司」という寿司屋があります。
横浜で仕事していた10年ほど前、仲間3人で突入したことがありました。
「あそこの寿司屋」
「あるよねえ」
「入ったことある?」
「ない」
「行ってみる?」
「行こう行こう」
てな感じで、桜木町界隈をよく歩く人ならみんな知ってる。店はとても小さいのに、とても目立つ。そんな寿司屋です。
なぜなら、佇まいがこんなだから。なお、これは10年前の様子。

建物というよりも、駐車場の一角にぽつんと置かれたような「だるま寿司」。
にぎわい座を出て、だるま寿司のことが気になりながらも、なんとなく、一人で入るのも気がひける感じがして、関内の方向へ食事場所を求めて歩いたのですが、歩きながらも、だるま寿司のことを考えていました。
前に行ったのが10年ぐらい前。その時にすでに親父さんは、そこそこの親父さんだった。すると今、親父さんいくつだ?と気になり始め、横浜へ来ることなんてそう頻繁にはないし、なんだか、今行かないと後悔するような気がしてきて、桜木町へ戻ります。
やってました。


期せずして10年前とほぼ同じアングルの写真。後ろにビルが建ったので、「ぽつん」感はだいぶ薄れたようです。
親父さんはお元気でした。
「明日っから休みだからさあ、ごはんあんまりないけどいい?」
構いません。この店に来たかったんですから。
席の数はカウンターと椅子を合わせて、たぶん11か12。常連さんたちに混ぜてもらって、おまかせでつまみを作ってもらいます。

寿司について、どうのこうの語れる舌は持ってませんが、うまい・まずいは分かります。
しみじみと「うまいなあ…」と思えるぐらい、間違いなくうまいです。まぐろとこはだ、うまかったなあ。
常連さんたちもいて賑やかだったので、あまりたくさん親父さんと話せなかったけど、10年前に来たという話をして、「その時も既にだいぶ親父さんだったけど、失礼ながら…」と聞いてみると、
若干恥ずかしそうに「えーっ…もう85だよ」って。えーーーーっ。動きも喋りも到底そんなお年には見えません。そして、その驚きの年齢を、誇らしげではなく、ちょっと言いにくそうにして言うってところに粋を感じます。
「生もの扱うからさあ、危ないじゃん。店、閉めることも考えてはいるんだけどさ」
そんな言葉を聞いて、私が生まれる前からずっと寿司を握ってきて、そろそろ引き際を考えている親父さんに対して、「そんなことおっしゃらずに」とか「長く続けて」なんて言葉を軽々しくかけることもできず、なんだか言葉が出ませんでした。
締めに、残りのごはんを振り絞って、かっぱ巻きをやってもらいます。親父さんの作ってくれたかっぱ巻き、うまい。
ハワイに住んでいて、お父さんの介護のために時々日本に帰ってきて、そのたびに寄らせてもらうのだという常連のお姉さんが帰り、私一人。もともとあんまり遅くまでやってる店ではありません。私も、写真を1枚撮らせてもらっておいとまします。

黒電話と、その下に置かれているのは、電話賃を入れる箱。いつまで使われていたんだろう。携帯なんかなかった時代の遺物です。
「また寄らせてもらいます」と言って、暖簾をくぐらず、裏口から。裏口を出ると、そこには仮設トイレがあるのです。
いい時間を過ごしました。横浜へ行く機会はなかなか廻ってこないけど、また次回、きっと来ます。
スポンサーサイト
お初にお目にかかります
数年前から、ある人に似てると言われるようになりました。
それは、「ジャガー横田の旦那」という人です。
木下さんというお医者さんなんですが、たいていの人はその名前を知りません。
みんな、「ジャガー横田の旦那」と言います。
彼がテレビに多く出ていた時期があり、その頃は、初めて会うほぼ全ての人から、「ジャガー横田の旦那に似てる」と言われました。
どこかの町の初めて入った飲み屋で、ママさんから「誰かに似てるって言われない?」って言われ、「ジャガー横田の旦那ですか?」と答えたら、「そうそう!」という、『でしょー?いわれるでしょー?だって似てるもん!』的なリアクションをされたので、本当に似ているんだろうと思っていました。
私はテレビを見るにも、だいたい決まったものしか見ず、それに彼は出てこなかったので、どんな人なのか知らなかったのですが、最近、初めてそのご尊顔を拝しました。
あー、似てるね。かなりいい線いってます。髪型合わせたら、ほぼ同じになる可能性ある。
ただ、意外なのが声。
たぶん構造的に近いんだろうから、声の高さは近い。低め。
でも声質が、ちょっとガラガラするけど、潰れた声とも違う、わりと特徴的な声です。
昔から、声まね、歌まねは得意でした。挑戦してみても悪くないかなと思いました。
それは、「ジャガー横田の旦那」という人です。
木下さんというお医者さんなんですが、たいていの人はその名前を知りません。
みんな、「ジャガー横田の旦那」と言います。
彼がテレビに多く出ていた時期があり、その頃は、初めて会うほぼ全ての人から、「ジャガー横田の旦那に似てる」と言われました。
どこかの町の初めて入った飲み屋で、ママさんから「誰かに似てるって言われない?」って言われ、「ジャガー横田の旦那ですか?」と答えたら、「そうそう!」という、『でしょー?いわれるでしょー?だって似てるもん!』的なリアクションをされたので、本当に似ているんだろうと思っていました。
私はテレビを見るにも、だいたい決まったものしか見ず、それに彼は出てこなかったので、どんな人なのか知らなかったのですが、最近、初めてそのご尊顔を拝しました。
あー、似てるね。かなりいい線いってます。髪型合わせたら、ほぼ同じになる可能性ある。
ただ、意外なのが声。
たぶん構造的に近いんだろうから、声の高さは近い。低め。
でも声質が、ちょっとガラガラするけど、潰れた声とも違う、わりと特徴的な声です。
昔から、声まね、歌まねは得意でした。挑戦してみても悪くないかなと思いました。
一日でも早く
私の仕事は、ひたすらパソコンに向かい、ネットや辞書で調べものをしながら、文章を作ること。あるいは、他の人が作った文章を確認して、ちょこちょこっと直すことです。
私が普段、調べものに使っているのは、「Internet Explorer & Yahoo!」の組み合わせです。「Chlome & google」の方が、動作は早いし、検索ツールとしても優れているのかも知れませんが、なんとなく長年使い慣れた方を使い続けています。
さて、Yahoo!はgoogleと違い、総合ポータルサイトです。トップページにはニュースや広告が表示されています。
そのため、仕事をしていると、yahoo!の画面の上の方に九州の地震の情報がたびたび表示されます。こんなふうにね↓

最初の震度6強とその後の震度7(…書くのも恐ろしい文字列ですが)から時間が経ち、さすがに震度3から4というぐらいで落ち着いてきましたが、寝ている時に震度3の地震が来たら、地震慣れした関東人でも、まず軽く目が覚め、布団の中で揺れながら、揺れが大きくならないか警戒し、「ああ、大丈夫」と確認して寝なおします。
そんなのが昼夜問わず、1時間に数回というペースで起き続けています。そろそろ落ち着きつつあるかと思っていたら、不意打ちで震度5強とか来るんだから、落ち着いて眠れません。眠れないって、辛いです。
5年前の東日本の地震の際、私は埼玉に住んでいて、本震がたしか震度5強でした。もちろん、当時の東北の人々や、今の九州の人々に比べたら、そのレベルはなんてことないのかもしれませんが、その後、度重なる余震に対して、どこにもぶつけることのできない怒りが湧いてきたのを覚えています。
熊本・大分の人々は、そんな気持ちで日々を過ごしているのだろうと思います。家で仕事をするようになり、わりと自由な身になったとはいえ、九州は遠すぎて、直接どうこうすることはできません。とりあえず、わずかですが、今出せる金額を義捐金として送りました。
2年前に熊本市の西部に転居した友人がいますが、彼とは最初の地震直後に連絡が取れ、無事でいることがわかりました。ただ、2回目の大きいのは「ヤバい揺れだった」と言ってました。
それから、17年前から15年前という大昔、何度か一緒に旅をしたことがある熊本出身のOさんのことが気になり、古い住所録をほじくり出してメールを送ったら返事が返ってきました。Oさんは今は関東に住んでいて、熊本のご両親も無事だと教えてくれました。
とりあえず、熊本に関わりのある知人が無事でいてくれて、安心しました。
話は変わりますが、TBSで「落語研究会」という番組が月に1回放送されています。その放送が昨日でした。今回、放送されたのは、柳家喬太郎さん演じる「宮戸川」。
「宮戸川」というのは浅草近辺の隅田川の別称だそうですが、全部語ると長編であるのに加え、後半は凄惨なシーンが続くことから、通常、高座でかけられるのは前半のみで、題名にもなっている宮戸川は出て来ず、ちょっと色っぽい話になる手前のところで、「あ、そろそろお時間のようで」などと言って引きあげるのが一般的です。
ところが今回は、落語通ばかりが集まる「落語研究会」。時間たっぷり、全編が演じられました。凄惨なシーンが終わり、一転して明るくなった(要は「夢オチ」なんですけどね)オチ前のシーンでは、話自体の面白み自体に笑いが起きていたので、おそらく、落語研究会の観客たちですら、全編を聞いたことはあまりないのではないかと思います。
そんな貴重な「宮戸川」、私も全編通しは初めて見ましたし、是非ともブルーレイに焼いて保存しておきたかったのですが…、途中にちょくちょく入る地震速報。もちろん保存してもいいんですが、後で見たときに、今回の地震のことを思い出して、つらい気持ちになります。
5年前の東日本の地震の時も、テレビの録画で残念な思いをした時期がしばらく続きました。いろいろと残念で、悲しいです。
とにもかくにも、現地の人々が少しでも早く、平穏な暮らしを取り戻してくれることを願います。
私が普段、調べものに使っているのは、「Internet Explorer & Yahoo!」の組み合わせです。「Chlome & google」の方が、動作は早いし、検索ツールとしても優れているのかも知れませんが、なんとなく長年使い慣れた方を使い続けています。
さて、Yahoo!はgoogleと違い、総合ポータルサイトです。トップページにはニュースや広告が表示されています。
そのため、仕事をしていると、yahoo!の画面の上の方に九州の地震の情報がたびたび表示されます。こんなふうにね↓

最初の震度6強とその後の震度7(…書くのも恐ろしい文字列ですが)から時間が経ち、さすがに震度3から4というぐらいで落ち着いてきましたが、寝ている時に震度3の地震が来たら、地震慣れした関東人でも、まず軽く目が覚め、布団の中で揺れながら、揺れが大きくならないか警戒し、「ああ、大丈夫」と確認して寝なおします。
そんなのが昼夜問わず、1時間に数回というペースで起き続けています。そろそろ落ち着きつつあるかと思っていたら、不意打ちで震度5強とか来るんだから、落ち着いて眠れません。眠れないって、辛いです。
5年前の東日本の地震の際、私は埼玉に住んでいて、本震がたしか震度5強でした。もちろん、当時の東北の人々や、今の九州の人々に比べたら、そのレベルはなんてことないのかもしれませんが、その後、度重なる余震に対して、どこにもぶつけることのできない怒りが湧いてきたのを覚えています。
熊本・大分の人々は、そんな気持ちで日々を過ごしているのだろうと思います。家で仕事をするようになり、わりと自由な身になったとはいえ、九州は遠すぎて、直接どうこうすることはできません。とりあえず、わずかですが、今出せる金額を義捐金として送りました。
2年前に熊本市の西部に転居した友人がいますが、彼とは最初の地震直後に連絡が取れ、無事でいることがわかりました。ただ、2回目の大きいのは「ヤバい揺れだった」と言ってました。
それから、17年前から15年前という大昔、何度か一緒に旅をしたことがある熊本出身のOさんのことが気になり、古い住所録をほじくり出してメールを送ったら返事が返ってきました。Oさんは今は関東に住んでいて、熊本のご両親も無事だと教えてくれました。
とりあえず、熊本に関わりのある知人が無事でいてくれて、安心しました。
話は変わりますが、TBSで「落語研究会」という番組が月に1回放送されています。その放送が昨日でした。今回、放送されたのは、柳家喬太郎さん演じる「宮戸川」。
「宮戸川」というのは浅草近辺の隅田川の別称だそうですが、全部語ると長編であるのに加え、後半は凄惨なシーンが続くことから、通常、高座でかけられるのは前半のみで、題名にもなっている宮戸川は出て来ず、ちょっと色っぽい話になる手前のところで、「あ、そろそろお時間のようで」などと言って引きあげるのが一般的です。
ところが今回は、落語通ばかりが集まる「落語研究会」。時間たっぷり、全編が演じられました。凄惨なシーンが終わり、一転して明るくなった(要は「夢オチ」なんですけどね)オチ前のシーンでは、話自体の面白み自体に笑いが起きていたので、おそらく、落語研究会の観客たちですら、全編を聞いたことはあまりないのではないかと思います。
そんな貴重な「宮戸川」、私も全編通しは初めて見ましたし、是非ともブルーレイに焼いて保存しておきたかったのですが…、途中にちょくちょく入る地震速報。もちろん保存してもいいんですが、後で見たときに、今回の地震のことを思い出して、つらい気持ちになります。
5年前の東日本の地震の時も、テレビの録画で残念な思いをした時期がしばらく続きました。いろいろと残念で、悲しいです。
とにもかくにも、現地の人々が少しでも早く、平穏な暮らしを取り戻してくれることを願います。
ゆうゆうワイド
4月8日の金曜日、TBSラジオで30年間続いた午前中のワイド番組「大沢悠里のゆうゆうワイド」が終わりました。
1986年4月、私が中学に上がった年から放送していた訳で、私にとっては、TBSラジオの午前中といえば、大沢悠里さんののんびりした声が流れているのが当たり前でした。
ニッポン放送で長く放送されていた「玉置弘の笑顔でこんにちは」が1996年に終わって以降、文化放送とニッポン放送で午前中にどんな番組をやっているのかよく知りませんでしたが、とにかく「ゆうゆうワイド」は常に同じタイムスケジュールに則って、その名の通り、悠々と、毎日放送されていました。それが終わったんですから、大事件です。
自宅で仕事をするようになってから、だいたい起きるのは9時とか10時ぐらいになり、ラジオのタイマーで目が覚める生活をしています。「ゆうゆうワイド」最終日の8日は10時前にタイマーで目が覚めました(10時にセットしてあるのですが、時計が少し進んでいます)。いつものように、しばらく布団の中で聞きます。各曜日のパートナーが集って、富士山を望む富士宮の田貫湖からの放送でした。
いつもなら、ある程度聞いたら布団から出て、朝ごはんを食べて仕事にかかるのですが、今日はやっぱり最後まで聞きたい。「みんなどう思ってるのかな?」と、2chの実況スレを見たり、書き込んだりしながら、最後まで聞きました。
10時半過ぎからの名物コーナー(東京名物といっても過言ではないと思う)「毒蝮三太夫のミュージックプレゼント」は4月以降も後続の番組の中で存続しますが、悠里さんとまむしさんとの掛け合いは今日が最後。「悠里ちゃん、ありがとう」「まむしさん、ありがとう」と互いに何度も呼びかけていたのが印象的でした。
レギュラー出演者からのお別れメッセージとか、ゲストも登場したりして、なんとなくお祭りムードはあったけれど、それでも、いつもののんびりした調子で、午後1時前、「お元気でー」と30年と1日続いた番組が終わりました。2chの実況スレはといえば、番組が終わるとほぼ同時に1000レスついてスレが1枚が終わったというのも、何だか運命的なものを感じたりして。
そして翌日、9日土曜日の午後3時。「大沢悠里のゆうゆうワイド 土曜日版」が始まりました。今回に限り、悠里さんは6日勤務です。
「てぃーびーえすらじお おーさわゆーりのゆーゆーわいどー」という、昔から知ってる変な声のタイトルコールの後、「らーーーらんらーららーらーらんらー」という、これまたいつも通りの曲が流れて、悠里さんのトークが始まります。こうなると、気分は朝8時半です。
30年の習慣というのは大したもので、悠里さん自身も、初っ端の挨拶から、「みなさんおはようございます」と間違えて、パートナーのさこみちよさん(元金曜パートナー)に突っ込まれます。昔から続いている主なコーナーの多くがそのまま移動して来ていて、以前は11時から放送していた「おんなのリポート」が終わった午後4時過ぎに、「11時…じゃねえや」という言い間違いもありました。
コーナーもそのままだし、流れるCMもそのまま、交通情報のBGMも一緒なので、本当に今がいつなのか、訳が分からなくなります。
2chの実況スレの人々も同じ気持ちらしく、「時空がゆがむ」とか、「そろそろ昼飯か」とか言ってます。それから、やはりスポンサーがまるっきり一緒というのには、私だけでなく、2chの人々もみな一様に驚いています。本当に、「この時間は…」と提供クレジットが読まれるスポンサーだけでなく、それ以外のCMも、昨日までの午前中の放送とほぼ同じなんです。
悠里さんは「目新しいことは何一つありませんからね」って言っていましたが(こんなことを言えるラジオパーソナリティって、そうそういません)、民放局にとって第一に重要なことはスポンサーがつくこと。スポンサーをまるごと引き連れてくる大沢悠里さんという人は、やはり怪人です。長年聞いてきたリスナーにとっても、週に一度のこの時間が、大事な時間になることでしょう。
同じ職場に5年といたことのない私にとって、30年間やってきた、月曜から金曜まで、朝8時半から午後1時までの生放送という仕事が終わるというのは、想像もつかないことです。
「いいとも」が終わった後のタモリさんと同じように、悠里さんも「どこかゆっくり旅をしたい」と同じことを言っていましたが、悠里さんには、ゆうゆうと楽しい時間を過ごしてほしいと思います。
1986年4月、私が中学に上がった年から放送していた訳で、私にとっては、TBSラジオの午前中といえば、大沢悠里さんののんびりした声が流れているのが当たり前でした。
ニッポン放送で長く放送されていた「玉置弘の笑顔でこんにちは」が1996年に終わって以降、文化放送とニッポン放送で午前中にどんな番組をやっているのかよく知りませんでしたが、とにかく「ゆうゆうワイド」は常に同じタイムスケジュールに則って、その名の通り、悠々と、毎日放送されていました。それが終わったんですから、大事件です。
自宅で仕事をするようになってから、だいたい起きるのは9時とか10時ぐらいになり、ラジオのタイマーで目が覚める生活をしています。「ゆうゆうワイド」最終日の8日は10時前にタイマーで目が覚めました(10時にセットしてあるのですが、時計が少し進んでいます)。いつものように、しばらく布団の中で聞きます。各曜日のパートナーが集って、富士山を望む富士宮の田貫湖からの放送でした。
いつもなら、ある程度聞いたら布団から出て、朝ごはんを食べて仕事にかかるのですが、今日はやっぱり最後まで聞きたい。「みんなどう思ってるのかな?」と、2chの実況スレを見たり、書き込んだりしながら、最後まで聞きました。
10時半過ぎからの名物コーナー(東京名物といっても過言ではないと思う)「毒蝮三太夫のミュージックプレゼント」は4月以降も後続の番組の中で存続しますが、悠里さんとまむしさんとの掛け合いは今日が最後。「悠里ちゃん、ありがとう」「まむしさん、ありがとう」と互いに何度も呼びかけていたのが印象的でした。
レギュラー出演者からのお別れメッセージとか、ゲストも登場したりして、なんとなくお祭りムードはあったけれど、それでも、いつもののんびりした調子で、午後1時前、「お元気でー」と30年と1日続いた番組が終わりました。2chの実況スレはといえば、番組が終わるとほぼ同時に1000レスついてスレが1枚が終わったというのも、何だか運命的なものを感じたりして。
そして翌日、9日土曜日の午後3時。「大沢悠里のゆうゆうワイド 土曜日版」が始まりました。今回に限り、悠里さんは6日勤務です。
「てぃーびーえすらじお おーさわゆーりのゆーゆーわいどー」という、昔から知ってる変な声のタイトルコールの後、「らーーーらんらーららーらーらんらー」という、これまたいつも通りの曲が流れて、悠里さんのトークが始まります。こうなると、気分は朝8時半です。
30年の習慣というのは大したもので、悠里さん自身も、初っ端の挨拶から、「みなさんおはようございます」と間違えて、パートナーのさこみちよさん(元金曜パートナー)に突っ込まれます。昔から続いている主なコーナーの多くがそのまま移動して来ていて、以前は11時から放送していた「おんなのリポート」が終わった午後4時過ぎに、「11時…じゃねえや」という言い間違いもありました。
コーナーもそのままだし、流れるCMもそのまま、交通情報のBGMも一緒なので、本当に今がいつなのか、訳が分からなくなります。
2chの実況スレの人々も同じ気持ちらしく、「時空がゆがむ」とか、「そろそろ昼飯か」とか言ってます。それから、やはりスポンサーがまるっきり一緒というのには、私だけでなく、2chの人々もみな一様に驚いています。本当に、「この時間は…」と提供クレジットが読まれるスポンサーだけでなく、それ以外のCMも、昨日までの午前中の放送とほぼ同じなんです。
悠里さんは「目新しいことは何一つありませんからね」って言っていましたが(こんなことを言えるラジオパーソナリティって、そうそういません)、民放局にとって第一に重要なことはスポンサーがつくこと。スポンサーをまるごと引き連れてくる大沢悠里さんという人は、やはり怪人です。長年聞いてきたリスナーにとっても、週に一度のこの時間が、大事な時間になることでしょう。
同じ職場に5年といたことのない私にとって、30年間やってきた、月曜から金曜まで、朝8時半から午後1時までの生放送という仕事が終わるというのは、想像もつかないことです。
「いいとも」が終わった後のタモリさんと同じように、悠里さんも「どこかゆっくり旅をしたい」と同じことを言っていましたが、悠里さんには、ゆうゆうと楽しい時間を過ごしてほしいと思います。
ちょっと成田へ
我が家の最寄り駅である新松戸駅には、1日1便だけ、成田空港へ行くバスが来ます。
今日は、ちょっと、それに乗ってみようという気持ちになりました。
ただ、これが、なかなか利用しにくい時間でして。

発車時刻: 2:25am
乗り場には、こういうのが立っています。


乗車のための案内を東電の分電ボックス側に向けちゃってるあたりに、ここからの利用を期待していない気配を感じます。
「深夜急行バス」と書かれているように、そもそもこのバスは、成田空港へ行くためではなく、都内から常磐線沿線を経由して千葉ニュータウンへと向かう、終電が終わった後の帰宅の足として走り始めたものでした。
これを走らせていたのが成田空港交通というバス会社でして、格安航空会社による成田発の早朝便が飛び始めた際に、「どうせ成田に車庫あっだがん、客乗しちゃうべえよ」(どうせ成田に車庫があるのだから、客を乗せてしまおうよ)というわけで、成田空港行きにしてしまったというわけです。
終電が終わって1時間以上たった月曜日の深夜。駅前に人影はなく、時々、店を早めに上がった水商売のおねえちゃんが通るぐらい。そんな中、夜のしじまを切り裂いて、こんなバスがやってきます。

10分ぐらい遅れて到着したバスからは3人が下車。「成田空港第3まで」と告げて乗車。新松戸から成田空港までの運賃は1000円。pasmo、Suica利用可。新松戸から成田空港へは、行き方がいくつかありますが、最安ルートでも千数十円かかり、実は、このバスがいちばん安かったりします。
東京から帰宅する人々だけを乗せていた頃は、降りる予定の人がいなければ、遠回りになる停留所はショートカットして、どんどん時間短縮して行ったのですが、途中からも乗る人がいるかもしれない以上は、誰も待つ人がいない駅前ロータリーにも入っていかなければならず、定時を待って発車しなければなりません。その点、都内からの帰宅の足としては、サービスダウンかも知れません。
私が乗ってから、降りていった人の数を合計すると、新松戸から乗った時点で、私のほかに6人いたようですが、3時25分ごろに到着した千葉ニュータウン中央駅で1人が降りたのを最後に、貸切になりました。つまり、成田空港への利用者は私1人でした。
一番前の席に座っていたので、前面展望独り占めです。
印旛沼を越えた先の、国道とは名ばかりの狭隘路とか、
「さすが地元」と唸りたくなるような、こんな秀逸なルート取りを楽しんだりしていたら、

予定よりも10分ほど早い4時15分。成田空港第3ターミナルに到着しました。
帰りの電車の時間まで、散策です。

第3ターミナル内。まだカウンターは開いてません。

搭乗口もシャッターが閉まっています。

そして、桐谷美玲、いいよねえ。意外に千葉っ子だし。

こんなふうにパンが無造作に置かれていても平気な国、日本。
第3ターミナルでは、24時間営業のローソンが開いているし、フードコートや書店も4時から営業しているので、食べるものや暇つぶしに困ることはなさそうです。第2ターミナルは、1階と2階のベンチを開放しているだけ。3階の出発フロアは開いてませんでした。
さて、第3ターミナルと第2ターミナルを一通りぷらぷらして、帰り。

5時44分発の西馬込行きに乗ります。

これに乗って、1回乗り換えたら、

6時半に新松戸に帰ってきました。バスに乗ってからちょうど4時間。
やっぱり、成田空港って、近くていいね!
新松戸にはネットカフェとか、2時間1000円で入れるサウナなんかもあるし、埼玉方面の、武蔵野線沿線の人とかの需要もあるかなあ…とも思ったけど、東京駅からだと1時ぐらい発のバスがあって、成田空港にはごろんと横になれる雑魚寝スペースを備えた休憩施設も整備されているので、早くに行ってゆっくり休んでればいいし。まあ、このバスを使うのはやっぱり沿線に住んでいる人かな。
成田空港交通ではもう1路線、深夜急行バスを走らせてて、それは実家の方を走るし。どんだけ俺に便利なんだよと。成田から早朝便乗る時には利用しますよ。
おみやげ。
第3ターミナルに就航している春秋航空日本が、就航先である広島と佐賀の名産品を売ってました。買ってきたのは、佐賀県呼子名産の「松浦漬」。クジラの上あごの軟骨の粕漬け。

うん、スライスしてあって、湯葉みたい。粕漬けなので、味に目新しさはないけど、食感がいい。正月にいとこの姉貴からもらった酒を飲む。また楽しからずや。
今日は、ちょっと、それに乗ってみようという気持ちになりました。
ただ、これが、なかなか利用しにくい時間でして。

発車時刻: 2:25am
乗り場には、こういうのが立っています。


乗車のための案内を東電の分電ボックス側に向けちゃってるあたりに、ここからの利用を期待していない気配を感じます。
「深夜急行バス」と書かれているように、そもそもこのバスは、成田空港へ行くためではなく、都内から常磐線沿線を経由して千葉ニュータウンへと向かう、終電が終わった後の帰宅の足として走り始めたものでした。
これを走らせていたのが成田空港交通というバス会社でして、格安航空会社による成田発の早朝便が飛び始めた際に、「どうせ成田に車庫あっだがん、客乗しちゃうべえよ」(どうせ成田に車庫があるのだから、客を乗せてしまおうよ)というわけで、成田空港行きにしてしまったというわけです。
終電が終わって1時間以上たった月曜日の深夜。駅前に人影はなく、時々、店を早めに上がった水商売のおねえちゃんが通るぐらい。そんな中、夜のしじまを切り裂いて、こんなバスがやってきます。

10分ぐらい遅れて到着したバスからは3人が下車。「成田空港第3まで」と告げて乗車。新松戸から成田空港までの運賃は1000円。pasmo、Suica利用可。新松戸から成田空港へは、行き方がいくつかありますが、最安ルートでも千数十円かかり、実は、このバスがいちばん安かったりします。
東京から帰宅する人々だけを乗せていた頃は、降りる予定の人がいなければ、遠回りになる停留所はショートカットして、どんどん時間短縮して行ったのですが、途中からも乗る人がいるかもしれない以上は、誰も待つ人がいない駅前ロータリーにも入っていかなければならず、定時を待って発車しなければなりません。その点、都内からの帰宅の足としては、サービスダウンかも知れません。
私が乗ってから、降りていった人の数を合計すると、新松戸から乗った時点で、私のほかに6人いたようですが、3時25分ごろに到着した千葉ニュータウン中央駅で1人が降りたのを最後に、貸切になりました。つまり、成田空港への利用者は私1人でした。
一番前の席に座っていたので、前面展望独り占めです。
印旛沼を越えた先の、国道とは名ばかりの狭隘路とか、
「さすが地元」と唸りたくなるような、こんな秀逸なルート取りを楽しんだりしていたら、

予定よりも10分ほど早い4時15分。成田空港第3ターミナルに到着しました。
帰りの電車の時間まで、散策です。

第3ターミナル内。まだカウンターは開いてません。

搭乗口もシャッターが閉まっています。

そして、桐谷美玲、いいよねえ。意外に千葉っ子だし。

こんなふうにパンが無造作に置かれていても平気な国、日本。
第3ターミナルでは、24時間営業のローソンが開いているし、フードコートや書店も4時から営業しているので、食べるものや暇つぶしに困ることはなさそうです。第2ターミナルは、1階と2階のベンチを開放しているだけ。3階の出発フロアは開いてませんでした。
さて、第3ターミナルと第2ターミナルを一通りぷらぷらして、帰り。

5時44分発の西馬込行きに乗ります。

これに乗って、1回乗り換えたら、

6時半に新松戸に帰ってきました。バスに乗ってからちょうど4時間。
やっぱり、成田空港って、近くていいね!
新松戸にはネットカフェとか、2時間1000円で入れるサウナなんかもあるし、埼玉方面の、武蔵野線沿線の人とかの需要もあるかなあ…とも思ったけど、東京駅からだと1時ぐらい発のバスがあって、成田空港にはごろんと横になれる雑魚寝スペースを備えた休憩施設も整備されているので、早くに行ってゆっくり休んでればいいし。まあ、このバスを使うのはやっぱり沿線に住んでいる人かな。
成田空港交通ではもう1路線、深夜急行バスを走らせてて、それは実家の方を走るし。どんだけ俺に便利なんだよと。成田から早朝便乗る時には利用しますよ。
おみやげ。
第3ターミナルに就航している春秋航空日本が、就航先である広島と佐賀の名産品を売ってました。買ってきたのは、佐賀県呼子名産の「松浦漬」。クジラの上あごの軟骨の粕漬け。

うん、スライスしてあって、湯葉みたい。粕漬けなので、味に目新しさはないけど、食感がいい。正月にいとこの姉貴からもらった酒を飲む。また楽しからずや。