2009-11

ガリガリ君

 妻がコピーを取りに近所のローソンへ行ったついでに、ガリガリ君(ソーダ味)を買ってきてくれた。

 特別ガリガリ君を愛しているわけではないが、ときどき食べるととてもうまいと思う。相変わらず60円だし。当たりつきだし。

 うまいうまいと食べていたら、なんと、当たった。 
 
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 アイスの当たり棒といえば、昔は、「あたり!もう1本!」とか、単純明快なメッセージだったように思うが、今はしっかりと交換可能商品が書かれている。曰く、ガリガリ君とガリ子ちゃんはOK。ガリガリ君リッチはNGと。

 当たりの確率がどのぐらいなのか、ネットで調べてみた。どうやら、2%程度と言われているらしい。なんと50本に1本の確率。こんなところで運を使ってどうするんだとも思うが、ガリガリ君の当たりは嬉しい。大人だけど。

 ソーダ味を食べたから、コーラ味と取り換えてもらおうと思っているが、24時間開いているスーパーの方が近いので、ローソンへ行く用事は特にない。さすがに、当たりだけ取り換えてもらいに行くのは気が引ける。いつ取り換えに行けるだろうか。

一期一会

 前に、サイダーを飲み比べて記事を書いてみたことがある。

 その後も、何か新しいサイダー・ラムネ類を見つけるたびに買ってきては飲み比べている。飲んだものの記録をしっかり付けているわけではないが、「おいしかったやつ」「そうでもなかったやつ」「正直言っておいしくなかったやつ」と、だいたい覚えている。

 おいしかったのはと言えば、近所のダイエーで見つけて、いちばん最初に飲んだ北海道の「倉島ミネラルサイダー」。それと、その後に飲んだ、長崎の「BANZAIサイダー」もすっきりしていてよかった。
 一方で、有名どころの「養老サイダー」や「スワンサイダー」などは、案外、なんとも思わなかったりした。

 「倉島ミネラルサイダー」をもう一度飲みたいと思い、どさんこプラザやFOODEX北海道はもちろん、北海道物産展などを見つけると探すのだが、ダイエーで買って飲んだっきり見かけていない。そんなわけなので、一期一会、初めて見るメーカーの製品は、とにかく買って飲んでみなければならない。

 さて今日、三郷のイトーヨーカドーで初めて見るメーカーの製品に出会った。広島県福山市の斎藤飲料工業という会社の製品だったが、それがまた、なんだかこんなやつでして。

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フレッシュプリキュアラムネ。118円也。レジのおばさんは「女のお子さんがいるのね」と思ってくれただろうか。

 今日は野菜とか牛乳とか、ほかに買うものがあったから一緒に買ったが、これ1本だけだったら、さすがにレジに持っていくことができず、煩悶したかもしれない。

 お味はと言えば、期待せずに買った割にはいい感じで、倉島やBANZAIにも似た、飲んだ後に水の味がする、すっきりタイプ。ちょっと後味は残るようだが、好みの味だった。斎藤飲料工業、ちゃんと覚えておこう。

 どうも斎藤飲料工業という会社は、ふつうのラムネのほかにキャラクターものをいろいろと出しているようで、「フレッシュプリキュアラムネ」のほか、「NARUTOラムネ」や「ONE PIECEラムネ」、はたまた猪木とのコラボで「1・2・3サイダァー」なんてのも出している。
 キャラが違うだけで、たぶん味はどれも同じだろうから、再び飲みたくなった時には、特に「フレッシュプリキュアラムネ」を所望しなくてもよいのが、ちょっとした救いと言えるかもしれない。

成田の円筒分水

 今日は雨が降ったりやんだりする中、成田の図書館に行った。

 先日、東金と多古の円筒分水を再訪してきたが、成田にも円筒分水があるということがネット上では情報として書かれている。しかし、それがどこにあるのかわからない。印旛沼を渡る甚兵衛大橋の近くであるということはわかっているのだが。
 そこで、成田の図書館に行けば、印旛沼の干拓、治水、利水に関する資料が豊富にあるだろうと、あたりをつけてやってきた。

 ところが、いろいろと資料をあさってみるものの、用水に関する記述はない。それどころか、座談会の記録みたいな本によると、「この辺りは少し掘ればすぐ井戸水が湧くから水の心配なんてする必要なくて、それよりも台風や大雨のときの排水をするのが、何よりも重要だ」なんてことを言っている。
 確かに、もともと湿地帯であり、さらに、すぐ裏は成田ニュータウンがのっかる高台があるので、崖線からの湧水も豊富だろう。

 もしかして、円筒分水なんてないんじゃないのか?と疑いながらも、成田市の住宅地図を見てみたら、印旛沼からそう遠くないあるところに、「階段の上にある丸いもの」が描かれていた。何かクサイものと感じて、さっそく行ってみた。
 今日は天気が悪かったから車で来たけれど、天気がよければ電車で来るつもりだった(車で遠出するのはあんまり好きじゃない)。電車で来てたら、簡単に行ってみようとはならなかったわけで、天気が悪くて幸いした。

 さて、目星をつけた場所に来てみたら、大当たり。コンクリートブロックで造成した崖の上から、ジャバジャバと水の音がする。ただし、そこへ上る階段の柵には鍵がかかっていて、「関係者以外の立入を禁止する」と書かれている。でも、少しだけ斜面をよじ登るとフェンスが途切れているので、そこから…ね、ちょっとだけ。
 こういう場合、「立入禁止」と書かれていない裏側とかからうっかり入り込んでしまった場合にはセーフだろうが、今回の場合はきっとアウト。「フェンスの切れたところには立入禁止と書いてなかったからいいでしょう?」というのはたぶん屁理屈に該当する。

 大きさの測定はしなかったが、東金と多古の中間ぐらいの大きさ。三方に分けていて、比率は13:10:1のようだ。そもそも立入禁止の場所なので、円筒分水自体には厳重な柵は設けられておらず、大量の水が足元を流れていくのを見ていると、吸い込まれそうで、ちょっと恐ろしい感じさえする。
 まあ、そんな場所なので長居は禁物である。数枚の写真を撮影し、思わぬ発見の喜びを胸に、いそいそと退散してきた。

 訪ねたときには雨は上がっていたが、濡れた斜面をよじ登り、藪を歩いたせいでびしょびしょになったが、しっとりと落ち着いた空気の中を、轟々と水が流れる音だけが聞こえる。水関連の施設は雨の日にはいっそう趣を増すものなのかもしれない。

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場所は、とある谷津田の入口あたり。水の勢いに、カメラを構える手も緊張する。

 これを読んで下さっている方に立入禁止の場所に入ることをお勧めするのは本意ではないので、場所は公表しないでおきます。ただ、ゼンリンの住宅地図や、一部のネット地図では、「見る人が見ればちゃんとわかる」形が描かれています。

荒川沿いの廃村を歩く。(その1 さいたま市桜区塚本)

※この記事は2007年10月頃に訪問した際の記録です。そのため、現状は変わっている部分もあるかもしれません。

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 浦和と川越の廃村を探索した。

 埼玉の、秩父の山奥でもないところで廃村とは奇妙な感じもするが、荒川の左岸(=東側)、堤外(ていがい)と呼ばれる場所に、そこはある。堤外というのは堤防の川側、つまり河川敷。川側のほうが「堤内」のような気もするが、堤防というのは、住人が水の脅威から守るために築くものなので、堤防によって囲われる集落の側が「堤内」、川の側が「堤外」と呼ばれる。

 荒川は、多くの河川敷の中でも民有地が多いことが特徴なのだそうだ。民有地が多いということは、「利用価値がある」土地だったということで、水の脅威に侵される堤外にも田畑があり、人も住んでいた。その堤外集落が2か所、水害防止の観点から国の補償を受けて、全戸移転し、現在は廃村になっている。


 1つ目の堤外廃村は、さいたま市桜区塚本字外西、外東という辺り。浦和北高校の裏手から荒川の堤防を越えた所にある。そこに数軒の農家があり、人が住んでいた。全戸移転したのは10年以上前のことらしい。
 
 ふつう、河川敷の農地と言えば、大規模な干拓によって、十字に交わる道がどこまでもまっすぐに続いていたりするものだが、ここの地図に描かれている道のカーブや分岐は、明らかに人の営みを感じさせるものであり、「薬師堂」などという文字も見える。人が居住していた名残として地図には地番も記載されている。地図を見ていてどんなところだか前から気になっていた。



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堤防から上流を見る。この左側が堤外。


 堤防を越えると何もない田畑だけの景色が広がりそうなものだが、ここの場合、下の写真のような、人のにおいのする道がその先に続く。
 家はもうすっかり取り壊されてしまっていて1軒も残っていないが、田畑は残っており、引き続き、耕作されている。誰も住んでいないのになぜか安心できる、あるいは、なぜか安心できる感じがするのに誰もいないという、不思議な空気を感じる。 聞こえるのは風にそよぐ草木の音と鳥の声だけである。

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区画整理された耕地にはありえないカーブ。門扉が残っている。ここに人が住んでいた。

 
 人が住むところにはお寺や神社があるもので、薬師堂と八幡神社がある。特に、薬師堂のマキの木は、市の天然記念物にも指定されている巨木である。

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門の右側にある巨木が「薬師堂のマキ」。入って左手にはお墓もある。 「薬師堂のマキ」説明板。幾多の水害にも耐えて来たのだろう。
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八幡様の鳥居。平成元年に建てられたものだが、奥は荒れ放題。 藪の奥に小さな祠があっておしまい。


 八幡様の近くには、淀んだ池のようになった川が流れていて、道には橋が架かっている。ちょうど私が歩いて行くと、道を横断していた亀がいそいそと藪の中へもぐっていった。道すがら、数匹のカマキリと、なんとタヌキにも遭遇した。自然が豊かだ。

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池のような川。ここも、子どもの遊び場だったのかもしれない。 荒川の水面はすぐそこにある。こんなにも水に近い所に人が住んでいた。


 荒川の河川敷にはところどころ、横堤(よこてい)という、川に対して垂直に長い堤防が築かれている。これは、台風や豪雨で水量が増えた際に、この横堤で区切られた区域に水を滞留させて勢いを弱めることで、下流域の被害を軽減しようというものである(模式図がこのページの中ほどにあります)。
 つまり、堤外集落というのは、構造上、水が溜まるように作られているところに人が住んでいたということになる。いつの頃からか住みついて、先祖代々守ってきた土地だったかもしれないが、やはり、人が住むには適していないのかなあ…、客観的にそう思う。

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村を守ってきた水神様には、今でも花が供えられている。横堤から集落を眺める。人の声が聞こえてきそうだが、誰もいない。

 塚本を後にし、川越の廃村へと向かう。

 (2)へつづく。

荒川沿いの廃村を歩く(その2 川越市握津)

※この記事は2007年10月頃に訪問した際の記録です。そのため、現状は変わっている部分もあるかもしれません。

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 続いてやってきたのは川越市古谷上字握津(あくつ)という地区。川越市ではあるが、荒川の左岸にあり、川越の飛び地のようになっている。ここも堤外集落だったところで、塚本の集落よりも最近まで人が住んでいた。川越市の広報紙によれば、2006年3月31日に全戸移転が完了したそうだ。

 場所は下の地図の辺りである。川越線指扇駅の北西2キロぐらいのところで、リハビリセンター行きのバスがあるが、バス停から遠い。しかし、宝来運動公園の駐車場を利用できるので、車で行くのには好都合である(もっとも廃村なので、どこに置こうがかまわないようなものだが)。

 荒川の堤防を越え、河川敷に入る。浦和の塚本もそうだったが、ここもやはり、何十年かタイムスリップしたような気持ちになる。



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堤防の斜面では牛が草を食んでいた。堤防を越えても広大な耕地が広がるのは、やっぱり不思議な感じがする。

 この握津も、塚本と同様に家屋はすべて取り壊されて残っていないが、公民館とその裏の御堂だけは壊されずに残っている。
 歴史的農業環境閲覧システムというサイトで明治初期の地図を見ることができるが、それによると、握津と対岸の老袋(おいぶくろ)の間に老袋の渡しという渡船があって、大宮と川越とを結ぶ、交通の要衝であったらしい。大宮と川越を結ぶルートは、この老袋の渡しと、現在の国道16号上江橋の位置にあった千手堂の渡しだけだったようなので、今では見る影もないが、渡し場としてかなり賑わったのではないだろうか。道幅は、もしかしたら江戸時代からそのままなのかもしれない。

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握津のメインストリート。少し先に立っている馬頭観音の角を曲がると公民館。残っている建物は公民館と、その裏の御堂だけ。
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道標を兼ねた馬頭観音像。「西」の下の2文字が読めない。

 公民館へ入る道の角のちょっと先に、道標を兼ねた馬頭観音がある。道標には天明2(1782)年の銘があり、

 西 川越 ●●やま ちヽふ 道

と彫られている。「ちヽふ」は秩父だが、「●●やま」がどうしても読み解けない。ここから西で、「山」がつく重要地名は「まつやま(現・東松山)」しかないと思われるのだが、どうもそうではないみたい。どなたか読める方がいらっしゃれば、教えていただきたい。いずれにしろ、ここから遠く離れた秩父への道案内がされるほど、重要な交通路であり、この辺りが村の中心地だったことがわかる。

 かつて多くの人が通ったであろう古道を行く。増水時の被害を少しでも減らす工夫なのだろう。屋敷地にはすべて1メートルぐらいの盛り土がされ、その上に家が建っていたようである。

 さらに進むと、荒川と並行する新しい道に突き当たり、握津の集落は終わる。その先、荒川までの間は大宮国際カントリークラブというゴルフ場になっている。入口で係の人に断って中に入らせてもらい、荒川の水位はどの程度なのか、見させてもらった。
 どうやら、浦和の堤外集落に比べると水面からの比高は高いようだ。とはいっても、せいぜい2メートルぐらいのもので、台風や集中豪雨ともなれば、集落まで冠水してしまうのは明らかだ。最近では1999年8月の台風による大洪水が発生し、それが全戸移転のきっかけとなったのだという。

 ところでこのゴルフ場、対岸の、荒川と入間川に挟まれた狭い敷地にもコースがあるが、クラブハウス等の施設はこちら側(握津側)にしかない。両岸を結ぶ橋はないので、渡し船で対岸へ渡るようになっている。奇しくも、老袋の渡しをそのままの位置で再現した格好だが、ゴルフ場利用者以外は乗船できない。


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ゴルフ場に突き当たって道は終わる。その昔は、渡し場を経て川越へ通じる街道だった。現代に受け継がれた老袋の渡し。ただしゴルフ場利用者専用。
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集落内の別の道にて。左の坂道が屋敷地の入口。家は盛り土の上に建っていた。今にも右の角から軽トラが出てきそうな風景。


 塚本と握津、2つの堤外廃村を歩いてみたが、どちらも堤外という特殊な立地のせいで開発が行われず、本当にタイムスリップしたかのような自然が残っている。塚本ではタヌキに会い、握津の空はトビが舞っていた。自然観察会のようなものも時おり開かれているようだが、この自然はぜひとも残していってほしい。そして、自然を守るのと同時に、かつてそこに人の営みがあったということを、ぜひとも語り継いでほしいと思う。

 今では廃村になってしまった歴史ある集落を歩いてみて、そんなことを思った。

 荒川沿いの廃村を歩く―おわり

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2009/6/13 追記
 読めなかった道標の文字、解決しました。こちらをご覧下さい。

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プロフィール

きちい

Author:きちい
すみか:埼玉県。川口みたいで、浦和みたいで、越谷みたいで、岩槻みたいなあの辺。
好きなこと:ぷらっとそのへんへ出かけること。もちろん遠くへ出かけることも好き。おいしいものを作ることも好き。
なりわい:細々と韓国語の翻訳をやってます。詳しくはこちら

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