幸せな時間
一昨日のこと。
夕方、天王洲アイルの銀河劇場へ、「廣瀬智紀 & 入来茉里」ペア出演の朗読劇「私の頭の中の消しゴム」を見に行ってきました。
ストーリーは、知ってる方も多いと思いますが、ほんとにざっくり言うと、
妻「薫」は、若年性アルツハイマー病にかかり、あんなに好きで好きでたまらなかった夫「浩介」のことさえ徐々に忘れてゆく。でも時々、ふと記憶を取り戻し、「私には時間がないの」と、その時に覚えていることを記録し、伝えたいことを伝えようとする。…でも、やっぱり徐々に、確実に、あらゆることを忘れてゆく。そして最後、もう何もかもわからなくなった薫が、記憶のとても深い所に自分を残しておいてくれていたことを、浩介は知る。 ~ fin ~
と、そんな話です。
とても悲しく美しい純愛劇で、とってもいい話なんですが、このタイトルは如何なものか、と思うんですよね。
韓国の脚本家が付けたタイトルなのですが、韓国語って、日本語とほぼ同じ文法構造ながら、助詞「の」を省略する傾向が強いのです。厳密に言うと難しいので端折りますが、原題では「の」に相当する助詞は1つしか入りません。それを直訳したために「の」「の」「の」となってしまい、それに、「消しゴム」という語も色気に欠ける気がするし、なんか、モヤモヤする邦題です。
それはさておき、
3日前、つまり観劇の前の晩のこと。
チケットを確認しました。私は、日時や場所などの約束ごとに関しては本当に自信がない(→参考)ので、5月5日のチケットなのか、明日は本当に5月5日なのか、場所は銀河劇場で間違いないのか、開演時間は何時か…
そして、席の記載に目をやると…1階A列20番。ふーん、どの辺なんだろう?
銀河劇場のWebサイトで確認します。
なんと、最前列でした。それもほぼ中央。
そりゃそうだ、1階A列だもん。見た時点でだいたい気付けって話で。
これまで「なんとなくこんな話」とだけ知っていて、映画もドラマも見たことなかったこの作品を見に行くことにしたのは、とにもかくにも、出演する入来ちゃんのファンだからなんですけど、それが最前列って…。それも、朗読劇なので、入来ちゃんはだいたいいつも、すぐ目の前に座ってる訳です。
熱が出そうになりました。そして、とりあえずシャツにアイロンをかけました。
そんな舞台なのに、それまでろくに席の位置も確認していなかったってのもアレなんですが。
そして、当日。
開演前、目の前はこんな景色でした。

開演のベルが鳴り、暗転。幕が開き、明るくなる。立体的な白いセットを背景にして、白い椅子が2脚。やべえ、近い。近すぎる。
席から舞台まで1.5メートルほど。白い椅子は、そこから1.5メートルほど引いた位置にあります。目の前3メートルの位置で入来ちゃん演じる薫がいる。夢のような事態です。
感想文は小学校の頃から苦手でうまく書けませんが、二人の熱演は素晴らしく、葛藤、幸福、不安、疑念、絶望、信念、喪失、真実、永遠…。なんか今思い起こすと、こんな言葉が浮かんでくるけど、手に本を持った朗読ながら、その風景がありありと眼前に浮かんでくるようで、とにかく最高の舞台でした。それを、こんな間近で見させてもらえるなんて、本当に幸せでした。
あまりに近すぎて、劇を見ているというよりも、その場に居合わせているかのように思えてきて、薫がとっちらかってる時など、手を差し伸べて安心させてあげたいような気持ちに何度もなりました。それだけ、劇に入り込んでいたってことなのかも知れません。
「朗読劇+最前列中央」だからこそ、わかったこともありました。
二人が舞台の両端に分かれて立つシーンがあります。そうすると、二人を一緒に見ることはできません。片方を見るのもちょっとしんどいです。でも、朗読劇は、情景を想像しながら見るものなので、見えなくても全然ストレスないんですね。二人の声を聴きながら、空(くう)を眺めたり、時折スクリーンに写し出される風景を見たり、いろんなことを考えたりしながら見てました。
朗読劇って初めて見ましたが、こういう想像しながら見るもの、私、好きみたいです。落語もそうだし、ラジオドラマも好きです。
観劇後はずっと放心状態で、家に帰ってきても、思い出しドキドキ&ため息がおさまりませんでした。
これから1週間ぐらい、だいぶ仕事が忙しくなりそうですが、この幸せを糧にして、乗り切ります。

夕方、天王洲アイルの銀河劇場へ、「廣瀬智紀 & 入来茉里」ペア出演の朗読劇「私の頭の中の消しゴム」を見に行ってきました。
ストーリーは、知ってる方も多いと思いますが、ほんとにざっくり言うと、
妻「薫」は、若年性アルツハイマー病にかかり、あんなに好きで好きでたまらなかった夫「浩介」のことさえ徐々に忘れてゆく。でも時々、ふと記憶を取り戻し、「私には時間がないの」と、その時に覚えていることを記録し、伝えたいことを伝えようとする。…でも、やっぱり徐々に、確実に、あらゆることを忘れてゆく。そして最後、もう何もかもわからなくなった薫が、記憶のとても深い所に自分を残しておいてくれていたことを、浩介は知る。 ~ fin ~
と、そんな話です。
とても悲しく美しい純愛劇で、とってもいい話なんですが、このタイトルは如何なものか、と思うんですよね。
韓国の脚本家が付けたタイトルなのですが、韓国語って、日本語とほぼ同じ文法構造ながら、助詞「の」を省略する傾向が強いのです。厳密に言うと難しいので端折りますが、原題では「の」に相当する助詞は1つしか入りません。それを直訳したために「の」「の」「の」となってしまい、それに、「消しゴム」という語も色気に欠ける気がするし、なんか、モヤモヤする邦題です。
それはさておき、
3日前、つまり観劇の前の晩のこと。
チケットを確認しました。私は、日時や場所などの約束ごとに関しては本当に自信がない(→参考)ので、5月5日のチケットなのか、明日は本当に5月5日なのか、場所は銀河劇場で間違いないのか、開演時間は何時か…
そして、席の記載に目をやると…1階A列20番。ふーん、どの辺なんだろう?
銀河劇場のWebサイトで確認します。
なんと、最前列でした。それもほぼ中央。
そりゃそうだ、1階A列だもん。見た時点でだいたい気付けって話で。
これまで「なんとなくこんな話」とだけ知っていて、映画もドラマも見たことなかったこの作品を見に行くことにしたのは、とにもかくにも、出演する入来ちゃんのファンだからなんですけど、それが最前列って…。それも、朗読劇なので、入来ちゃんはだいたいいつも、すぐ目の前に座ってる訳です。
熱が出そうになりました。そして、とりあえずシャツにアイロンをかけました。
そんな舞台なのに、それまでろくに席の位置も確認していなかったってのもアレなんですが。
そして、当日。
開演前、目の前はこんな景色でした。

開演のベルが鳴り、暗転。幕が開き、明るくなる。立体的な白いセットを背景にして、白い椅子が2脚。やべえ、近い。近すぎる。
席から舞台まで1.5メートルほど。白い椅子は、そこから1.5メートルほど引いた位置にあります。目の前3メートルの位置で入来ちゃん演じる薫がいる。夢のような事態です。
感想文は小学校の頃から苦手でうまく書けませんが、二人の熱演は素晴らしく、葛藤、幸福、不安、疑念、絶望、信念、喪失、真実、永遠…。なんか今思い起こすと、こんな言葉が浮かんでくるけど、手に本を持った朗読ながら、その風景がありありと眼前に浮かんでくるようで、とにかく最高の舞台でした。それを、こんな間近で見させてもらえるなんて、本当に幸せでした。
あまりに近すぎて、劇を見ているというよりも、その場に居合わせているかのように思えてきて、薫がとっちらかってる時など、手を差し伸べて安心させてあげたいような気持ちに何度もなりました。それだけ、劇に入り込んでいたってことなのかも知れません。
「朗読劇+最前列中央」だからこそ、わかったこともありました。
二人が舞台の両端に分かれて立つシーンがあります。そうすると、二人を一緒に見ることはできません。片方を見るのもちょっとしんどいです。でも、朗読劇は、情景を想像しながら見るものなので、見えなくても全然ストレスないんですね。二人の声を聴きながら、空(くう)を眺めたり、時折スクリーンに写し出される風景を見たり、いろんなことを考えたりしながら見てました。
朗読劇って初めて見ましたが、こういう想像しながら見るもの、私、好きみたいです。落語もそうだし、ラジオドラマも好きです。
観劇後はずっと放心状態で、家に帰ってきても、思い出しドキドキ&ため息がおさまりませんでした。
これから1週間ぐらい、だいぶ仕事が忙しくなりそうですが、この幸せを糧にして、乗り切ります。

小さな名店
横浜のにぎわい座へ落語会を聞きに行ってきました。
土曜日なので始まりが早く17時開演で、終わったのが19時過ぎ。
何かを食べて帰りたい時間です。
にぎわい座は、桜木町駅からほど近い「野毛」というエリアにあります。
そして、野毛の一角に、「だるま寿司」という寿司屋があります。
横浜で仕事していた10年ほど前、仲間3人で突入したことがありました。
「あそこの寿司屋」
「あるよねえ」
「入ったことある?」
「ない」
「行ってみる?」
「行こう行こう」
てな感じで、桜木町界隈をよく歩く人ならみんな知ってる。店はとても小さいのに、とても目立つ。そんな寿司屋です。
なぜなら、佇まいがこんなだから。なお、これは10年前の様子。

建物というよりも、駐車場の一角にぽつんと置かれたような「だるま寿司」。
にぎわい座を出て、だるま寿司のことが気になりながらも、なんとなく、一人で入るのも気がひける感じがして、関内の方向へ食事場所を求めて歩いたのですが、歩きながらも、だるま寿司のことを考えていました。
前に行ったのが10年ぐらい前。その時にすでに親父さんは、そこそこの親父さんだった。すると今、親父さんいくつだ?と気になり始め、横浜へ来ることなんてそう頻繁にはないし、なんだか、今行かないと後悔するような気がしてきて、桜木町へ戻ります。
やってました。


期せずして10年前とほぼ同じアングルの写真。後ろにビルが建ったので、「ぽつん」感はだいぶ薄れたようです。
親父さんはお元気でした。
「明日っから休みだからさあ、ごはんあんまりないけどいい?」
構いません。この店に来たかったんですから。
席の数はカウンターと椅子を合わせて、たぶん11か12。常連さんたちに混ぜてもらって、おまかせでつまみを作ってもらいます。

寿司について、どうのこうの語れる舌は持ってませんが、うまい・まずいは分かります。
しみじみと「うまいなあ…」と思えるぐらい、間違いなくうまいです。まぐろとこはだ、うまかったなあ。
常連さんたちもいて賑やかだったので、あまりたくさん親父さんと話せなかったけど、10年前に来たという話をして、「その時も既にだいぶ親父さんだったけど、失礼ながら…」と聞いてみると、
若干恥ずかしそうに「えーっ…もう85だよ」って。えーーーーっ。動きも喋りも到底そんなお年には見えません。そして、その驚きの年齢を、誇らしげではなく、ちょっと言いにくそうにして言うってところに粋を感じます。
「生もの扱うからさあ、危ないじゃん。店、閉めることも考えてはいるんだけどさ」
そんな言葉を聞いて、私が生まれる前からずっと寿司を握ってきて、そろそろ引き際を考えている親父さんに対して、「そんなことおっしゃらずに」とか「長く続けて」なんて言葉を軽々しくかけることもできず、なんだか言葉が出ませんでした。
締めに、残りのごはんを振り絞って、かっぱ巻きをやってもらいます。親父さんの作ってくれたかっぱ巻き、うまい。
ハワイに住んでいて、お父さんの介護のために時々日本に帰ってきて、そのたびに寄らせてもらうのだという常連のお姉さんが帰り、私一人。もともとあんまり遅くまでやってる店ではありません。私も、写真を1枚撮らせてもらっておいとまします。

黒電話と、その下に置かれているのは、電話賃を入れる箱。いつまで使われていたんだろう。携帯なんかなかった時代の遺物です。
「また寄らせてもらいます」と言って、暖簾をくぐらず、裏口から。裏口を出ると、そこには仮設トイレがあるのです。
いい時間を過ごしました。横浜へ行く機会はなかなか廻ってこないけど、また次回、きっと来ます。
土曜日なので始まりが早く17時開演で、終わったのが19時過ぎ。
何かを食べて帰りたい時間です。
にぎわい座は、桜木町駅からほど近い「野毛」というエリアにあります。
そして、野毛の一角に、「だるま寿司」という寿司屋があります。
横浜で仕事していた10年ほど前、仲間3人で突入したことがありました。
「あそこの寿司屋」
「あるよねえ」
「入ったことある?」
「ない」
「行ってみる?」
「行こう行こう」
てな感じで、桜木町界隈をよく歩く人ならみんな知ってる。店はとても小さいのに、とても目立つ。そんな寿司屋です。
なぜなら、佇まいがこんなだから。なお、これは10年前の様子。

建物というよりも、駐車場の一角にぽつんと置かれたような「だるま寿司」。
にぎわい座を出て、だるま寿司のことが気になりながらも、なんとなく、一人で入るのも気がひける感じがして、関内の方向へ食事場所を求めて歩いたのですが、歩きながらも、だるま寿司のことを考えていました。
前に行ったのが10年ぐらい前。その時にすでに親父さんは、そこそこの親父さんだった。すると今、親父さんいくつだ?と気になり始め、横浜へ来ることなんてそう頻繁にはないし、なんだか、今行かないと後悔するような気がしてきて、桜木町へ戻ります。
やってました。


期せずして10年前とほぼ同じアングルの写真。後ろにビルが建ったので、「ぽつん」感はだいぶ薄れたようです。
親父さんはお元気でした。
「明日っから休みだからさあ、ごはんあんまりないけどいい?」
構いません。この店に来たかったんですから。
席の数はカウンターと椅子を合わせて、たぶん11か12。常連さんたちに混ぜてもらって、おまかせでつまみを作ってもらいます。

寿司について、どうのこうの語れる舌は持ってませんが、うまい・まずいは分かります。
しみじみと「うまいなあ…」と思えるぐらい、間違いなくうまいです。まぐろとこはだ、うまかったなあ。
常連さんたちもいて賑やかだったので、あまりたくさん親父さんと話せなかったけど、10年前に来たという話をして、「その時も既にだいぶ親父さんだったけど、失礼ながら…」と聞いてみると、
若干恥ずかしそうに「えーっ…もう85だよ」って。えーーーーっ。動きも喋りも到底そんなお年には見えません。そして、その驚きの年齢を、誇らしげではなく、ちょっと言いにくそうにして言うってところに粋を感じます。
「生もの扱うからさあ、危ないじゃん。店、閉めることも考えてはいるんだけどさ」
そんな言葉を聞いて、私が生まれる前からずっと寿司を握ってきて、そろそろ引き際を考えている親父さんに対して、「そんなことおっしゃらずに」とか「長く続けて」なんて言葉を軽々しくかけることもできず、なんだか言葉が出ませんでした。
締めに、残りのごはんを振り絞って、かっぱ巻きをやってもらいます。親父さんの作ってくれたかっぱ巻き、うまい。
ハワイに住んでいて、お父さんの介護のために時々日本に帰ってきて、そのたびに寄らせてもらうのだという常連のお姉さんが帰り、私一人。もともとあんまり遅くまでやってる店ではありません。私も、写真を1枚撮らせてもらっておいとまします。

黒電話と、その下に置かれているのは、電話賃を入れる箱。いつまで使われていたんだろう。携帯なんかなかった時代の遺物です。
「また寄らせてもらいます」と言って、暖簾をくぐらず、裏口から。裏口を出ると、そこには仮設トイレがあるのです。
いい時間を過ごしました。横浜へ行く機会はなかなか廻ってこないけど、また次回、きっと来ます。
お初にお目にかかります
数年前から、ある人に似てると言われるようになりました。
それは、「ジャガー横田の旦那」という人です。
木下さんというお医者さんなんですが、たいていの人はその名前を知りません。
みんな、「ジャガー横田の旦那」と言います。
彼がテレビに多く出ていた時期があり、その頃は、初めて会うほぼ全ての人から、「ジャガー横田の旦那に似てる」と言われました。
どこかの町の初めて入った飲み屋で、ママさんから「誰かに似てるって言われない?」って言われ、「ジャガー横田の旦那ですか?」と答えたら、「そうそう!」という、『でしょー?いわれるでしょー?だって似てるもん!』的なリアクションをされたので、本当に似ているんだろうと思っていました。
私はテレビを見るにも、だいたい決まったものしか見ず、それに彼は出てこなかったので、どんな人なのか知らなかったのですが、最近、初めてそのご尊顔を拝しました。
あー、似てるね。かなりいい線いってます。髪型合わせたら、ほぼ同じになる可能性ある。
ただ、意外なのが声。
たぶん構造的に近いんだろうから、声の高さは近い。低め。
でも声質が、ちょっとガラガラするけど、潰れた声とも違う、わりと特徴的な声です。
昔から、声まね、歌まねは得意でした。挑戦してみても悪くないかなと思いました。
それは、「ジャガー横田の旦那」という人です。
木下さんというお医者さんなんですが、たいていの人はその名前を知りません。
みんな、「ジャガー横田の旦那」と言います。
彼がテレビに多く出ていた時期があり、その頃は、初めて会うほぼ全ての人から、「ジャガー横田の旦那に似てる」と言われました。
どこかの町の初めて入った飲み屋で、ママさんから「誰かに似てるって言われない?」って言われ、「ジャガー横田の旦那ですか?」と答えたら、「そうそう!」という、『でしょー?いわれるでしょー?だって似てるもん!』的なリアクションをされたので、本当に似ているんだろうと思っていました。
私はテレビを見るにも、だいたい決まったものしか見ず、それに彼は出てこなかったので、どんな人なのか知らなかったのですが、最近、初めてそのご尊顔を拝しました。
あー、似てるね。かなりいい線いってます。髪型合わせたら、ほぼ同じになる可能性ある。
ただ、意外なのが声。
たぶん構造的に近いんだろうから、声の高さは近い。低め。
でも声質が、ちょっとガラガラするけど、潰れた声とも違う、わりと特徴的な声です。
昔から、声まね、歌まねは得意でした。挑戦してみても悪くないかなと思いました。
一日でも早く
私の仕事は、ひたすらパソコンに向かい、ネットや辞書で調べものをしながら、文章を作ること。あるいは、他の人が作った文章を確認して、ちょこちょこっと直すことです。
私が普段、調べものに使っているのは、「Internet Explorer & Yahoo!」の組み合わせです。「Chlome & google」の方が、動作は早いし、検索ツールとしても優れているのかも知れませんが、なんとなく長年使い慣れた方を使い続けています。
さて、Yahoo!はgoogleと違い、総合ポータルサイトです。トップページにはニュースや広告が表示されています。
そのため、仕事をしていると、yahoo!の画面の上の方に九州の地震の情報がたびたび表示されます。こんなふうにね↓

最初の震度6強とその後の震度7(…書くのも恐ろしい文字列ですが)から時間が経ち、さすがに震度3から4というぐらいで落ち着いてきましたが、寝ている時に震度3の地震が来たら、地震慣れした関東人でも、まず軽く目が覚め、布団の中で揺れながら、揺れが大きくならないか警戒し、「ああ、大丈夫」と確認して寝なおします。
そんなのが昼夜問わず、1時間に数回というペースで起き続けています。そろそろ落ち着きつつあるかと思っていたら、不意打ちで震度5強とか来るんだから、落ち着いて眠れません。眠れないって、辛いです。
5年前の東日本の地震の際、私は埼玉に住んでいて、本震がたしか震度5強でした。もちろん、当時の東北の人々や、今の九州の人々に比べたら、そのレベルはなんてことないのかもしれませんが、その後、度重なる余震に対して、どこにもぶつけることのできない怒りが湧いてきたのを覚えています。
熊本・大分の人々は、そんな気持ちで日々を過ごしているのだろうと思います。家で仕事をするようになり、わりと自由な身になったとはいえ、九州は遠すぎて、直接どうこうすることはできません。とりあえず、わずかですが、今出せる金額を義捐金として送りました。
2年前に熊本市の西部に転居した友人がいますが、彼とは最初の地震直後に連絡が取れ、無事でいることがわかりました。ただ、2回目の大きいのは「ヤバい揺れだった」と言ってました。
それから、17年前から15年前という大昔、何度か一緒に旅をしたことがある熊本出身のOさんのことが気になり、古い住所録をほじくり出してメールを送ったら返事が返ってきました。Oさんは今は関東に住んでいて、熊本のご両親も無事だと教えてくれました。
とりあえず、熊本に関わりのある知人が無事でいてくれて、安心しました。
話は変わりますが、TBSで「落語研究会」という番組が月に1回放送されています。その放送が昨日でした。今回、放送されたのは、柳家喬太郎さん演じる「宮戸川」。
「宮戸川」というのは浅草近辺の隅田川の別称だそうですが、全部語ると長編であるのに加え、後半は凄惨なシーンが続くことから、通常、高座でかけられるのは前半のみで、題名にもなっている宮戸川は出て来ず、ちょっと色っぽい話になる手前のところで、「あ、そろそろお時間のようで」などと言って引きあげるのが一般的です。
ところが今回は、落語通ばかりが集まる「落語研究会」。時間たっぷり、全編が演じられました。凄惨なシーンが終わり、一転して明るくなった(要は「夢オチ」なんですけどね)オチ前のシーンでは、話自体の面白み自体に笑いが起きていたので、おそらく、落語研究会の観客たちですら、全編を聞いたことはあまりないのではないかと思います。
そんな貴重な「宮戸川」、私も全編通しは初めて見ましたし、是非ともブルーレイに焼いて保存しておきたかったのですが…、途中にちょくちょく入る地震速報。もちろん保存してもいいんですが、後で見たときに、今回の地震のことを思い出して、つらい気持ちになります。
5年前の東日本の地震の時も、テレビの録画で残念な思いをした時期がしばらく続きました。いろいろと残念で、悲しいです。
とにもかくにも、現地の人々が少しでも早く、平穏な暮らしを取り戻してくれることを願います。
私が普段、調べものに使っているのは、「Internet Explorer & Yahoo!」の組み合わせです。「Chlome & google」の方が、動作は早いし、検索ツールとしても優れているのかも知れませんが、なんとなく長年使い慣れた方を使い続けています。
さて、Yahoo!はgoogleと違い、総合ポータルサイトです。トップページにはニュースや広告が表示されています。
そのため、仕事をしていると、yahoo!の画面の上の方に九州の地震の情報がたびたび表示されます。こんなふうにね↓

最初の震度6強とその後の震度7(…書くのも恐ろしい文字列ですが)から時間が経ち、さすがに震度3から4というぐらいで落ち着いてきましたが、寝ている時に震度3の地震が来たら、地震慣れした関東人でも、まず軽く目が覚め、布団の中で揺れながら、揺れが大きくならないか警戒し、「ああ、大丈夫」と確認して寝なおします。
そんなのが昼夜問わず、1時間に数回というペースで起き続けています。そろそろ落ち着きつつあるかと思っていたら、不意打ちで震度5強とか来るんだから、落ち着いて眠れません。眠れないって、辛いです。
5年前の東日本の地震の際、私は埼玉に住んでいて、本震がたしか震度5強でした。もちろん、当時の東北の人々や、今の九州の人々に比べたら、そのレベルはなんてことないのかもしれませんが、その後、度重なる余震に対して、どこにもぶつけることのできない怒りが湧いてきたのを覚えています。
熊本・大分の人々は、そんな気持ちで日々を過ごしているのだろうと思います。家で仕事をするようになり、わりと自由な身になったとはいえ、九州は遠すぎて、直接どうこうすることはできません。とりあえず、わずかですが、今出せる金額を義捐金として送りました。
2年前に熊本市の西部に転居した友人がいますが、彼とは最初の地震直後に連絡が取れ、無事でいることがわかりました。ただ、2回目の大きいのは「ヤバい揺れだった」と言ってました。
それから、17年前から15年前という大昔、何度か一緒に旅をしたことがある熊本出身のOさんのことが気になり、古い住所録をほじくり出してメールを送ったら返事が返ってきました。Oさんは今は関東に住んでいて、熊本のご両親も無事だと教えてくれました。
とりあえず、熊本に関わりのある知人が無事でいてくれて、安心しました。
話は変わりますが、TBSで「落語研究会」という番組が月に1回放送されています。その放送が昨日でした。今回、放送されたのは、柳家喬太郎さん演じる「宮戸川」。
「宮戸川」というのは浅草近辺の隅田川の別称だそうですが、全部語ると長編であるのに加え、後半は凄惨なシーンが続くことから、通常、高座でかけられるのは前半のみで、題名にもなっている宮戸川は出て来ず、ちょっと色っぽい話になる手前のところで、「あ、そろそろお時間のようで」などと言って引きあげるのが一般的です。
ところが今回は、落語通ばかりが集まる「落語研究会」。時間たっぷり、全編が演じられました。凄惨なシーンが終わり、一転して明るくなった(要は「夢オチ」なんですけどね)オチ前のシーンでは、話自体の面白み自体に笑いが起きていたので、おそらく、落語研究会の観客たちですら、全編を聞いたことはあまりないのではないかと思います。
そんな貴重な「宮戸川」、私も全編通しは初めて見ましたし、是非ともブルーレイに焼いて保存しておきたかったのですが…、途中にちょくちょく入る地震速報。もちろん保存してもいいんですが、後で見たときに、今回の地震のことを思い出して、つらい気持ちになります。
5年前の東日本の地震の時も、テレビの録画で残念な思いをした時期がしばらく続きました。いろいろと残念で、悲しいです。
とにもかくにも、現地の人々が少しでも早く、平穏な暮らしを取り戻してくれることを願います。