幸せな時間
一昨日のこと。
夕方、天王洲アイルの銀河劇場へ、「廣瀬智紀 & 入来茉里」ペア出演の朗読劇「私の頭の中の消しゴム」を見に行ってきました。
ストーリーは、知ってる方も多いと思いますが、ほんとにざっくり言うと、
妻「薫」は、若年性アルツハイマー病にかかり、あんなに好きで好きでたまらなかった夫「浩介」のことさえ徐々に忘れてゆく。でも時々、ふと記憶を取り戻し、「私には時間がないの」と、その時に覚えていることを記録し、伝えたいことを伝えようとする。…でも、やっぱり徐々に、確実に、あらゆることを忘れてゆく。そして最後、もう何もかもわからなくなった薫が、記憶のとても深い所に自分を残しておいてくれていたことを、浩介は知る。 ~ fin ~
と、そんな話です。
とても悲しく美しい純愛劇で、とってもいい話なんですが、このタイトルは如何なものか、と思うんですよね。
韓国の脚本家が付けたタイトルなのですが、韓国語って、日本語とほぼ同じ文法構造ながら、助詞「の」を省略する傾向が強いのです。厳密に言うと難しいので端折りますが、原題では「の」に相当する助詞は1つしか入りません。それを直訳したために「の」「の」「の」となってしまい、それに、「消しゴム」という語も色気に欠ける気がするし、なんか、モヤモヤする邦題です。
それはさておき、
3日前、つまり観劇の前の晩のこと。
チケットを確認しました。私は、日時や場所などの約束ごとに関しては本当に自信がない(→参考)ので、5月5日のチケットなのか、明日は本当に5月5日なのか、場所は銀河劇場で間違いないのか、開演時間は何時か…
そして、席の記載に目をやると…1階A列20番。ふーん、どの辺なんだろう?
銀河劇場のWebサイトで確認します。
なんと、最前列でした。それもほぼ中央。
そりゃそうだ、1階A列だもん。見た時点でだいたい気付けって話で。
これまで「なんとなくこんな話」とだけ知っていて、映画もドラマも見たことなかったこの作品を見に行くことにしたのは、とにもかくにも、出演する入来ちゃんのファンだからなんですけど、それが最前列って…。それも、朗読劇なので、入来ちゃんはだいたいいつも、すぐ目の前に座ってる訳です。
熱が出そうになりました。そして、とりあえずシャツにアイロンをかけました。
そんな舞台なのに、それまでろくに席の位置も確認していなかったってのもアレなんですが。
そして、当日。
開演前、目の前はこんな景色でした。

開演のベルが鳴り、暗転。幕が開き、明るくなる。立体的な白いセットを背景にして、白い椅子が2脚。やべえ、近い。近すぎる。
席から舞台まで1.5メートルほど。白い椅子は、そこから1.5メートルほど引いた位置にあります。目の前3メートルの位置で入来ちゃん演じる薫がいる。夢のような事態です。
感想文は小学校の頃から苦手でうまく書けませんが、二人の熱演は素晴らしく、葛藤、幸福、不安、疑念、絶望、信念、喪失、真実、永遠…。なんか今思い起こすと、こんな言葉が浮かんでくるけど、手に本を持った朗読ながら、その風景がありありと眼前に浮かんでくるようで、とにかく最高の舞台でした。それを、こんな間近で見させてもらえるなんて、本当に幸せでした。
あまりに近すぎて、劇を見ているというよりも、その場に居合わせているかのように思えてきて、薫がとっちらかってる時など、手を差し伸べて安心させてあげたいような気持ちに何度もなりました。それだけ、劇に入り込んでいたってことなのかも知れません。
「朗読劇+最前列中央」だからこそ、わかったこともありました。
二人が舞台の両端に分かれて立つシーンがあります。そうすると、二人を一緒に見ることはできません。片方を見るのもちょっとしんどいです。でも、朗読劇は、情景を想像しながら見るものなので、見えなくても全然ストレスないんですね。二人の声を聴きながら、空(くう)を眺めたり、時折スクリーンに写し出される風景を見たり、いろんなことを考えたりしながら見てました。
朗読劇って初めて見ましたが、こういう想像しながら見るもの、私、好きみたいです。落語もそうだし、ラジオドラマも好きです。
観劇後はずっと放心状態で、家に帰ってきても、思い出しドキドキ&ため息がおさまりませんでした。
これから1週間ぐらい、だいぶ仕事が忙しくなりそうですが、この幸せを糧にして、乗り切ります。

夕方、天王洲アイルの銀河劇場へ、「廣瀬智紀 & 入来茉里」ペア出演の朗読劇「私の頭の中の消しゴム」を見に行ってきました。
ストーリーは、知ってる方も多いと思いますが、ほんとにざっくり言うと、
妻「薫」は、若年性アルツハイマー病にかかり、あんなに好きで好きでたまらなかった夫「浩介」のことさえ徐々に忘れてゆく。でも時々、ふと記憶を取り戻し、「私には時間がないの」と、その時に覚えていることを記録し、伝えたいことを伝えようとする。…でも、やっぱり徐々に、確実に、あらゆることを忘れてゆく。そして最後、もう何もかもわからなくなった薫が、記憶のとても深い所に自分を残しておいてくれていたことを、浩介は知る。 ~ fin ~
と、そんな話です。
とても悲しく美しい純愛劇で、とってもいい話なんですが、このタイトルは如何なものか、と思うんですよね。
韓国の脚本家が付けたタイトルなのですが、韓国語って、日本語とほぼ同じ文法構造ながら、助詞「の」を省略する傾向が強いのです。厳密に言うと難しいので端折りますが、原題では「の」に相当する助詞は1つしか入りません。それを直訳したために「の」「の」「の」となってしまい、それに、「消しゴム」という語も色気に欠ける気がするし、なんか、モヤモヤする邦題です。
それはさておき、
3日前、つまり観劇の前の晩のこと。
チケットを確認しました。私は、日時や場所などの約束ごとに関しては本当に自信がない(→参考)ので、5月5日のチケットなのか、明日は本当に5月5日なのか、場所は銀河劇場で間違いないのか、開演時間は何時か…
そして、席の記載に目をやると…1階A列20番。ふーん、どの辺なんだろう?
銀河劇場のWebサイトで確認します。
なんと、最前列でした。それもほぼ中央。
そりゃそうだ、1階A列だもん。見た時点でだいたい気付けって話で。
これまで「なんとなくこんな話」とだけ知っていて、映画もドラマも見たことなかったこの作品を見に行くことにしたのは、とにもかくにも、出演する入来ちゃんのファンだからなんですけど、それが最前列って…。それも、朗読劇なので、入来ちゃんはだいたいいつも、すぐ目の前に座ってる訳です。
熱が出そうになりました。そして、とりあえずシャツにアイロンをかけました。
そんな舞台なのに、それまでろくに席の位置も確認していなかったってのもアレなんですが。
そして、当日。
開演前、目の前はこんな景色でした。

開演のベルが鳴り、暗転。幕が開き、明るくなる。立体的な白いセットを背景にして、白い椅子が2脚。やべえ、近い。近すぎる。
席から舞台まで1.5メートルほど。白い椅子は、そこから1.5メートルほど引いた位置にあります。目の前3メートルの位置で入来ちゃん演じる薫がいる。夢のような事態です。
感想文は小学校の頃から苦手でうまく書けませんが、二人の熱演は素晴らしく、葛藤、幸福、不安、疑念、絶望、信念、喪失、真実、永遠…。なんか今思い起こすと、こんな言葉が浮かんでくるけど、手に本を持った朗読ながら、その風景がありありと眼前に浮かんでくるようで、とにかく最高の舞台でした。それを、こんな間近で見させてもらえるなんて、本当に幸せでした。
あまりに近すぎて、劇を見ているというよりも、その場に居合わせているかのように思えてきて、薫がとっちらかってる時など、手を差し伸べて安心させてあげたいような気持ちに何度もなりました。それだけ、劇に入り込んでいたってことなのかも知れません。
「朗読劇+最前列中央」だからこそ、わかったこともありました。
二人が舞台の両端に分かれて立つシーンがあります。そうすると、二人を一緒に見ることはできません。片方を見るのもちょっとしんどいです。でも、朗読劇は、情景を想像しながら見るものなので、見えなくても全然ストレスないんですね。二人の声を聴きながら、空(くう)を眺めたり、時折スクリーンに写し出される風景を見たり、いろんなことを考えたりしながら見てました。
朗読劇って初めて見ましたが、こういう想像しながら見るもの、私、好きみたいです。落語もそうだし、ラジオドラマも好きです。
観劇後はずっと放心状態で、家に帰ってきても、思い出しドキドキ&ため息がおさまりませんでした。
これから1週間ぐらい、だいぶ仕事が忙しくなりそうですが、この幸せを糧にして、乗り切ります。

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