博多みやげ
我が家に博多みやげがやってきた。九州へ行ってきた知り合いもいないし、ましてや自分が行ってきたわけでもない。近所のダイエーでひっそりと「九州・沖縄フェア」をやっていた。以前の地サイダーもそうだったが、実に人知れず密かに「フェアもの」をやる店である。
買って来たのは、博多銘菓「博多ぶらぶら」。左衛門というお菓子屋さんが製造しているもので、ぎゅうひを、ほどよい甘さのこしあんで包んである。
この「博多ぶらぶら」のCMは、福岡県民なら知らない人のない有名ローカルCMだそうで、福岡現地で見たことはないのだが、youtubeで見て知っていた。youtubeってすごいね。それがこんなやつ。↓
完全白バックというのがたまりませんな。
で、現物を今日初めて見て、「あ!博多ぶらぶらだ」と感激して即買いしてしまった。それともう一つ、購入意欲を掻き立てる要素があったのだが、それについては以下の写真参照のこと。
なんだか可哀想なことになってる銘菓。
賞味期限間近(29日。つまり今日!)の在庫処分により、525円のところ150円。まあ、生菓子なので、それも已むなし。売れ残りの原因には、埼玉における知名度の低さもあるかもしれず、ちょっと残念だ。マルセイバターサンドだったら、値引き処分はなかっただろうに。そんなわけで、だれも九州に行っていないけど、博多みやげ、夫婦でおいしくいただきましたとさ。
さて、全然関係ないが、うちのハムスター「さつきさん」にブロッコリーの葉をやってみたら、大興奮で食べていた。食べるというより、大急ぎで左右のほお袋に入れていた。横取りなんかしないってば。そのうち顔が四角くなって、こんなふうになった。
四角い顔に尖った鼻先。東北・上越新幹線のMAXを思い出した。なんとなく。
買って来たのは、博多銘菓「博多ぶらぶら」。左衛門というお菓子屋さんが製造しているもので、ぎゅうひを、ほどよい甘さのこしあんで包んである。
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| 包装。顔の人は、何か民芸的な アレなのでしょうか。お祭りとか。 | 中身はこんな。美味しそうじゃないですか。 |
この「博多ぶらぶら」のCMは、福岡県民なら知らない人のない有名ローカルCMだそうで、福岡現地で見たことはないのだが、youtubeで見て知っていた。youtubeってすごいね。それがこんなやつ。↓
完全白バックというのがたまりませんな。
で、現物を今日初めて見て、「あ!博多ぶらぶらだ」と感激して即買いしてしまった。それともう一つ、購入意欲を掻き立てる要素があったのだが、それについては以下の写真参照のこと。
なんだか可哀想なことになってる銘菓。
賞味期限間近(29日。つまり今日!)の在庫処分により、525円のところ150円。まあ、生菓子なので、それも已むなし。売れ残りの原因には、埼玉における知名度の低さもあるかもしれず、ちょっと残念だ。マルセイバターサンドだったら、値引き処分はなかっただろうに。そんなわけで、だれも九州に行っていないけど、博多みやげ、夫婦でおいしくいただきましたとさ。
さて、全然関係ないが、うちのハムスター「さつきさん」にブロッコリーの葉をやってみたら、大興奮で食べていた。食べるというより、大急ぎで左右のほお袋に入れていた。横取りなんかしないってば。そのうち顔が四角くなって、こんなふうになった。
四角い顔に尖った鼻先。東北・上越新幹線のMAXを思い出した。なんとなく。
通院をやめた話
5月の初めごろから、精神科というところに通っていた。そのころ、なんだかやたらと気分が塞いで、ため息ばかり出た。そしてなんだかドキドキして息苦しく感じられることがしばしばあった。ちょっとネットで調べてみたりして、「こりゃあ具合悪いんじゃなかろうか」という気になって通い始めた。
症状をいろいろ先生に話した結果、「軽い鬱症状ですね」という診断が下されて、セロトニン再取り込み阻害薬というタイプの薬を処方された。精神疾患なんてそれまでよく知らなかったが、セロトニンという神経伝達物質の伝達量が少なくなり、それによって、鬱症状が現れるのだという。
処方された薬は、少しの量から始めて徐々に適量まで増やしていくという使い方をする薬で、初めは1日1錠。2週間後の2回目の診察から2錠になった。ため息やドキドキは治まり、確かに気分は軽くなった。
6月に入り、床についてもなかなか眠れず、眠りが浅いような日が続くようになった。4回目の診察で、「最近寝付きが悪くなりました」と言ったら、「症状が悪化してますねえ」ということで(不眠や睡眠時間帯の変動は鬱病の一症状でもある)、薬を3錠に増やすことになった。
3錠を4日ほど続けてみたが、眠りが浅いのは変わらなかった。すぐに効き目の出る薬ではないと聞いてはいたが、薬なんてなるべくなら飲みたくないし、3錠は多いだろうという気がしていたので、試しに、勝手に2錠に戻し、また1週間後ぐらいに1錠に減らしてみた。でも全然変化なし。眠りが浅いのはそのままだが、ため息やドキドキが復活するわけでもなかった。結果、どうやら3錠でも2錠でも1錠でも関係ないらしいということがわかった。
考えてみれば、セロトニンの伝達量を科学的に測定するわけでもなく(脳内のことなのでそれが測れなければ、それを推測し得る数値でも)、短時間の問診だけで処方量が増減する。向精神薬をそんな簡単に出してもらえるというのは正しいことなのだろうか?と疑問を持ち始めた。人によっては、たくさんの薬を飲むことで薬に依存するようになり、薬を止めようとしても止められない。止めたら禁断症状が出て、また精神科に通わなければならなくなる。そういう循環が想像できた。
そして今日の診察。3錠飲むことになっているところを、「1錠にしました」というとさすがに怒られそうだったので、「2錠でも全然変化ないんですよ。だからもう大丈夫なんじゃないですかね」と言ってみた。そうしたら、先生は「では、もう止めましょう」と、診療を中止するようなことを言う。私が「でも先生、増やす時も減らす時も徐々に量を変えるんだっておっしゃったじゃないですか」と言うと、先生は「じゃあ、どうする?」と聞くので、「では、1錠にしてください」と私の方から依頼して、処方箋を出してもらった。そういう経緯にしないと、私の方から治療を放棄したことになると思ったから。でも、こんなの、医療じゃない。
1錠でしばらく様子を見るということで4週間後の予約をとり、1錠×4週間分の処方箋をもらったが、再び行く気はないし、薬局へ行って薬を買う気もない。もし、また症状が現れたとしても、薬はまだ残っている。
毎回、予約した時間に行くと、40分ぐらいさらに待たされるのが常で、今日は1時間以上待った(その間に、ロッテリアでハンバーガーを食ってきた)。待つのがデフォルトであるしくみが理解できなかったのだが、もしかしたら、私のような脱落者や、初診の予約をしたが来なかったというような人を考慮した上での方法なのではないだろうか。私が行かなくなることで、ほかの人の待ち時間が短くなるのであれば、それはいいことだ。
自殺企図するほどの鬱病や、あちこちに迷惑かけたりする躁鬱病ともなれば、ちゃんと治療する必要があるだろう。それほど重症でなくても、薬のおかげで精神の安定を保てている人も、もちろんいるはずだ。でも、今回の私の場合、ネットで調べたりして「具合悪いかも」と思うようになって通い始めたわけで、もしかしたら、最初から「気の持ちよう」だったのかもしれない。
時間と費用は少々使ったが、精神科というところに初めて通ってみて、いろいろと学ぶものはあったように思う。たぶん人生に無駄なことはない。
症状をいろいろ先生に話した結果、「軽い鬱症状ですね」という診断が下されて、セロトニン再取り込み阻害薬というタイプの薬を処方された。精神疾患なんてそれまでよく知らなかったが、セロトニンという神経伝達物質の伝達量が少なくなり、それによって、鬱症状が現れるのだという。
処方された薬は、少しの量から始めて徐々に適量まで増やしていくという使い方をする薬で、初めは1日1錠。2週間後の2回目の診察から2錠になった。ため息やドキドキは治まり、確かに気分は軽くなった。
6月に入り、床についてもなかなか眠れず、眠りが浅いような日が続くようになった。4回目の診察で、「最近寝付きが悪くなりました」と言ったら、「症状が悪化してますねえ」ということで(不眠や睡眠時間帯の変動は鬱病の一症状でもある)、薬を3錠に増やすことになった。
3錠を4日ほど続けてみたが、眠りが浅いのは変わらなかった。すぐに効き目の出る薬ではないと聞いてはいたが、薬なんてなるべくなら飲みたくないし、3錠は多いだろうという気がしていたので、試しに、勝手に2錠に戻し、また1週間後ぐらいに1錠に減らしてみた。でも全然変化なし。眠りが浅いのはそのままだが、ため息やドキドキが復活するわけでもなかった。結果、どうやら3錠でも2錠でも1錠でも関係ないらしいということがわかった。
考えてみれば、セロトニンの伝達量を科学的に測定するわけでもなく(脳内のことなのでそれが測れなければ、それを推測し得る数値でも)、短時間の問診だけで処方量が増減する。向精神薬をそんな簡単に出してもらえるというのは正しいことなのだろうか?と疑問を持ち始めた。人によっては、たくさんの薬を飲むことで薬に依存するようになり、薬を止めようとしても止められない。止めたら禁断症状が出て、また精神科に通わなければならなくなる。そういう循環が想像できた。
そして今日の診察。3錠飲むことになっているところを、「1錠にしました」というとさすがに怒られそうだったので、「2錠でも全然変化ないんですよ。だからもう大丈夫なんじゃないですかね」と言ってみた。そうしたら、先生は「では、もう止めましょう」と、診療を中止するようなことを言う。私が「でも先生、増やす時も減らす時も徐々に量を変えるんだっておっしゃったじゃないですか」と言うと、先生は「じゃあ、どうする?」と聞くので、「では、1錠にしてください」と私の方から依頼して、処方箋を出してもらった。そういう経緯にしないと、私の方から治療を放棄したことになると思ったから。でも、こんなの、医療じゃない。
1錠でしばらく様子を見るということで4週間後の予約をとり、1錠×4週間分の処方箋をもらったが、再び行く気はないし、薬局へ行って薬を買う気もない。もし、また症状が現れたとしても、薬はまだ残っている。
毎回、予約した時間に行くと、40分ぐらいさらに待たされるのが常で、今日は1時間以上待った(その間に、ロッテリアでハンバーガーを食ってきた)。待つのがデフォルトであるしくみが理解できなかったのだが、もしかしたら、私のような脱落者や、初診の予約をしたが来なかったというような人を考慮した上での方法なのではないだろうか。私が行かなくなることで、ほかの人の待ち時間が短くなるのであれば、それはいいことだ。
自殺企図するほどの鬱病や、あちこちに迷惑かけたりする躁鬱病ともなれば、ちゃんと治療する必要があるだろう。それほど重症でなくても、薬のおかげで精神の安定を保てている人も、もちろんいるはずだ。でも、今回の私の場合、ネットで調べたりして「具合悪いかも」と思うようになって通い始めたわけで、もしかしたら、最初から「気の持ちよう」だったのかもしれない。
時間と費用は少々使ったが、精神科というところに初めて通ってみて、いろいろと学ぶものはあったように思う。たぶん人生に無駄なことはない。
空耳
最近、よく流れている、安室奈美恵が出ているヴィダルサスーンのCM。
冒頭に「ヴィダルサスーン」という男の声が入る。これが、毎回「宮尾すすーむ」と聞こえる。ちゃんと聞こうと構えていれば正しく聞こえるのだが、気を抜いていると正しく聞こえず、「宮尾すすーむ」である。
試しに、ネットで聞いてみたが、「ヴィダルサスーン」と聞こえた。でも、よく聞くと、最後の「ン」で口を軽く閉じているようで、そのせいで「む」に聞こえてしまうようだ。
さて、「ヴィダルサスーン」。CMが一くさり流れた後ではなく、最も気を抜ききっている冒頭部分で言うので、必ず「宮尾すすーむ」と聞こえて(それもいい声で)、「!?」と思って画面を見るとヴィダルサスーンで、「ああ、またか」と思う。
私はドラマとか、ヴィダルサスーンがスポンサーにつきそうなタイプの番組はあまり見ない。見るとすれば、唐突に現れるスポットCMであり、それが「宮尾すすーむ」に拍車をかける。
でも最近は慣れてきて、「!?。ああ、ヴィダルサスーンね」と、画面を見ずとも即座に思えるようになったが、「宮尾すすーむ」と聞こえていることに変わりはない。
冒頭に「ヴィダルサスーン」という男の声が入る。これが、毎回「宮尾すすーむ」と聞こえる。ちゃんと聞こうと構えていれば正しく聞こえるのだが、気を抜いていると正しく聞こえず、「宮尾すすーむ」である。
試しに、ネットで聞いてみたが、「ヴィダルサスーン」と聞こえた。でも、よく聞くと、最後の「ン」で口を軽く閉じているようで、そのせいで「む」に聞こえてしまうようだ。
さて、「ヴィダルサスーン」。CMが一くさり流れた後ではなく、最も気を抜ききっている冒頭部分で言うので、必ず「宮尾すすーむ」と聞こえて(それもいい声で)、「!?」と思って画面を見るとヴィダルサスーンで、「ああ、またか」と思う。
私はドラマとか、ヴィダルサスーンがスポンサーにつきそうなタイプの番組はあまり見ない。見るとすれば、唐突に現れるスポットCMであり、それが「宮尾すすーむ」に拍車をかける。
でも最近は慣れてきて、「!?。ああ、ヴィダルサスーンね」と、画面を見ずとも即座に思えるようになったが、「宮尾すすーむ」と聞こえていることに変わりはない。
道標の謎、解決しました。
川越の図書館へ行ってきた。先日書いた記事で読めなかった道標「●●や満」について調べるために。
そこで、川越市教育委員会で編纂した「川越市歴史の道調査報告書」という本を見つけた。川越市内の旧街道を網羅した本で、問題の、握津を通り川越へ達する街道が「与野道 (別称)鎌倉街道」として収載されており、謎としていた道標についても解説されている。
結論から言うと、コメントで「通りすがり」さんが指摘して下さったように、どうやら大山が正解らしい。同書では「あふやま」と読んでいる。
だから「大山」に決定!というわけではない。ただ「本にそう書いてあったから」というだけでは、コメントを下さった方は信じずに、本ならすぐに信じるのかということになってしまう。そうではなく、同書は、史料を元にした考察に加え、地元の人への聞き取り調査もされていて、教育委員会編纂によるものなので当然ではあるが、かなり信憑性が高い。
「(別称)鎌倉街道」ともあるように、鎌倉へ通じる脇街道として利用されていた道だそうで、神奈川方面へ向かうための道であれば、途中で西へ折れて大山へ向かうというルートもあり得る。川越から南下して所沢方面に向かう別の道筋には「大山道」という道標があるそうなので、ここで大山が示されていることも不思議ではない。
庶民の暮らしに余裕ができてきて、大山詣りが盛んになった頃には、「全ての道は大山に通ず」というぐらいに、あちこちからの参詣路ができたというが、それにしても、川越の次に秩父と並んで大山というのはずいぶん突飛な感じがして、コメントでご指摘いただきながらも、納得できずにいたのだ。例えて言うなら、横浜あたりの国道1号線に「小田原 伊勢神宮」などと書いてあるようなものだろうか。
しかし、まあそういうことらしい。
それで、「何と彫ってあるのか」という件だが、「右側から巻く仮名文字はあり得ない」という気持ちで、撮影してきた写真について、改めてよく見てみた。

マウスオーバーで筆跡(推定)が表示されます。
すると、どうやら一度左へカーブして止め、右側で巻いているように見えてきた。そうすると右回りに巻いた後の筆跡が右上の点の位置へ繋がる。最初の左カーブと右巻きが近接しているために、そのへんが風化して、縦にまっすぐ下ろして右側から巻くように見えてしまっているのではないだろうか。「お」は「於」の草書体であるから、形としては一致する。そう思ったら、そうとしか見えなくなってきた。
そんなわけで、彫られているのは「あ」ではなくて、「お」だろうと思う。報告書では「あふや満」と読んているが、私は「おふや満」と読んで下さった「通りすがり」さんのご指摘を支持したいと思う。
「通りすがり」さんをはじめ、気にして下さった皆さま、ありがとうございました。解決です。
そこで、川越市教育委員会で編纂した「川越市歴史の道調査報告書」という本を見つけた。川越市内の旧街道を網羅した本で、問題の、握津を通り川越へ達する街道が「与野道 (別称)鎌倉街道」として収載されており、謎としていた道標についても解説されている。
結論から言うと、コメントで「通りすがり」さんが指摘して下さったように、どうやら大山が正解らしい。同書では「あふやま」と読んでいる。
だから「大山」に決定!というわけではない。ただ「本にそう書いてあったから」というだけでは、コメントを下さった方は信じずに、本ならすぐに信じるのかということになってしまう。そうではなく、同書は、史料を元にした考察に加え、地元の人への聞き取り調査もされていて、教育委員会編纂によるものなので当然ではあるが、かなり信憑性が高い。
「(別称)鎌倉街道」ともあるように、鎌倉へ通じる脇街道として利用されていた道だそうで、神奈川方面へ向かうための道であれば、途中で西へ折れて大山へ向かうというルートもあり得る。川越から南下して所沢方面に向かう別の道筋には「大山道」という道標があるそうなので、ここで大山が示されていることも不思議ではない。
庶民の暮らしに余裕ができてきて、大山詣りが盛んになった頃には、「全ての道は大山に通ず」というぐらいに、あちこちからの参詣路ができたというが、それにしても、川越の次に秩父と並んで大山というのはずいぶん突飛な感じがして、コメントでご指摘いただきながらも、納得できずにいたのだ。例えて言うなら、横浜あたりの国道1号線に「小田原 伊勢神宮」などと書いてあるようなものだろうか。
しかし、まあそういうことらしい。
それで、「何と彫ってあるのか」という件だが、「右側から巻く仮名文字はあり得ない」という気持ちで、撮影してきた写真について、改めてよく見てみた。

マウスオーバーで筆跡(推定)が表示されます。
すると、どうやら一度左へカーブして止め、右側で巻いているように見えてきた。そうすると右回りに巻いた後の筆跡が右上の点の位置へ繋がる。最初の左カーブと右巻きが近接しているために、そのへんが風化して、縦にまっすぐ下ろして右側から巻くように見えてしまっているのではないだろうか。「お」は「於」の草書体であるから、形としては一致する。そう思ったら、そうとしか見えなくなってきた。
そんなわけで、彫られているのは「あ」ではなくて、「お」だろうと思う。報告書では「あふや満」と読んているが、私は「おふや満」と読んで下さった「通りすがり」さんのご指摘を支持したいと思う。
「通りすがり」さんをはじめ、気にして下さった皆さま、ありがとうございました。解決です。
「にごり」と「にこり」
「綾鷹」というお茶のCMで、真田広之と外国人の女性が、「にごり」、「にこり」とやりとりしている。真田広之が言う「にごり」が女性はうまく発音できず「にこり」となってしまう。「ご」と「こ」。微妙な発音が難しくて生じた、ちょっと楽しい一コマといったところである。
ちょっとだけ発音の小難しいような話をするが、同じ調音点(発音時に口の器官のどれをどう使うかという、その位置)で発音する2つの破裂音(gとk、dとt、bとpなど)を区別するのに、有声と無声(子音の発音と同時に声帯が震えているか否か)という区別と、有気と無気(子音の発音と同時に強い息を出すか否か)という区別の2種類がある。日本語は前者であって、gとkの例でいえば、子音発音時に声帯が震えていれば「が」(有声)、震えていなければ「か」(無声)となる。
韓国の人が「私は韓国人です」と言うと「わだしはかんごくちんです」と聞こえたりするのは、韓国語が日本語とは違って無気・有気の区別を持つ言語であって、日本語の有声・無声の区別ができないということに由来する。逆に、日本語では韓国語の音を正確に表記することができないので、「ビビンバ」と書かれたり「ピビンパ」と書かれたりする。
一方、日本語の発音のうち、多くの外国人にとって難しいのが、「ー」(長音)、「ん」(撥音)、「っ」(促音)で、日本人には当たり前のこれらの音だが、これらで1拍を消費するというのが難しいらしい。切手を買おうとしたら人が来てしまった(きってください→きてください)なんてのは笑い話のレベルだが、日本人の知らないところで、けっこう困ったことが起こっていた。
長音が聞き取れないという外国人共通の問題に加え、有声・無声の区別ができない人の場合、どうなるか。「いたばし」と「いいだばし」の区別ができなくなる。困ったことに、昔、東京入国管理局が板橋にあった。「入管の最寄り駅は板橋だよ」と言われて、何の疑いもなく飯田橋に行ってしまったということが実話としてよくあったらしい。「板橋」よりも「飯田橋」の方が多くの外国人には普段、馴染みがあり、直感的に飯田橋と聞き取ったというのは頷ける。
さて、話がずいぶんそれたが、CMの女性の話である。日本語の有声・無声の違いが発音できないようなので、おそらく無気・有気の区別を持つ言語を母語としているようだ。では、無気・有気の違いを持つ言語は何語か?と言えば、これが実はとても少数派で、韓国語、中国語、タイ語だけらしい。私は、韓国語と中国語を習ったことがあるので、世界中にけっこうあるのかと思っていたが、アジアの3言語だけだったとは知らなかった。
しかし、CMの女性はどう見ても、韓国・中国・タイの人には見えない。それに、よく聞くと、日本語と同じ有声・無声の区別で、わざと「にこり」と発音しているのがわかる。そんなわけで、あのCMを初めて見た時に「おやおや?」と違和感を感じた。
CMのアイデアが出て、企画が練られていくうちに、「ご」と「こ」の違いが生じるのは韓国人、中国人、タイ人だけらしい」という事実がわかっていた可能性は多分にある。しかし、韓国人、中国人、タイ人では、見た目が日本人と似ていて、絵柄として面白味に欠ける。「外国人」であることを分かりやすく表現するには白人だろうと。アメリカなら人種差別と怒られるかもしれないが、まあ、日本においてはそうである。そこで、「ご」と「こ」の区別ができるタレントさんだが、うまく発音できない演技をしてもらおうと、そういうことになったと推測する。
まあ、実際にはどうだったか知ったことではないが、CM制作者の苦悩を勝手に垣間見てみた次第である。
ちょっとだけ発音の小難しいような話をするが、同じ調音点(発音時に口の器官のどれをどう使うかという、その位置)で発音する2つの破裂音(gとk、dとt、bとpなど)を区別するのに、有声と無声(子音の発音と同時に声帯が震えているか否か)という区別と、有気と無気(子音の発音と同時に強い息を出すか否か)という区別の2種類がある。日本語は前者であって、gとkの例でいえば、子音発音時に声帯が震えていれば「が」(有声)、震えていなければ「か」(無声)となる。
韓国の人が「私は韓国人です」と言うと「わだしはかんごくちんです」と聞こえたりするのは、韓国語が日本語とは違って無気・有気の区別を持つ言語であって、日本語の有声・無声の区別ができないということに由来する。逆に、日本語では韓国語の音を正確に表記することができないので、「ビビンバ」と書かれたり「ピビンパ」と書かれたりする。
一方、日本語の発音のうち、多くの外国人にとって難しいのが、「ー」(長音)、「ん」(撥音)、「っ」(促音)で、日本人には当たり前のこれらの音だが、これらで1拍を消費するというのが難しいらしい。切手を買おうとしたら人が来てしまった(きってください→きてください)なんてのは笑い話のレベルだが、日本人の知らないところで、けっこう困ったことが起こっていた。
長音が聞き取れないという外国人共通の問題に加え、有声・無声の区別ができない人の場合、どうなるか。「いたばし」と「いいだばし」の区別ができなくなる。困ったことに、昔、東京入国管理局が板橋にあった。「入管の最寄り駅は板橋だよ」と言われて、何の疑いもなく飯田橋に行ってしまったということが実話としてよくあったらしい。「板橋」よりも「飯田橋」の方が多くの外国人には普段、馴染みがあり、直感的に飯田橋と聞き取ったというのは頷ける。
さて、話がずいぶんそれたが、CMの女性の話である。日本語の有声・無声の違いが発音できないようなので、おそらく無気・有気の区別を持つ言語を母語としているようだ。では、無気・有気の違いを持つ言語は何語か?と言えば、これが実はとても少数派で、韓国語、中国語、タイ語だけらしい。私は、韓国語と中国語を習ったことがあるので、世界中にけっこうあるのかと思っていたが、アジアの3言語だけだったとは知らなかった。
しかし、CMの女性はどう見ても、韓国・中国・タイの人には見えない。それに、よく聞くと、日本語と同じ有声・無声の区別で、わざと「にこり」と発音しているのがわかる。そんなわけで、あのCMを初めて見た時に「おやおや?」と違和感を感じた。
CMのアイデアが出て、企画が練られていくうちに、「ご」と「こ」の違いが生じるのは韓国人、中国人、タイ人だけらしい」という事実がわかっていた可能性は多分にある。しかし、韓国人、中国人、タイ人では、見た目が日本人と似ていて、絵柄として面白味に欠ける。「外国人」であることを分かりやすく表現するには白人だろうと。アメリカなら人種差別と怒られるかもしれないが、まあ、日本においてはそうである。そこで、「ご」と「こ」の区別ができるタレントさんだが、うまく発音できない演技をしてもらおうと、そういうことになったと推測する。
まあ、実際にはどうだったか知ったことではないが、CM制作者の苦悩を勝手に垣間見てみた次第である。





